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◆主な登場人物及び出演者◆
緑川夫人実ハ女賊・黒蜥蜴 ‥‥‥‥‥‥ 関根信一
名探偵・明智小五郎 ‥‥‥‥‥‥ 森川佳紀
令嬢・早苗 ‥‥‥‥‥‥ 高木雅之
山川青年実ハ偽絵描き・雨宮 ‥‥‥‥‥‥ 増田 馨
宝石商・岩瀬庄兵衛 ‥‥‥‥‥‥ 岩井智彦
明智小五郎の部下・小林少年 ‥‥‥‥‥‥ 野口清和
先代黒蜥蜴、引退して今は赤蜥蜴 ‥‥‥‥‥‥ 高市梅莟
赤蜥蜴の手下 ‥‥‥‥‥‥ 早瀬知之
岩瀬夫人 ‥‥‥‥‥‥ 吉岡亮夫
家政婦ひな実ハ黒蜥蜴部下青い亀 ‥‥‥‥‥‥ 石関 準
エヂプトの星が飾られる台座 ‥‥‥‥‥‥ ジャスミン
他にも彼らは何役もを演じ分けていくことになる。
役自体が変装している場合、人手不足のため何役も演じる場合等々。
*******
三島由紀夫作詞、黛敏郎作曲の「黒蜥蜴のテーマ」が流れる中、暗転。
場面は大阪、中之島のホテルのスイートルーム。
もちろん装置は何もない。
令嬢早苗が窓から外を見ている。それを見守る緑川夫人。
緑川夫人 そんなに夜の川が珍しいの? 初めての大阪でもないでしょうに。
早 苗 女学校のとき一度来たわ。ここ中之島っていうのね。川は淀川?
緑川夫人 そうよ。十九にもなって子供みたいな質問ね。
早 苗 おばさま、私の年までご存じなのね。いやだわ。
緑川夫人 何でも知ってるのよ、あなたのことなら。
早 苗 私の方はおばさまのこと何も知らないわ。ねえ、おばさまっておいくつ? ねえ、おいくつ?
緑川夫人 いいのよ、私のことなら。それから、早苗さん、その「おばさま」って言い方、やめていただけないかしら?
早 苗 じゃあ、何てお呼びすればいいの? おばさまは、お父様のお店のお得意様で、いつも豪華な自動車で銀座のお店に乗り付けては、びっくりするくらいたくさんの宝石を買っていかれる。実はお父様は、おばさまにすっかり夢中。だから、なんだかんだと言い訳しては、私を口実に食事や旅行やお誘いになる。今日だってそう。でも、うれしいわ。おばさまと一緒に、こんなに素敵なホテルに泊まれるなんて。ねえ、おばさま!
緑川夫人 ‥‥。
早 苗 おばさま?
緑川夫人 そうね。
早 苗 おばさま、お父様のことどう思って? 私、おばさまがお母様になってくれたら、どんなにうれしいでしょう!
緑川夫人 とってもかわいらしい方ね。「クマのプーさん」みたいで。ただ、私は、お母様って呼ばれるのもあまり嬉しくないのよ。
早 苗 じゃあ、おばあさま?
緑川夫人 殴るぞ、コラ!
早 苗 じゃあ、ずっと「おばさま」ってお呼びするわ。お母様になっても「おばさま」って。それならいいでしょう?
緑川夫人 そうね。
早 苗 まあ、嬉しいわ。おばさま。
緑川夫人 ‥‥。
早 苗 あら、どうなさったの? 気分でもお悪いの?
緑川夫人 何でもないのよ。この部屋はどうにも息がつまるわ。まるでとじこめられてるみたい。
早 苗 あら、どうして、こんなに広くて豪華なのに。
緑川夫人 あなたは何もご存じないのよ。本当の世界っていうものを。私は物と物とがすなおにキスするような世界に生きていたいの。お金が人と人、物と物、あなたと私を分け隔ててる。退屈な世界だわ。そうじゃなくて?
早 苗 ええ。
緑川夫人 私が考える世界では、きれいな人は決して年を取らないのよ。そうしてあなたは誰よりも自由になるの。
早 苗 自由に! もうわざわざ大阪までお見合いに来ることもないのね。。
緑川夫人 そうよ、あなたは自由になって、永久に美しいままでいられるのよ。
早 苗 永久に?
緑川夫人 そう。あなたは年をとらないの。ねえ、それがあなたの望みでしょう?
早 苗 ええ、私年を取るのがこわいんです。って、なぜ、ご存じなの、そんなことまで。
緑川夫人 私はあなたのことなら何でも知っているのよ。 本当はもう二十九歳だってことも。その形のいいおっぱいも実は上げ底だってことも。そのきれいな顔が二時間かけたメークのおかげだってことも。
早 苗 ごめんなさいね。ウソをついて。
緑川夫人 いいのよ。私はそういうウソが大好きなの。あなたのそのニセモノのおっぱい。ニセモノのきれいな顔。ニセモノの均整のとれた体。なんて素敵なの。私はそんなあなたが大好きなのよ!
早 苗 まあ、おばさまったら。ねえ、おばさま、おばさまは、あの明智って探偵をどうお思いになって?
緑川夫人 さっきロビーで紹介された? 私、探偵ってきらいよ。なんだか、こそこそ探り回るような目をして。
早 苗 でも、明智さんは素敵よ。ちょっとタイプかな?
緑川夫人 でも、なんだって、あんな人がここに来ているの?
早 苗 ‥‥いいわ、おばさまにはお話してしまうわ。実は、東京の家へ、へんな脅迫状が毎日のように来ているの。
緑川夫人 まあ、こわいこと。それはどんな?
早 苗 いつも同じ文面なのよ、私すっかり覚えてしまったわ。「お嬢さんの身辺に警戒なさい。お嬢さんを誘拐しようと企んでいる恐ろしい悪魔がいます」
緑川夫人 やだ、ストーカー?
