二人でお茶を
TEA FOR TWO

作・関根信一

登場人物

西野亮平
宮内健人

この劇はすべて、札幌市内のホテルの一室で行われる。

一場 一九八〇年十一月のある日
二場 一九八五年十一月のある日
三場 一九九一年十一月のある日
四場 一九九五年十一月のある日
五場 二〇〇〇年十一月のある日
六場 二〇〇五年十一月のある日

*            *            * 

第一場

時:
 一九八〇年、十一月のある日。

所:
 札幌市内、それでも市の中心部からは少し離れたところにあるホテルの一室。
 壁や室内の調度には木材が多用されている、この物語が始まる八〇年代には、すでにやや古めかしい印象を与えるかもしれない、重厚なつくり。
 高級感とは違う落ち着いた雰囲気が、部屋には漂っている。それはちょうど、学生が受験勉強をここでしたら、さぞ集中できるだろうというかんじ。実際、北大の受験生はこのホテルによく宿泊しているはずである。むだなものは何もないシンプルなつくりは、どこかそんな勉強部屋が自然ともっている若者のまっすぐさと飾り気のなさに通じるところがある。
 部屋の調度は、やや大きめのベッドに、木でできた机と椅子。壁に埋め込まれたクローゼット。バスルームへ通じるドアと廊下に通じるドアがこの部屋にはあるのだが、舞台上には見えていなくてもいい。
 ベッドサイドの小さなテーブルには、クリーム色のプッシュホンの電話がおいてある。この物語がたどる二十五年の歳月の間には、通信手段はどんどん変化していくが、この電話は最後の場面までかわることなく同じ位置にある。もっとも、その存在はどんどん小さくなっていくのだが。
 電話同様、部屋の調度と室内装飾は何ひとつ変わらない。毎年訪れる受験生たちが、顔ぶれは変わるものの「若者である」ということには変わりがないように。
 何一つ変わらない部屋の中で、二十五年の歳月を生きる二人の登場人物は、時間の波に洗われ晒されて、変化し続けていく。もっとも、彼ら自身は、その変化にはあまり気づいていない。
 三階にあるこの部屋の窓からは、初雪でうっすらと白くなった山々が見えるかもしれない。どんどん開発が進む市内の風景とは別に、この景色も二十五年間変わらない。

 舞台が明るくなると、ベッドで亮平と健人が眠っている。
 亮平が目をさます。寝ぼけながら、ベッドサイドにおいた腕時計を手に取り驚く。となりで寝ている健人を見て、もっと驚く。
 起こさないように、ゆっくりベッドから降りて、服を着始める。
 床に脱ぎ散らかしたスーツをゆっくりと着始める。まずはシャツから。
 続いて、立ったまま靴下をはこうとするが、うまくいかず、倒れてしまう。
 大きな音がする。そして、とっても痛い。
 健人が目を覚ます。

亮平 ……どうも。
健人 ……どうも。
亮平 ……ゆうべは。
健人 ……そんな、こっちこそ。

 会話は終わってしまった。
 亮平は、勇気を出して、話し始める。

亮平 さすがに冷えるね。冬の札幌は。あれ、ヒーター入ってないのかな? もう十一月だってのに。こっちじゃ普通?
健人 内地の人?
亮平 内地?
健人 あ、東京?
亮平 そうそう。
健人 東京の人なんだ。
亮平 ……。

また終わってしまった。

亮平 寒いな。
健人 服着たら?
亮平 あ、そうだね。

亮平、服を着始める。

健人 急いでるの?
亮平 モーニングコール頼んでるのに、すっぽかされた。ヒーターのことと一緒に文句言ってやる。

亮平、電話に手を伸ばす。

健人 電話ならかかったよ。ずっと鳴ってたけど、あんた起きなかったんでないの。
亮平 ほんとに?
健人 それと、ヒーターも。夜中、自分で消してたよ。そこのスイッチで。
亮平 (少し思い出す)汗っかきなんだよ。なんていうか、こう……
健人 うん、すごかった。
亮平 ……

