僕の一番最初の芝居仲間が、二十代半ばできっぱり役者をやめて、京劇のプロデュースをはじめた。
それから十数年。何度か京劇の公演の受付のお手伝いをしたこともあったけど、ここ数年はほんとにご無沙汰してた。
そんな彼女から案内をもらって、見てきたのがこの舞台。
「覇王別姫」って、僕はまず映画で知ってるのね。
レスリー・チャン主演の「さらばわが愛・覇王別姫」ってやつ。
一人の京劇の女形の一生を激動の中国史とともに描いた超大作映画。
男の男に対する愛情、しかも主人公は京劇の女形っていう、まさに僕のツボにはまった映画。
でも、あんまりヘビーなんで、一度しか見てません。
映画の一番最後、実は愛している京劇の俳優と一緒に、劇場の舞台で京劇の名作「覇王別姫」を演じながら、主人公は最後自刃して死ぬの。舞台ではニセモノの剣が使われるんだけど、ホンモノにすりかえててね。
そんな一人の女形の最後が、悲しく描かれた、とっても切ない映画。その中で見た「覇王別姫」。
それからもう一つはNHKのドキュメント。
たしか「最後の女形」とかそんなタイトルだった。
今、京劇には女形の後継者はいないんだって。
ていうか、女形は一人しかいない。
梅蘭芳っていう、偉大な女形の息子さんの梅○○さん。
この人もかなり高齢で、現役ぎりぎりなかんじ。
そんな彼が、自分の後継者に一人の女優さんを抜擢して、「覇王別姫」の虞姫(ぐき)を教える。そんな番組だった。
中国は文化大革命で、京劇が禁止、迫害されたときに、女形なんてもっての他っていうことで後継者がいなくなってしまった。
日本の歌舞伎にいつまでも女形の伝統があるっていうのは、だから、もしかしたらすごいことなのかもしれないね。
今はずいぶんゆるくなったみたいなんだけど、わざわざ男が女を演じるってことは、京劇においてはそんなに重要なことではなくなってしまったよう。
で、今回見た、「覇王別姫」は、僕としてはかなり「思いいれ」のある舞台なんでした。
レスリー・チャンの虞姫はきれいだったけど、かなり、何をしてるのかわからなかったし、ドキュメンタリーも、技術的な難しさには触れてても、それがどんなお話なのかってことは、おおよそしかわからなかったから。
「覇王別姫」っていうのは、こんな話なんです。
<あらすじ>
紀元前206年。秦の始皇帝が歿し、天下は乱れ群雄が割拠した。なかでも優勢を誇るのは西楚の覇王<項羽>。一方弱小だった漢の<劉邦>がじりじりと勢力を拡大していた。
度重なる激戦の末、鴻溝で土地を分割し、講和条約を結んで一度は撤兵した項羽と劉邦だったが、項羽を追い落とすには今しかないと判断した劉邦は、条約に背いて兵を戻し、一気に項羽軍を追詰めていく・・・・・・。漢軍が包囲する九里山で孤立する項羽。最期を悟った項羽は虞姫に別れを告げ、虞姫は足手まといになるまいと自害するのだった。
高校の漢文の授業でやりませんでした?
「項羽の最後」って。
「四面楚歌」の話とか、「虞美人(虞姫)の最後」のくだりとか。
「虞や虞や汝をいかんせん」なんてフレーズは、今も耳に残ってる。
この舞台では、そんな項羽と劉邦の戦いから、四面楚歌のエピソード、それから虞美人と項羽の最後までをそれはわかりやすく手際よく見せてくれる。
一幕は、項羽と劉邦の戦いのありさま。裏切りものがたくさんいて。
項羽は、ほんとに腕白坊主のようなまっすぐな将軍。
対する劉邦は知将といってもいいくらいの切れ者。
一幕の最後は、項羽が罠にはまって、九里山で包囲される。ここが有名な「四面楚歌」のくだりね。
休憩の後、まるまる、「覇王別記」が演じられる。
それまでのお話のダイジェストとは全然違う、これだけで独立した一本の演目。
具備人は項羽をなんとかはげまそうと剣の舞を見せるんだけど、上辺の笑顔とは違って、心は悲しみでいっぱいなんだ。で、最後に自害するんだね。
終幕は、川を渡って、落ち延びようとする項羽が、馬と一緒に逃げようとしてるんだけど、実は敵方の船頭にだまされて、「馬と人、同時には渡せない」って言われる。
愛馬の「すい」を船に乗せるんだけど、「すい」は船から落ちて死んでしまう。
で、項羽ももはやこれまでと自刃して幕。
京劇ってなんて鮮やかな色彩なんだろう。
それと芝居のお約束のみごとさ。
虞姫が戦場を移動するときは、車輪を描いた幕を体の両側に持って、まるで「人力車」に載ってるみたいに進んでいく。
将軍達は、体の後ろに何本も旗(?)を立てていて、その数が彼が率いている軍隊をあらわす。
だから、初めのうち、旗いっぱいだった項羽は、終幕、何も背負わなくなってしまう。
馬をあらわすのも、一本の毛の生えた棒。
その棒を一人が持って、くつわをおさえている風にしていると、そこに一頭の馬がちゃんと見えてくるから不思議だ。
舞台は基本的に広い空間がある素舞台。
そこに絢爛豪華な色とりどりの衣装が乱舞する。
僕は見ていて、とっても感動していた。
まずは、演出の斬新さとお話のわかりやすさに。
ほんとによくわかったんだ。
舞台の上手、下手にあった「電光掲示板字幕」のせいもあるんだけどね。
それから、出演者の見事な技量。
これは、ほんとにものすごかった。
「京劇」っていうのは、「チャイニーズ・オペラ」って言われるくらいだから、全編、歌がいっぱいなんだけど、この歌や台詞の調子が、それはそれは「超絶技巧」なんだ。
京劇ならではのアクロバティックな動きもものすごいんだけど、その「的確」なかんじに、僕は圧倒されてた。
こういった技術がまずあるっていうものが日本にはどれだけあるんだろうね?
歌舞伎もお能も、まず技術がなきゃいけないわけだけれども、そこには「的確さ」っていうのが第一義になるってことはないような気がする。もちろん必要なんだろうけども。
プロの役者が持ってる技術と、プロの音楽家が持ってる技術の違いってことを考えたことがあるんだけど、こと技術っていう意味では、これだけは絶対必要ってことが役者にはそんなにはないよね。
でも、音楽家は何よりもまず技術なんだ。
この京劇の舞台を見て思ったのは、なんだかそんなことでした。
京劇は、その要求される技術の精度とその重要性において、演劇よりは、むしろ音楽に近いとかそんなことから始まって、役者の技術って何よ?ってなことまでをつらつら考えてしまったんでした。
どれだけのことができると、僕は胸を張って言えるんだろう?
それこそ「どこに出ても恥ずかしくない」国家一級俳優たちの演じる舞台を見て、僕はそんなことを考えたんでした。
☆☆☆☆☆!