早 苗 きっと、誰かのいたずらよ。でもお父様は心配して、こっそり明智さんにお願いしたの。明智さんはいつも私についてきて来てくれるのよ、でも、デートじゃないんですもの。明智さんは、私から遠く離れて見守ってるだけ。つまんないわ。
緑川夫人 そう。
早 苗 あーあ、退屈だわ。ねえ、おばさま、一緒に遊びに行きましょう。たこ焼き食べたいわ。もう、お見合いなんてうんざり。
緑川夫人 どうだったの相手の方は?
早 苗 もう「ダメダメ」ってかんじ。
緑川夫人 お父様はお気に入りなんでしょう?
早 苗 そうなの、でも‥‥
緑川夫人 でも‥‥どうしたの?
早 苗 私を欲しがる人は、盗むくらいの熱がなくっちゃいや。厚いガラスの窓に守られ、ショーウィンドーに飾られているうちに、私はいつしか勇敢な泥棒の目ばかりを待ちこがれるようになったんだわ。
緑川夫人 なんて素敵な宝石なのかしら。ねえ、早苗さん、あなたにぜひ会ってほしい人がいるの。
早 苗 でも、私お父様のお言いつけで、おばさま以外誰にも会ってはいけないって‥‥
緑川夫人 大丈夫よ。私が保証する立派な男の方よ。
早 苗 でも‥‥
緑川夫人 私はあなたのタイプも知ってるし、その上で自信を持ってすすめるのよ。
早 苗 ‥‥。
緑川夫人 絶対に気に入るわ。あなたを盗むだけの目をしていてよ。
早 苗 お願い、早く、会わせて!
緑川夫人、電話をかける。
緑川夫人 もしもし山川さん、私よ。すぐに部屋に来て頂戴。
山川、すぐに登場。
山 川 お待たせしました。
早 苗 まあ、もう?
緑川夫人 (紹介する)こちら山川健作さん。こちら岩瀬早苗さん。
早 苗 はじめまして。
山 川 はじめまして。
二人見つめ合ったまま黙っている。
「黒蜥蜴」の怪しい音楽が流れてくる。
緑川夫人 だまっているのね、いいわ、あなたたちが黙っていられるように、私がずっとしゃべっていてあげる。美しい人達はだまっていていいのよ。だからって、私が美しくないってわけじゃないけど。
緑川夫人、窓辺でライターに火を付け、怪しいサインを送る。
緑川夫人 山川さん、あれは持ってきてくれた?
山 川 はい、もちろん。
早 苗 あれってなーに?
山 川 あなたへのプレゼントです。
山川、包みからバッグを取り出す。
早 苗 まあ、すてきなバッグ! ヴィトン、グッチ?
緑川夫人 開けてみてごらんなさい、中に書いてあるわ。
早苗、バッグの中を一生懸命見てみる。
と緑川夫人、ハンカチを出して、早苗の顔に当てる。
気を失う早苗。崩折れる。
緑川夫人 さあ、早くおし。
緑川夫人、山川をうながして、早苗をバッグの中に入れる。
緑川夫人 わかったね。あとは、段取り通り。
山 川 かしこまりました。
山川、電話をする。
山 川 もしもし、こちら五二四号室の山川健作だがチェックアウトを。
山川、早苗の入ったバッグを片手に部屋を出て行く。
緑川夫人、一緒に廊下に出て、あたりを見回し、向かいの早苗と岩瀬の部屋に忍び込む。
緑川夫人、奥の寝室に入っていくと、すぐに早苗の父、岩瀬庄兵衛がやってくる。わかりやすく酔っぱらっている。
岩 瀬 おう、早苗。緑川の奥さんはどうしたのかな?
早苗の声 知らないわ。
岩 瀬 なんだお見合いが気に入らなくてふくれてるのか? え? このこの!
早苗の声 もう、お父様ったら、また酔っぱらって。
と言いながら、早苗登場。と思いきや、ネグリジェを着た緑川夫人。
緑川夫人、早苗の声色を真似てしゃべっている。ていうか、早苗の声に合わせて口を動かしている。
岩 瀬 お、またセクシーなネグリジェだな。すっかり色気づきおって。早苗、お前、少し太ったか?
緑川夫人 そんなことありませんわ。お父様、私、なんだか疲れたから、先に寝るわ。
岩 瀬 そうか、そうか。そうしてくれれば、一安心。わしがとなりで寝ていれば、誘拐犯もどうすることもできんだろうからな。お前は、わしの大事な一人娘。うちの店に飾ってある、世界一のダイヤモンド「エヂプトの星」よりも大事な、世界一の娘だ。
緑川夫人 お父様、お休みなさい。
岩 瀬 早苗、お父さんも一緒に寝てもいいかな?
緑川夫人 (あせって)もう、そんなことしたら、嫌いになっちゃうから!
岩 瀬 ははは、冗談じゃよ。じゃあ、お休み。
緑川夫人、退場。
岩 瀬 どれ、わしももう寝るとしよう。いやはや、緑川の奥さんが持ってきてくれたワインは、実にうまかったな。おかげですっかり酔っぱらった。
岩瀬も寝室へ引っ込む。すぐに岩瀬のいびきが聞こえてくる。
とすぐに緑川夫人が出てくる。もう早苗の扮装ではない。
緑川夫人 ふん、ちょろいもんね。睡眠薬がよく効いたみたいだわ。
緑川夫人、廊下へ出ていき、自分の部屋へ帰る。
と、明智がやってきて、岩瀬の部屋をノックする。
明 智 岩瀬さん、岩瀬さん。
岩瀬、起きてきて、ドアをあける。
岩 瀬 なんだ明智さんか?