健人 急ぐんなら、僕も起きねばね。
亮平 別に急いでるわけじゃないよ。まだゆっくりしてて……
健人 シャワー借りていいですか?
亮平 どうぞ、どうぞ。

健人、床にちらばった服を手にして、洗面所に消える。
見送る亮平。
シャワーを浴びる音が聞こえてくる。
健人が歌う「哀愁でいと」(田原俊彦)も聞こえてくる。
亮平、ベッドのそばに置いてあるゴミ箱を手に取る。
中を見て、ため息をつく。
と電話が鳴る。あわてて受話器をとる亮平。

亮平  はい、三〇二号室ですけど。あの、モーニングコール……。あ、やっぱり……。すみませんでした。もう起きましたんで。……いいです、朝食は。……いや、口に合わないとかそういうんじゃなくて、毎日、とってもおいしくいただいてるんですけど、今朝は食欲ないんで。はい、はい。じゃあ。

受話器を置いて、ベッドに腰掛け考えこむ。

左の薬指にはめていた指輪がなくなっていることに気がつく。
驚愕!
あたりを探し回る。机の上、床のまわり、ベッドのまわり、下。見つからない。
自分のバッグを手に取り、中を見てみる。どこにいってしまったんだろう。
観客にはすぐにわかることだが、彼にはゆうべ一晩の記憶がない。
頼りない記憶を頼りに、探すが見つからない。
と、離れたところにおいてある、見慣れないバッグが目に入る。健人のものだ。
どうしようかと思うが、やはり他人のバッグを開けるわけにはいかない。
何度もためらうが、それでも、思い切って、手に取り、開けてみることにする。
そこに、健人が出てくる。着替えを済ませている。この時代に流行ったチェックのネルシャツに学生服のズボン。

健人 (亮平を見て)何してんのさ?
亮平 いや、なんていうか……
健人 まさか、あんたそういう人なの? 置き引き? 詐欺師?
亮平 違うよ。
健人 じゃあ、それは何さ?
亮平 だから、ちょっと捜し物を。
健人 捜し物? 
亮平 いや、だから、まさかとは思ったんだけど。
健人 当たり前でしょう。そんなことするわけない。
亮平 僕もそう思ったんだけど、万が一ってこともあるから……
健人 あんた僕のこと疑ってるの?
亮平 いや、だからそうじゃなくて……
健人 何、さがしてるのさ?
亮平 まあ、大したものじゃないんだけどね。
健人 大したもんでないもの探すのに、会ったばかりの他人のバッグ探すんだ。
亮平 もしかしたらと思ったんだよ。
健人 なんで、あんたのもんが、僕のバッグに入るわけ? ちゃんと閉まってたでしょうや。もし、その中に入ってるとしたら、それは僕が、わざと入れて、またしめたってことでない? つまり、あんたは、僕をそういうふうに疑ったってわけなんだね。
亮平 だって、どこにもないんだって。
健人 何、なくしたの?
亮平 いや、だからほんとに大したもんじゃないんだって。
健人 話すすまないから、言ってみなって。ほれ!

亮平 ……指輪。結婚指輪。

健人、あわてて探し出す。

健人 結婚指輪? そんな知らないよ。ほら、ここには入ってない。(歩き回りながら)やだな、ちゃんと探したの?
亮平 探したよ。
健人 洗面所は?
亮平 うん。

亮平、洗面所へダッシュするが、すぐに戻ってくる。

亮平 ない。
健人 そうだよね。あんた、あそこ行ってないと思うし。
亮平 ああ、どうしたんだろう? どこに行っちゃったんだ。

亮平、部屋中をおろおろと歩き回る。

亮平 これで三度目だよ。もしも、ばれたら、殺される。もしくは離婚。
健人 三度目? こうやって男と泊まっては、そのたび指輪どっかやっちゃってるの?
亮平 そうじゃないよ、指輪なくすのが三度目。こんなことするのは、初めて。
健人 ……。
亮平 ねえ、僕、君に会ったとき、指輪してたかな?
健人 え?
亮平 頼む。思いだしてほしい。
健人 そんなの知らないよ、自分で思い出せばいいんでない?
亮平 それが思い出せないんだよ。
健人 は?
亮平 こんなこと言ったら気を悪くするかもしれないけど、正直に話すことにする。えーと、あなたは誰ですか?
健人 へ?
亮平 ごめん、どうやら、いろんなことしちゃったみたいだし、うまくごまかして話を続けようかと思ったんだけど、やっぱり無理だった。君は誰なんだ? なんでここにいるのかな?

健人 なんか前にもこういうことあったわ。
亮平 え?
健人 高校の同級生がうちに泊まりに来てなんとなくやってしまって、朝起きたときに言われたの。しらばっくれて「やあ、ゆうべは酔っぱらってたから、何にもおぼえてないや」って。
亮平 僕は、ほんとに覚えてないんだ。
健人 ほんとうに?
亮平 だったら、こんなに動揺してないって。
健人 どこで会ったかも覚えてないの?
亮平 うん。どこ?
健人 SA(エスエー)ビルの前。
亮平 SAビル?
健人 知らないの? ホモバーがいっぱい入ったビルでしょう。
亮平 いや、知ってるんだけど。そうか、あそこでか……
健人 あんた、べろべろに酔っぱらって寝っ転がってたんだよ。道ばたで。この時期の札幌甘く見ちゃダメだよ。酔っぱらって外で寝たら、すぐ凍死すっからね。浮浪者がいないでしょう、大通り公園。東京とはわけが違うんだから。
亮平 僕、指輪してたかな?
健人 覚えてない。
亮平 それからどうしたの?
健人 無理矢理タクシーに乗せたんだけど、運転手さんに「あんたも乗ってくれ」って言われて乗ったのさ。
亮平 いや、どうもありがとう。
健人 ほんとに覚えてないの? だって、ここのホテルの名前はちゃんと言ってたよ。降りるときにもオーバーの内ポケットから自分で財布出してたし。
亮平 その時、指輪は?

亮平、財布を出す仕草をしてみせる。

健人 わかんない。
亮平 それからどうしたの?
健人 帰ろうかと思ったんだけど、あんたゲロ吐いてしまって。ラーメン食べてたんだね。
亮平 それとジンギスカン。
健人 食べ過ぎたんでない?
亮平 いや、バーに飲みに行こうと思ったんだけど、なかなかふんぎりがつかなくて、飲み屋じゃなくって食べ物屋に行っては、ビールばっかり飲んじゃって。
健人 じゃあ、バー行ってないの? 帰りでないんだ。
亮平 うん。たぶんね。前まで行って、力つきたんだと思う。
健人 あれれ。
亮平 それから?
健人 玄関入って、フロントに寄ったら、かあさんが出てきて。「あらら」って。で、部屋の鍵くれた。
亮平 ちょっと待った。じゃあ、ここのフロントのおばちゃんは、知ってるのか? きみがここに泊まったことを?
健人 泊まったこと知ってるかどうかは知らないけど、来たことは知ってると思うよ。
亮平 うわ……。
健人 だいじょぶだって、なんだか普通だったよ。僕のこと「生徒さんですか?」って。あんたのことも先生って呼んで。あんた何の先生なの?
亮平 数学。予備校の教師なんだよ。今年から冬期講習前の特別講座で東京から来ることになって。
健人 ああ、それでなんだ。なるほどね。
亮平 ねえ、ずっと気になってたんだけど、君はなんで学生服来てるの? まさか高校生じゃないよね?
健人 大学生。応援団入ってるから。
亮平 ちょっとほっとしたよ。
健人 どういうことさ?
亮平 それから?
健人 エレベーターで三階まで来て、部屋入って帰ろうと思ったんだけど、あんた具合悪そうだからさ、洗面所で水くんできて、あんた飲んで。