明 智 電報が来たんです! 怪しい電報が。
岩 瀬 何、電報?(電報をひったくって読む)「今夜十二時を注意せよ」!
明 智 例の誘拐の脅迫がいよいよ時間を区切ってきたんです。お嬢さんはだいじょうぶですか?
岩 瀬 何、奥でぐっすり眠っていますよ。
明 智 それはよかった。
岩 瀬 わしも眠い。この部屋の鍵はあんたに預けておくから、よろしく頼むよ。
と言って、部屋の鍵を明智に渡す。
明 智 それよりも、しばらく僕がこの部屋にいましょう。
岩 瀬 ああ、そうしてくれたまえ。
岩瀬、奥へ戻っていく。
明智、ドアの鍵をかける。
明 智 問題の十二時まで、あと一時間か。よし!
そこへ、緑川夫人がやってきて、ドアをノックする。
明 智 だ、誰だ!
緑川夫人 私よ。
明 智 (ほっとして)ああ、緑川の奥さん。
明智、ドアを開ける。
緑川夫人 ちょっとよろしいかしら?
明 智 どうぞ、どうぞ。
明智、緑川夫人を招じ入れる。
緑川夫人 電報が来たんですって?
明 智 よくご存じですね。
緑川夫人 ここのボーイはおしゃべりなのよ。早苗さんは?
明 智 奥で寝ています。
緑川夫人 日本一の名探偵明智小五郎がここで見張っていれば、何も怖いものはないわけね。
明 智 もちろんですとも。もし犯人がやってきたら、こいつをお見舞いしてやります。
と言って、ポケットからピストルを出す。
緑川夫人 まあ、おそろしいわ。
明 智 僕はこいつを持っていると自分が本当の男なんだって気がして来るんですよ。
緑川夫人 本当の男?
明 智 ええ。
緑川夫人 あら、じゃあ、それを持ってないときはニセモノの男ってわけですの?
明 智 きびしいなあ。ただ、このずっしりとした重さは、なぜか僕の心をしんと落ち着かせてくれるんです。
緑川夫人 今のあなたは最高に男らしい男ってわけなのね。
明 智 ええ、そして最高に探偵らしい探偵。そして、あなたは最高に女らしい女性ですよ。
緑川夫人 まあ、お上手ね。ねえ、明智さん、私もここでご一緒させていただいてよろしいかしら?
明 智 どうぞ、どうぞ。
緑川夫人 そうだわ、私、花札をもってますの。問題の十二時まで一勝負しませんこと?
明 智 いいでしょう。でも、僕はあなたと違って貧乏ですよ。
緑川夫人 それは見ればわかりますわ。あら、ごめんなさい。私は、持っている宝石を全部賭けますわ。
明 智 ずいぶん気前がいいんですね。じゃあ、僕は‥‥
緑川夫人 (明智の手を握り)あなたに是非賭けていただきたいものがあるの。
明 智 脅かさないでくださいよ。
緑川夫人 あなたの‥‥
明 智 え?
緑川夫人 探偵という職業を賭けてほしいの。
明 智 ‥‥いいですとも。賭けましょう。
緑川夫人 まあ、嬉しい!
二人、床に座って、花札を始める。
しばらく、威勢良くやっているが、やがて、十二時の時報が鳴る。
明 智 何事もなかったようだ。
緑川夫人 なんて静か。でも、なんだか静かすぎてこわいくらい。何だかいやな予感がするわ。もしかしたら、早苗さんはとっくにさらわれてるんじゃないかしら。
明 智 まさか。
緑川夫人 そうね、ただの女の直感ね。さ、続きをしましょう。
明智立ち上がる、奥の部屋へ向かう。
緑川夫人 どうなさったの?
明 智 岩瀬さん、岩瀬さん。
岩 瀬 なんだね、そうぞうしい。
明 智 早苗さんはいますか?
岩 瀬 ああ、いるよ。
明 智 すみません、ちょっとお起こしして下さい。
岩 瀬 なんだ、まったく。
明 智 早く!
岩瀬、舞台奥で早苗を起こしている。
と悲鳴が聞こえる。
岩瀬、ネグリジェを着た人形(ダッチワイフ)を連れてやってくる。
岩 瀬 早苗のかわりにこんな人形が!!
明 智 なんてことだ!
緑川夫人 (高らかに笑う)まあ、大の男が二人揃って、人形の番をしていたってわけね。
岩 瀬 どうしてくれるんだ。月に百万も払ってるのに。明智くん、いったい、早苗はどこに行ったんだ。
緑川夫人 岩瀬さん、ムダですわ。明智さんは、賭のことで頭がいっぱいなんですから。この人はこれで探偵をやめなきゃならないんですのよ。
明 智 奥さん、証拠の品にそうたくさん指紋をつけてもらっては困ります。
緑川夫人 でも、ほんとよくできてるわ、この人形。
そこへ、電話がかかってくる。
明 智 ああ、そう。三十分? だめだ、三分で来たまえ。
緑川夫人 何ですの?
明 智 僕の優秀な部下、少年探偵団の小林少年からですよ。もっと早くかかってくるかと思ってたんだが‥‥。
岩 瀬 明智さん、何、のんきなことを言ってるんです。早苗はどうしたんです。犯人はどこに行ったんです。
明 智 あわてることはありません。犯人なら、ここにいますよ。
岩 瀬 何を言ってるんだ。ここには私とあんたしか‥‥
明 智 ご紹介します、こちらにいらっしゃる美しいご婦人が、黒蜥蜴という珍しい女賊です。
緑川夫人 まあ、黒蜥蜴ですって? 明智さん、あんまりショックを受けたんで、おかしくなってしまったんじゃありません。ねえ、岩瀬さん?
岩 瀬 そうだ、この奥さんに限って‥‥。
明 智 奥さん、あなたのお友達の山川健作さんがあれからどこへ行ったのかお知りになりたくありませんか?
緑川夫人 まあ、何のことでしょう。
明 智 山川氏は、このホテルからタクシーに乗って大阪駅に向かった、大きなバッグを持ってね。まさか私の犬のように忠実な部下が尾行してるとも知らずに。そして大阪駅から新幹線で東京方面へ向かう。と思いきや、すぐに次の駅で降りて、ちょうど向かいのホームに来ていた新大阪行きの新幹線に乗り込む。山川氏にはまんまと逃げられてしまったそうですが、そんなときもまた落ち合う場所は決まってるはずだ。だが、奥さん、その計画も水の泡ですね。
緑川夫人 何をおっしゃってるのか全然わかりませんわ。
そこへ小林少年が登場。息が荒い。
小林少年 明智先生!
明 智 小林くん! ジャスト三分。さすがだね! 早苗さんは?
小林少年 ここにいます。
カバンを床に置くと、早苗が登場。
早 苗 お父様!
岩 瀬 おお、早苗。よく無事で。明智さん、やっぱりあなたは世界一だ、本物の探偵だ。月給をこれから百五十万にしよう。
明 智 三百万にしてください。
岩 瀬 ああ、いいとも。早苗!
早 苗 お父様!
明 智 さあ、観念したらどうだ、黒蜥蜴!
緑川夫人 ‥‥私の負けね。
緑川夫人、うなだれる。
と思いきや、ピストルをみんなにつきつける。
明 智 あ、そのピストルは!
黒蜥蜴 さっき拝借したのよ。さあ、みんな手を挙げてちょうだい。パラパラを踊るときみたいに元気よく。
みんなパラパラを踊る。
黒蜥蜴 さすがは天下の名探偵明智小五郎。でも、詰めが甘かったわね。悪いけど、この部屋の鍵も一緒にいただいておいたわ。
明 智 しまった! なんてことだ!
岩 瀬 なんて間抜けなんだ!
黒蜥蜴 じゃあ、みなさん、ごきげんよう。早苗さん、私はね、宝石も大好きだけれど、きれいなお嬢さんにも御執心なの。とくに、ニセモノのね。動かないで。きっと、またお会いするわ。
黒蜥蜴、去っていく。と、みんなは後を追う。がすぐにそれをピストルで制して。
黒蜥蜴 (ドレスの袖をまくって)この刺青にご用心。よーく覚えておいてちょうだい。
「黒蜥蜴」と書いてある。
岩 瀬 黒やもり?
明 智 黒みみず?
小林少年 黒‥‥読めないや。
早 苗 黒つちのこ?
黒蜥蜴 黒とかげ!!(気づいて)あ、間違えたわ(逆の手をまくり上げる。そこには怪しい「黒蜥蜴」の模様の入れ墨)こっちよ、こっち。よーく覚えておいてちょうだい。この黒蜥蜴を。じゃあ、ごきげんよう。
音楽が流れ出す。
黒蜥蜴は、部屋を出て、鍵をかけると、向かいの自分の部屋で着替え始める。
その間、こちらの部屋は大騒ぎ。
明智、電話をする。
明 智 フロントか? 黒蜥蜴が逃げた。すぐ捕まえてくれ。ああ、緑川夫人だ。いいかい、誰も外に出しちゃだめだ。いいね。それから合い鍵を持ってきてくれ。五二二号室だ。
その間に、黒蜥蜴は、男装している。
ドアを開けて廊下に出てゆく。
小林少年 先生。
明 智 なんだ?
小林少年 ちょっとお話が。
明 智 うるさい!
小林少年 とっても大事なことなんですけど。
明 智 それどころじゃないんだ。ドアをなんとか開けないと。
小林少年 このドア、中からは開くんじゃないですか?
明 智 あ! 何で、それを早く言わないんだ!
明智、ドアを開けて、廊下に出る。ちょうど外に出た黒蜥蜴とぶつかる。
明 智 あ、失礼。よし、こっちだ! 待て! 黒蜥蜴!
明智の号令でみんないっせいに舞台奥へ走っていく。
黒蜥蜴 (客席に向かって)ねえ、みなさん。明智ってすばらしいと思いません? ちょっとドジだけど。
黒蜥蜴、明智たちとは逆の方向へ悠然と去っていく。
*******
場面変わって、黒蜥蜴のアジト。
黒蜥蜴の母・赤蜥蜴とその部下の侏儒、そして山川、今はもう雨宮が登場する。
少し遅れて、男装のままの黒蜥蜴がやってくる。
黒蜥蜴 ただいま。
赤蜥蜴 ああ、おかえり。やっぱり、いいね、お前のスーツ姿は、まるでターキーを見ているようだよ。
侏 儒 (うれしそうに)タッキー?
赤蜥蜴 ターキーじゃよ。水ノ江滝子。
侏 儒 赤蜥蜴さま、水ノ江滝子って誰ですか?
赤蜥蜴 おや、知らないのかい?ターキーっていえば「独占・女の六十分」の‥‥。
黒蜥蜴 無理よ、お母様。その子の母親が生まれる前の話でしょ? 私も知らないわ。
雨 宮 (侏儒に)タッキーっていうのは無理があるよね。
侏 儒 そうだよね。
黒蜥蜴 (聞きとがめて)雨宮!
雨 宮 はい!