たしかに机の上にはガラスのコップがおいてある。
亮平、コップを手にとってみる。

亮平 そのとき指輪は?
健人 おぼえてない。
亮平 それから?
健人 ねえ、これだけ話しても、まだ思いださないの?
亮平 うん。
健人 なんだか、だんだん腹がたってきた。
亮平 悪かったよ。で、それからどうしたの?
健人 水飲んだら、急に元気になっちゃって、すごい勢いでネクタイ外すと、あっという間に服全部脱いでしまって、びっくりしてる僕を抱きかかえて、ベッドにぽーんって放り投げて、あとはもう獣のように荒々しく……
亮平 ぽーんって?
健人 ぽーんって。
亮平 ほんとに?
健人 ほんとに。
亮平 ……。
健人 嘘だよ。ほんとに覚えてないかどうか試したの。
亮平 そうだよね、いくら酔っぱらってるからって、それはありえない。
健人 あんた、僕が帰ろうとしたら、手にぎって放してくれなくて。どうしようかと思ったんだけど、ま、いいかなって。
亮平 そのとき指輪は?
健人 ねえ、あんたも大変だったと思うけど、僕だって、大変だったんだよ。見ず知らずの酔っぱらいをようやく部屋まで連れてきたと思ったら、腕捕まれて放されないんだから。
亮平 どっちの手?
健人 え?
亮平 (健人の腕をつかんでみる)こんなかんじかな?
健人 うん。そうだった。
亮平 じゃあ、ここで問題だ。思いだしてみよう。この指に指輪はあったかな?
健人 あんた、ほんとうに先生なんだね。
亮平 いいから、答える。どっち?

健人 もう、やめよ、こんなことするの。なんだか、どんどん自分がみじめになる気がする。
亮平 そんな……
健人 だって、あんた何にも覚えてないんでしょう? だったら、いいよ。思いだしてくれなくて。

健人、ベッドに座り込んでうつむいてしまう。

亮平 ごめん、傷つけるつもりはなかったんだ。ほんとうにごめん。
健人 こんなこと言いたくないけど、ただの遊びだったんだね。お酒のいきおいで。いいよ、そんなだったら、もう何も言ってくれなくて。
亮平 いや、だから、そういうつもりじゃなくて、なんていうか……。僕も覚えてないことは、ほんとに残念で、思い出せるものなら、なんとか思い出したいなと思って。もちろん、指輪のこともそうだけど、君とのいろいろも。
健人 ……いいよ、無理しないでも。
亮平 無理じゃない。ほんとにそう思ってる。
健人 ありがとね。でも、いいよ、もう行くわ。さよなら。

亮平、立ち上がって歩き出した健人を、思わず抱き留めてしまう。
無言のまま抱き合う二人。
なんとなく、二人ベッドに倒れ込んでしまう。
このまま昨夜の再現かと思ったときに、亮平が声を上げる。

亮平 あっ!
健人 どしたの?
亮平 ちょっとごめん。

亮平、枕カバーの中を探し出す。指輪が出てきた!

亮平 あった!! あったよ。
健人 なんでこんなところに?
亮平 思いだしたよ。こんなふうにしてるときに外したんだった。
健人 (うれしい)よかったね。見つかって。
亮平 うん。

亮平 ゆうべはどうも。
健人 そんなこちらこそ。

健人 なんで、外したの、わざわざ。僕ならなんも気にしないのに。あ、奥さんに悪いか? そうだよね、これって、浮気だもの。しかも、相手は男だし。指輪なくして殺されるんなら、男と寝たことわかったら、どうなってしまうのかね?
亮平 そんなんじゃない。きみに悪いなあって思ったんだと思う。結婚指輪したまま、こんなことするなんてって。あ、今、そう思ったんだよ。そうしたら、思いだした。指輪外したことも、それまでのことも、そのあとのことも。

亮平 ……どうも。
健人 ……いや、なんも。気使ってくれたんだね。
亮平 そんなんじゃないって。
健人 でも、そんなことするくらいなら、最初から外してればよかったのに。バーに飲みに行くんなら、そのほうがずっといいんでないの?
亮平 まあ、そうなんだけど。それもなんだかおっかなくて。
健人 お守りがわり?
亮平 かもしれない。
健人 たしかにいるよね、左の薬指に指輪したまんま飲んでる親父さんたち。
亮平 ああ、そうなんだ。
健人 男の恋人からもらった指輪だったらいいのになあって、いつも思うんだよね。