黒蜥蜴 いいえ、山川健作さん。とんだドジをふんでくれたもんね。
赤蜥蜴 おや、また失敗かい? 情けないねえ。
黒蜥蜴 お母様、この次は必ず。
赤蜥蜴 あんな早苗なんて小娘どうだっていいじゃないか。大事なのはあの「エヂプトの星」。世界一大きくて美しいダイヤモンドじゃよ。
黒蜥蜴 そうね、たしかに魅力的だけれど、あんなダイヤ、そのへんにたくさん転がってるじゃありませんか。
赤蜥蜴 あの「エヂプトの星」がほしいんじゃよ。あれでなくっちゃだめなんだよ。
黒蜥蜴 はいはい、わかりました。じゃあ、着替えてきますわ。
赤蜥蜴 そのままでいいじゃないか。
黒蜥蜴 やっぱりドレスじゃないと、落ち着かなくって。
赤蜥蜴 (ため息)あーあ、私はお前をこんなふうに育てたつもりはなかった。
黒蜥蜴 お母様、私は育てられたんじゃありませんわ。自分一人で育ったんです。
赤蜥蜴 またいっぱしな口を。
黒蜥蜴 お母様はもう引退した隠居の身の上。もうお年なんですから、素直に私の言うことを聞いていればよろしいの。
赤蜥蜴 その「私」って言い方だけでも、どうにかならないかね。どうにも気持ちが悪いんじゃよ。
黒蜥蜴 このメークで「僕」って言った方がもっと気持ち悪いでしょう。
赤蜥蜴 この頃後悔してるんじゃよ、引退して、「黒蜥蜴」の名をお前に譲ったことを。カンバックというのはどうじゃろうな。
黒蜥蜴 もう遅すぎますわ。
赤蜥蜴 どうしてもほしいんじゃよ、あの「エヂプトの星」が。ほしいんじゃよ。
黒蜥蜴 わかりました。じゃあ、私が、僕が手に入れてあげますから。おとなしくしてて下さい。
赤蜥蜴 頼んだよ。親孝行な息子を持って私は幸せもんだよ。
赤蜥蜴、退場。
黒蜥蜴 どう思う、お前たち。やっぱり少しボケてきたのかしら?
雨 宮 そうですね。
侏 儒 かなりイッちゃってますね。
黒蜥蜴 ねえ、お前たち、お母様には内緒よ。私の本当の夢はね、世界中の本物をみんな集めて、それをみんなこの世から無くしてしまうことなのよ。だから「エヂプトの星」だって、きっと手に入れてみせる。この世から無くしてしまうために。見ててごらんなさい。なんて素晴らしいんでしょう。世界中がニセモノばかりになったら‥‥。
*******
場面は東京に変わっていく。
けたたましい「東京の歌」が流れる。
そうこうするうちに、ここは、東京、岩瀬邸の台所。
家政婦ひな。女中の夢子、そして小林少年が話している。
家政婦ひな あの用心棒たちときたら、ほんとに大食らいだこと。
女中夢子 でも、すっごいたくましいの。イカすわ!
家政婦ひな まあ、あれだけの大男たちが取り囲んでるんじゃ、猫の子一匹、このお屋敷には入ってこれまいね。
小林少年 僕たち「少年探偵団」もついてますから。
女中夢子 かわいい!(今風のアクセントで)
小林少年 子供扱いしないで下さい。
女中夢子 だって、子供じゃない。子供! 子供!
小林少年 なんだとお。
女中夢子 「探偵団」とか言っちゃって、一人しかいないくせに。一人! 一人!
家政婦ひな 仲良くおし。今日は旦那様はお留守。奥様は朝からヒスばかり。私たちはさっさと晩ご飯の支度をしないとね。ぐずぐずしてると。またどんな雷が落ちるか?
岩瀬夫人の声 (スピーカーから)ひなさん! ひなさん!
家政婦ひな (マイクにむかって)はい、奥様。
岩瀬夫人の声 (スピーカーから)早苗には、とびきり上等のステーキを頼むざますよ。いいざますね。
家政婦ひな (マイクにむかって)はい、かしこまりました。(独り言)くわばら、くわばら。
女中夢子 早苗お嬢様ったら、この頃、何だか元気ないのよ。
家政婦ひな 座敷牢にとじこめられてるんだもの、おかわいそうに。
小林少年 でも、警戒は厳重にしとかないとね。明智先生が言ってたけど、黒蜥蜴っていうのは、ほんとにずるがしこい、ものすごい女盗賊なんだって。
女中夢子 これだけ大勢で取り囲んでたら、いくら黒蜥蜴だって、このお屋敷に入り込めるわけないわ。私たちだって、写真入りの通行証がなきゃ入れないんだもの。ほら(と見せる)。
小林少年 あ、プリクラだ。僕も持ってるよ。ほら。
女中夢子 あ、かわいい!(今風のアクセントで)
家政婦ひな やれやれ。おや、ピアノの音だ。
それが合図だったかのように、ピアノの音が聞こえてくる。
女中夢子 お嬢様、あんなにピアノ、上手だったかしら?
小林少年 他にすることがないから、練習して、上達したんじゃないの。座敷牢で。
女中夢子 でも、あんなにきれいな座敷牢ってある? 昨日も旦那様が、新しいソファを買ってらしたのよ。
家政婦ひな いったい、いくらするんだろうね。私たちには想像もできないくらいの値段だよ、きっと。
女中夢子 とってもゴージャスなピンク色のソファなのよ。すっごいオシャレ。ステキだわ。
岩瀬夫人登場。ガミガミとうるさい。
岩瀬夫人 おまえたち、何をおしゃべりしてるんざます。おしゃべりさせとくために、お給金払ってるわけじゃないざますよ。(小林少年に)あ、坊や。坊やは、早苗を見張っててほしいざます。
小林少年 坊やって‥‥。
岩瀬夫人 行くざますよ。
岩瀬夫人と小林少年退場。
とピアノが止む。
家政婦ひな おや、どうしたんだろう?
岩瀬夫人の悲鳴が聞こえる。
夫人はすぐに走ってくる。
岩瀬夫人 なんてことざます。酔っぱらいが早苗の部屋に入り込んで、ソファの上にゲロを吐いて眠り込んでるんざますよ。
ひな・夢子 え、ゲロ?
岩瀬夫人 ええ、ゲロ、ゲロざます! 早くなんとかしてちょうだい。
家政婦ひな かしこまりました。ソファは張りかえなくっちゃいけませんですね。旦那様がお知りになったら、きっと雷が落ちますから。
岩瀬夫人 早く、家具屋を呼んで張り替えさせるざます。夢子さんは早く、用心棒に言って、あの酔っぱらいをつまみ出すざます!
女中夢子 はい。
岩瀬夫人 ほんとにどこから入ってきたのかしら? まったくもう、ゲロなんて! そうだ、ひなさん、家具屋に大至急、電話、頼んだざますよ!
家政婦ひな はい、かしこまりました。
岩瀬夫人と夢子大急ぎで退場。
ひな、辺りを見回してから、電話をかける。
家政婦ひな (暗号でしゃべる)黄色い獅子、黄色い獅子。夜の髭と朝の尻尾。美しい空は夕焼けで紫色になりました。男の首からは女が生まれ、女の耳からは海老が生まれたのです。山の中で人が燃え、人の中で海が燃える。え?‥‥海老です。黒蜥蜴様、海老です。「何なのそれは?」って‥‥、「暗号で話せ」っておっしゃったじゃありませんか? 「全然わかんなーい」って、そんな。(ヤケになって)わかりました。万事うまく行ってますから、予定通りお願いします。
電話を切る。
そこへ岩瀬夫人が酔っぱらいをつまんでやってくる。酔っぱらいは変装した雨宮。小林少年は、後をついてくる。
岩瀬夫人 けっ! 一昨日来やがれ!
夫人、酔っぱらいを部屋の外へ放り出す。とってもたくましい。
岩瀬夫人 ああ、汚かったざます。ひなさんお手拭きちょうだい。
家政婦ひな はい。
ひな、手拭きを渡す。
すぐに夢子が走ってくる。
女中夢子 大変、大変!
岩瀬夫人 どうしたんざます?
女中夢子 大変です、奥様。早苗お嬢様がいらっしゃいません!
岩瀬夫人 何ですって? あ、そういえば。うっかりしていたざます。
女中夢子 どこに行っちゃったのかしら?
小林少年 お手洗いじゃないですか? トイレ。
岩瀬夫人 すぐに家中のトイレを探すざます。用心棒たちにも言いつけるざます!
女中夢子 早苗お嬢様!
小林少年 早苗さん!
岩瀬夫人 早苗、早苗!
夢子、小林少年、岩瀬夫人退場
家政婦ひな (二人に向かって)私はこちらを探してみますわ。
ひなは探そうとする気配がない。
夢子がまたやってくる。
女中夢子 あ、ひなさん、見つかった?
家政婦ひな 見あたらないんだよ。それよりも、夢さん、家具屋さんがソファを引き取りに見えたようだよ。門番に言って、通してあげておくれ。
女中夢子 ええ、わかったわ。
岩瀬夫人が登場。
岩瀬夫人 早苗、早苗。どこに行ったんざます、早苗?
岩瀬夫人退場。
すれ違いに家具屋がやってくる。家政婦ひなと目配せ。
すぐに退場して、ソファをかかえて戻ってくる。さっき話に出た、とってもゴージャスなピンク色のソファ。もちろん中には早苗が閉じこめられている。
家具屋たち、台所を通って外へ‥‥
岩瀬夫人が登場して‥‥
岩瀬夫人 (家具屋たちに)いいざますか、完全にきれいにするざますよ。ちょっとでもゲロの染みがのこったりしたら承知しないざますからね。
家具屋たち へえ。
岩瀬夫人 けっこうざます。
家具屋たち退場、
車の発進する音。
岩瀬夫人 ほんとにどこへ行ってしまったのかしら?
家政婦ひな 奥様、私もう一度お部屋を見て参ります。
岩瀬夫人 ええ、そうしてちょうだい。ほんとにお前は頼りになるわ。
ひな、会釈して退場。
すぐに明智がやってくる。
明 智 早苗さんがいなくなったっていうのは、本当ですか?
岩瀬夫人 明智さん、あなたの言うとおりにしていたのに、早苗がいないんざますよ。ああ、どうしましょう。
明 智 奥さん、今、そこですれちがったのは、誰ですか?
岩瀬夫人 ソファの張り替えを頼んだ家具屋ざますよ。酔っぱらいがゲロを吐いたソファを張り替えに‥‥
明 智 何ですって?
岩瀬夫人 だから、ゲロざますよ。
明 智 そうじゃなくて。何てことだ!
岩瀬夫人 どうしたんざますか? もう、そんなことより、早苗を早く見つけるざます。早苗! 早苗! どこに行ったんざます、早苗?
岩瀬夫人、探しに出かける。
小林少年が走ってくる。
小林少年 (土下座)先生、申し訳ありません。僕がついていながら。
明 智 (余裕)いや、だいじょうぶ。ちゃんと手は打ってある。
小林少年 よかった。さすがは、明智先生、あの家具屋がニセモノだったこと、ちゃんとお見通しだったんですね?
明 智 なに?
小林少年 ええ、今、問い合わせてみたら、張り替えの注文なんて受けてないって。
明 智 は?
小林少年 聞こえていたピアノの音は、録音だったんです。ラジカセがずっと回ってました。
明 智 な、何だとお!
小林少年 ‥‥ご存じなかったんですか?
明 智 ‥‥ふ、ふ、ふ。やるな、黒蜥蜴。
小林少年 感心してる場合じゃないじゃないですか! すぐ追っかけなきゃ。
明 智 うん。
二人、飛び出して行く。
*******
黒蜥蜴のアジト。
黒蜥蜴 ひな夫人を呼びなさい。
雨 宮 かしこまりました。
雨宮、家政婦ひなを連れて来る。さっきとは打ってかわった、怪しい衣装。
ひな夫人 お呼びでございますか?