健人 結婚して何年?
亮平 え?
健人 いいじゃない。話してくれたって。もう他人とは思えない。奥さんのこと。
亮平 はあ……
健人 いいから言ってみれって。何年?
亮平 二年。
健人 どこで知り合ったのさ?
亮平 大学のゼミのクラスメートでね。なんとなくつきあってるうちに、子供できちゃって。
健人 子供もいるの?
亮平 うん、一人。どうかした?
健人 ……なんも。(ため息)なんだ、あんたったら、結婚してるだけじゃなくって子供までいるホモなんだ。
亮平 ちょっと待った。僕はそんなもんじゃない。
健人 だって、奥さんも子供もいるんでしょ?
亮平 それはそうだけど。
健人 どこが違うのさ。
亮平 だから、その、今言った最後のところ……
健人 は?
亮平 僕は……じゃない。
健人 なんだって?
亮平 僕はホモじゃない。
健人 ちょっと待って。何、言うかな。あんなことしといて、よくそんなこと言えるね。
亮平 僕はホモじゃない。君とは違うんだ。
健人 僕とは違うってどういうことよ。
亮平 だって、そうじゃないか。
健人 違うよ.僕だって、ホモじゃない。
亮平 でも……
健人 いやなんだ。そうやって決めつけられるの。僕は、僕なわけでしょ? そんなホモだとか、オカマだとかって、呼ばれたくない。やめてくれるかな。
亮平 でも、男の人が好きなんでしょ?
健人 それはそうだけど。あんただって、そうでしょ?
亮平 それはそうだけど。
健人 じゃあ……
亮平 わかった。それじゃ、君はホモじゃないと仮定しよう。
健人 仮定?
亮平 そう。例えばの話。僕たちはゆうべ一緒に寝た。でも、君がホモじゃないとしたら、すなわち僕もホモじゃない。こういうことになる。これでいいだろ。
健人 いいのかな?
亮平 お互いに、ホモって言葉は口にしない。約束だ。これからは。
健人 これから?
亮平 そう。
健人 はい、先生。わかりました、先生。
亮平 じゃあ、そういうことで。
健人 ほんと先生だよね。高校の時の数学の先生とそっくりだわ。
亮平 あ、悪いんだけど、僕のこと先生って呼ぶのやめてくれるかな?
健人 だって、先生でしょや。名前知らないし。
亮平 西野亮平。
健人 (おどろいて)いいの、名前教えてしまって。
亮平 だって、助けてもらったんだし、そのくらい。おかしいかな?

短い間

健人 僕は、健人っていうんだわ。宮内健人。君って呼ばないで健人って読んでくれるとうれしいわ。
亮平 健人くん? 健ちゃん?
健人 いや、ただ呼び捨てで健人って。みんなそう呼んでるから。
亮平 わかったそうするよ。

短い間

健人 いつ帰るの、東京?
亮平 明日の朝。授業今日で終わるから。
健人 ……明後日から大雪だっていうから、よかったね。
亮平 うん。

健人 じゃあ、行くわ。
亮平 あ、そう。ちょっと待って。

亮平、財布を取りだして、健人に一万円札を差し出す。

亮平 あの、これ。お礼って言っちゃなんなんだけど。
健人 いらないよ。そんなつもりでしたんでない。
亮平 じゃあ、タクシー代。
健人 地下鉄通ったから、ここからなら、すぐに帰れる。二〇〇円もあれば。
亮平 でも、お礼をいいたくて。
健人 それならもう聞いた。お金はいらない。
亮平 ……じゃあ、二〇〇円でも。
健人 しつこい人だねあんたも。
亮平 そう?