黒蜥蜴 ひな夫人。おまえさんは立派だったわ。早くから岩瀬邸に住み込み、耐え難い苦労を耐えて、ついに昨日の大業を成就しました。あの暗号の電話はいまいちよくわからなかったけれど。
ひな夫人 黒蜥蜴様がおっしゃったんでございますよ。暗号でって。私はいやだって言ったのに‥‥。
黒蜥蜴 とにかく、その業績により特別に「爬虫類」の位を授け、これからは「青い亀」という由緒ある名で呼ぶことにします。それから、ご褒美として、二十カラットのサファイアをあげましょう。侏儒!
侏儒に命じて、ひな夫人にサファイアを渡す。
青い亀 (受け取って)まあ、こんなものをいただいて、どうお礼を申し上げていいやら。
黒蜥蜴 心配しなくていいのよ。誰が見ても見分けがつかない巧妙なニセモノだから。鉱山から本物を掘り出す何百倍もの手間と時間とお金をかけた豪華なニセモノ。心して身につけておくれ。
青い亀 ありがとうございます。(侏儒に)うれしいかい?
音楽が流れ出し、ひな夫人改め「青い亀」、侏儒と一緒に喜びのダンスを踊る。
踊りながら、二人退場。
黒蜥蜴 青い亀、どこに行くの? 青い亀! もう侏儒まで一緒になって‥‥
と赤蜥蜴が登場。
赤蜥蜴 私には何もくれないのかい?
黒蜥蜴 お母様。お母様は、何もしないで、一日ここにいたじゃありませんか?
赤蜥蜴 また、そうやって、わしをいじめるんじゃね。この嫁は。
黒蜥蜴 私はいじめてもいないし、嫁でもありません。娘です。
赤蜥蜴 息子だよ。
黒蜥蜴 もう、こういうところだけ、しっかりしてるんだから。
雨 宮 まだらボケってやつですか?
赤蜥蜴 ああ、「エヂプトの星」がほしいよ。「エヂプトの星」「エヂプトの星」‥‥。
黒蜥蜴 わかりました。すぐに手に入れてあげますから。
赤蜥蜴 ほんとかい?
黒蜥蜴 ほんとです。
赤蜥蜴 ほんものだよ。ほんもののエヂプトの星だよ。いつもみたいなニセモノじゃなくて。
黒蜥蜴 大丈夫です。だから、安心して待っててちょうだい。
赤蜥蜴 ああ、よかった。じゃあね。ああ、お腹が空いた。晩ご飯はまだかい?
黒蜥蜴 今、食べたばかりじゃないですか。まったくもう‥‥
赤蜥蜴、退場。
黒蜥蜴 さてと。早苗さんはちゃんと閉じこめているでしょうね。
雨 宮 ええ、ご心配なく。しっかりと部屋に鍵をかけて、その鍵はここに。
黒蜥蜴 そう、あの娘はお前に任せるとしよう。頼んだからね。
雨 宮 黒蜥蜴様、僕はいつになったら、爬虫類になれるんでしょう?
黒蜥蜴 お黙り! 大阪であんなドジをふんでおいて厚かましい。
雨 宮 じゃあ、両生類でもいいんですけど。
黒蜥蜴 両生類?
雨 宮 ええ。カエルでもオケラでもミミズでも、なんだっていいんです。黒蜥蜴様に名前をつけていただけるなら!
黒蜥蜴 ミミズ! ああ、私のこの「黒蜥蜴」の刺青を、「黒ミミズ」と読んだバカな男、明智小五郎。
雨 宮 畜生、僕の黒蜥蜴様に何てことを! 殺してやる!
黒蜥蜴 お待ち、雨宮。余計なことをおしでない。
雨 宮 ‥‥黒蜥蜴様は、もしや、あのバカな探偵に恋をしてらっしゃるのでは?
黒蜥蜴 私が恋だって?(笑う)馬鹿なことを言うんじゃない。私が恋。しかもあんな間抜けな男に。
雨 宮 だからこそなんじゃないですか?
黒蜥蜴 お聞き、雨宮、私の心にはね、誰も立ち入ることなんかできないんだ。いいかい、あの明智って男はね、自分がホンモノの男、ホンモノの探偵だってことを鼻にかけてる、いやみな奴。どこにでも転がってる俗物さ。
雨 宮 でも‥‥
黒蜥蜴 初めて会った夜のお前は、そんな七面倒臭い理屈をこねまわしたりはしなかった。
雨 宮 初めて会った夜‥‥
黒蜥蜴 五月の夜、公園のベンチに、お前は一人腰掛けていた。そこが有名な「ハッテン場」だとも知らずに。
雨 宮 世の中がつまらなくて、ずっと書いていた絵もちっとも売れずに、貧乏でひとりぼっちで、僕はどうやったら死ねるだろうと考えていた。そのとき、豪華な車が止まって、あなたが降りてきた。そこらを散歩している。
黒蜥蜴 イイ男がいないかと思って物色してたの!
雨 宮 やがて立ち止まって僕の方を見た。あなたは黒づくめの洋服を着ていた。そうしてこの香水の匂いが静かに近づいてきたんだ。
黒蜥蜴 あのときのお前はなんて美しかったんだろう。死ぬことを考えている人間はなんて美しくなれるんだろう。
雨 宮 あなたは僕に微笑みかけた。僕はその瞬間にとりこになった。思わず、あなたにキスをした。すると、あなたは笑って、僕の唇をハンカチで拭いてくれた。そのときから、僕は何もわからなくなった。
黒蜥蜴 クロロフォルムのハンカチ。なんてロマンチック。そうして、おまえは私の美しい人形になるはずだった。ところがどうだろう。気が付いてからのお前のあばれよう。その醜かったことといったら。
雨 宮 それを言わないで下さい。
黒蜥蜴 お前を助けたのはね、「命を助けてくれれば一生奴隷になる」というお前の誓いに呆れたからだわ。
雨 宮 それ以来、僕はあなたの忠実な奴隷です。あなたの言うまま、あなたが盗み出した古今東西の名画の複製を描いては、本物とすり替える。ゴッホもルノアールもダヴィンチも、僕はあなたの言うままに模写をしてはオリジナルを焼き捨てた。おそろしいことだ。黒蜥蜴様、そうして、僕は、もうすっかりあなたの片腕になっているんじゃないんですか?
黒蜥蜴 お黙り!
雨 宮 ‥‥。
黒蜥蜴 さあ、これから、早苗と引き換えに「エヂプトの星」を手に入れるための脅迫状を書くんだ。うまく書けたら、その後で、たんと鞭で打ってあげよう。いいね?
雨 宮 ‥‥はい。
黒蜥蜴と雨宮、退場。
*******
明智の事務所。明智小五郎が一人。
小林少年が走り込んでくる。
小林少年 先生、大変です。黒蜥蜴から脅迫状が来たそうです。岩瀬邸から連絡が来ました。
明 智 やっぱり来たか。予想通りだ。読んでくれ。
小林少年 はい。「昨日はお騒がせして恐縮。お嬢さんはたしかにお預かりしました」
小林少年が読んでいる途中で黒蜥蜴の声が重なって聞こえる。小林少年は口ぱく。
黒蜥蜴の声 早苗さんを私から買い戻す気はありませんか? もしそのお気持ちがあるなら、左の条件によって商談に応じてもよろしくってよ。代金、ご所蔵「エヂプトの星」一個。
明 智 そうら来た。
黒蜥蜴の声 支払期日、明日、午後六時。支払い場所、東京タワー大展望台。岩瀬庄兵衛氏単身にて右時間までに現品を持参のこと。もし警察に連絡したり、私を捕まえようとしたりしたら、すぐに早苗さんを殺しちゃうから。明智? あのドジな探偵なら別にいいわ。知らせようとどうしようと好きにして。どうせ手も足も出ないでしょうから。ホ、ホ、ホ(高らか笑う)。黒蜥蜴より。
終わりの方で、小林少年の声がお約束なかんじで戻ってくる。
小林少年 畜生、黒蜥蜴め。いい気になりやがって!
明 智 岩瀬さんは、何と言っていた?
小林少年 早苗さんの命には替えられないから、「エヂプトの星」を手放すそうです。先生、「エヂプトの星」って時価二十億もするんですか?
明 智 ああ。この頃は少し安くなったらしいけどね。
小林少年 うわさで聞いたんですけど、黒蜥蜴は、世界中の美術品を盗んでは、こっそりニセモノにすりかえて返しておくって本当なんですか。美術品の持ち主も保険金が入るからちっとも困らないし、かえって儲かる。ただ、世界中には僕等の知らないうちにそんなニセモノばかりがどんどん増えてるって‥‥。
明 智 ああ、そうだよ。「モナリザ」も「ひまわり」もとっくにやられた。
小林少年 でも、何だってあいつはそんな面倒くさいことをするんでしょう? ただ盗むだけじゃなくって、ニセモノとすり替えるなんて。今回の事件だってそうです。一人二役、ソファのトリック。こういっちゃなんだけど、ダサダサじゃないですか?
明 智 そのダサダサにしてやられたのは僕達だよ。
小林少年 ていうか、先生です。
明 智 そうだった。きっと黒蜥蜴は、女でさえジーンズをはく今の世の中で、犯罪だけはきらびやかなドレスの裾を五メートルも引きずってるべきだと信じてるんだよ。ドラァグ・クィーンみたいに。
小林少年 またわけのわからないことを。先生、どうします。この脅迫状。黒蜥蜴のやつ、先生のことを完全にバカにしてますよ。
明 智 そうだな。どうしようか?
小林少年 ちょっと作戦を考えたんですけど‥‥。
明 智 いっそ、裏をかいて、何もしないでほっとくっていうのはどうだろう。黒蜥蜴のやつ、さぞくやしがるだろうな。
小林少年 先生‥‥。
明 智 いや、冗談だよ。あいつは今頃、どこで何をしてるんだろうか?
小林少年 先生はどうやら、黒蜥蜴に惚れてらっしゃるみたいですね。
明 智 ああ、そうかもしれない。
小林少年 先生‥‥。
明 智 しかし、僕の惚れ方は、相手の手も握らずに、相手をぎりぎりの破局までおいつめることしかないんだよ。小林くん、晩飯でも食ってきたまえ。僕はもう少しここで仕事をしている。
小林少年 はい。(独り言)畜生、黒蜥蜴め!
小林少年退場。
遠くに黒蜥蜴の影が浮かぶ。
明 智 この部屋に広がる黒い闇のように。
黒蜥蜴 あいつの影が私を包む。あいつが私をとらえようとすれば、
明 智 あいつは逃げてゆく、夜の遠くへ。しかし、夜汽車の赤いテールランプのように、
黒蜥蜴 あいつの光がいつまでも目に残る。追われているつもりが追っているのか。
明 智 追っているつもりが追われているのか。
黒蜥蜴 そんなことは私にはわからない。でも‥‥
明 智 男の中の男、明智小五郎が。
黒蜥蜴 男の中の女、怪盗黒蜥蜴が。
明 智 ホンモノの名誉にかけて。
黒蜥蜴 ニセモノの誇りにかけて。法律が私の恋文になり。
明 智 牢屋が私の贈り物になる。
二 人 そして、最後に勝つのはこっちさ!
暗 転
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