亮平、出した札を財布にしまいかける。

健人 それじゃ、お金のかわりに話をしてくれないかな?
亮平 え?
健人 いっつも思ってたんだよね。やってしまったあと、どうして、しゃべっちゃいけないのかなって。たしかに、僕はおしゃべりなのかもしれないけど、何か言いかけると、「いいから、だまってろ」って、言われて。結局、相手が誰かもわかんないまんま、「それではね」って、別れて、それっきり。でも、先生はそうじゃないから。あ、亮平さんは。
亮平 そうかな?
健人 うん、名前も教えてくれたし。あんた変だよ。こんなの初めてだ。
亮平 僕は初めてだから。
健人 わかってる。そいじゃ、話そう。僕はもういいかげんしゃべった気がするから、あんたのこと話してよ。それが、その聖徳太子の代わり。
亮平 これあげるから勘弁ってわけにはいかないのかな?
健人 だめ、だめ。
亮平 でも、何を話したらいいか?
健人 あんた先生なんでしょ? しゃべるの得意なんでないの?
亮平 こんな格好で授業はしない。
健人 じゃ、服着る。僕はそのあいだにお茶でも入れようかな。

健人、ポットとカップを手に取る。

健人 あれ、一個しかないね。どうしようか? かあさんに言ってもってきてもらう?
亮平 いや、それはよそう。僕なら、いいから。
健人 そう、じゃあ、僕、もらうよ。

健人、一人でティーバッグのお茶を入れて、飲み始める。

健人 服着ないと。
亮平 ……。

亮平、服を着始める。

健人 着ながら話す。
亮平 ……そんな話すほどのことなんてないんだけど。おもしろくないよ。
健人 おもしろさとか、ものすごい話とか期待してないから。だいじょぶ。
亮平 そう? じゃあ、何話していいかわからないから、質問してくれるかな。そしたら答えるから。いいよ。何でも聞いてくれて。
健人 初恋は?
亮平 初恋って……。小学校一年のときにクラスの女の子。席がとなりだったんだ。
健人 そうでなくて、男の人好きになった、最初のこと。
亮平 中学一年のときに数学の男の教師が大好きだった。
健人 六年間に何があったの?
亮平 ……わからない。何があったんだろう? でも、そうなんだ。
健人 でも、結婚したってことは、女の人も好きなんだ。
亮平 女の人っていうか、彼女のことが好きだったんだ。別につきあってるつもりはなかったんだけど、いつの間にか、仲間内では恋人どうしってことになっちゃって。だったら、それでもいいかなって。
健人 男が好きなのに?
亮平 うん。だって、いつかは結婚しなきゃいけないんだと思ってたし。
健人 じゃあ、次の質問。男の人と寝たことは?
亮平 だから、初めてだって。
健人 なんだか信じられないんですけど。
亮平 あんなんで良かったのかな?
健人 ……良かったよ。
亮平 実を言うと、何年か前に、一度経験はしてるんだ。
健人 今、初めてって言わなかった?
亮平 寝たのは初めて。その時は立ったままだったから。
健人 立ったままでも寝たっていうんでないの?
亮平 そうなの?
健人 そうでしょ。で、誰と?
亮平 知らない人。映画館でとなりに座った人に誘われて……
健人 どんな人?
亮平 会社員。三〇過ぎくらいの。
健人 何の映画?
亮平 「未知との遭遇」。
健人 「未知との遭遇」?
亮平 でも、こんなことしてていいんだろうかって、ホントに悩んで。それもあって、彼女とつきあうことになってしまって。子供ができちゃったのも、もし、女の人とできなかったら、どうしようって、そう思って。

健人 ねえ、写真ある?
亮平 え?
健人 子供の写真。いつも持ってるんじゃないの? がんばりの結果が見たい。
亮平 そんなんじゃ……
健人 持ってないの?
亮平 あるけど……
健人 じゃあ、見せて。

亮平、さっきの財布から写真を取り出して、見せる。

健人 めんこいね。男の子なんだ。
亮平 うん。
健人 これは何?
亮平 僕の足。
健人 いいよね、こうやって、父さんの足に腕からませて立ってるのって。映画雑誌で見たことある。テイタム・オニールがライアン・オニールの足に腕からませて立ってるの。
亮平 そんなかっこよくないけど。
健人 僕の先輩はかっこいいよ。ちょっと似てるかも。
亮平 誰に?
健人 ライアン・オニールさん。

健人、胸ポケットから写真を出して見せる。

健人 どうぞ。

見てみる、亮平。

亮平 猫?
健人 へ?
亮平 だって、これ猫だし。

写真は、この頃はやった「なめ猫」。猫が学生服を着てポーズをとっている。

健人 (気がついて)あ、それは「なめ猫」。そうでなくて、こっち。

健人、写真を取り戻して、別のを渡す。

亮平 (受け取って見て)おお、いい男だねえ。ほんと似てるね、顎が割れてるところが。
健人 でしょや?
亮平 先輩かあ、いいねえ。ありがとう。

亮平、写真を返す。

健人 高校のいっこ上なの。僕もおっかけて今の大学。
亮平 大変なんじゃない、応援団?
健人 なんで?
亮平 いや、こんなこと言っちゃなんだけど、応援団にいるようなタイプじゃないなと思って。
健人 ま、そうなんだけどさ。子供の頃からずっとオカマとかホモとか言っていじめられてきたから、男っぽくなれたらいいなと思って。
亮平 なるほどね。
健人 でも、なんだか、マネージャーみたいになってしまって。みんなのお弁当作ったりとか、かえって女っぽい仕事ばっかり増えてしまって、逆効果だったかも。
亮平 スポーツ刈りにしたらどうかな? 応援団らしく。
健人 ダメなんだよ。高校の頃、思い切って丸刈りにしたらあだ名ついたんだもの、「尼さん」って。
亮平 ひどい友達だな。
健人 母親も一緒になって笑ってたしね。
亮平 え?
健人 ひどいっしょ。母一人子一人なのに。ゲラゲラ笑うんだもの。
亮平 ねえ、だいじょぶなの? だまって泊まって、心配してるんじゃない?
健人 平気、夜中に電話いれといたから。「友達のとこ泊まる」って。
亮平 今日、学校は?
健人 ない。
亮平 そう。
健人 いいんだ。もう、もうやめてきたから。
亮平 え? ほんとに?
健人 うん。
亮平 どうして?
健人 行っててもしょうがないかなって。
亮平 こういう立場だから言うわけじゃないけど、もったいない。考え直した方がいいよ。
健人 だって、奨学金もらって、なんとか入ったけど、やっぱり大変だし。
亮平 それだけの理由でやめるのはもったいないって。僕もずっと大学に残って研究続けたかったんだけど、子供できちゃったんで、あきらめて今の仕事始めなきゃならなかった。きっと後悔する。学校はやめちゃいけない。
健人 それって自業自得なんでないの?
亮平 しょうがないよ、子供できちゃったんだから。
健人 僕だってしょうがないのさ。だって、先輩に彼女できてしまって。ずっと一緒にいたのに。なんか、この頃、僕のこと避けるようになって。
亮平 それでやめたの? あきらめちゃうの?
健人 だって、先輩は僕のことなんて何とも思ってないんだから。いいんだ。
亮平 でも……
健人 いいんだって。もう諦めたから。十五から五年間ずっと大好きだったけど、もうおしまい。昨日そう決めたのさ。


亮平、健人の肩に手を掛ける。
またしても抱き合ってしまう二人。
亮平、指輪を外そうとする。

健人 いいよ、そのままで。またなくされるとかなわない。

亮平、それでも指輪を外して、ベッドサイドのテーブルに置く。
キスする二人。
抱き合って、ベッドに倒れ込む。

暗 転 

*            *            * 

第二場

時:一九八五年、十一月のある日。

所:変わらない。

 舞台が明るくなると、亮平がひとり。
 前の場面から五年経って、亮平は少し落ち着きを見せている。仕事帰りのスーツ姿。
 これからここで一杯やろうというかんじの準備がされている。
 机の上には「樹氷」などの焼酎のボトルかサントリーの「だるま」。プラスチックのコップが2つ。スナック類が袋のまんま。
 全然、大がかりでない、ほとんど十代の若者の飲み会の雰囲気。
 そこへ、ドアをノックする音。

亮平 はい、はーい。

 亮平、ドアの方へいったん消える。
 健人と二人ですぐに戻ってくる。
 健人は、この時代らしい普段着。

健人 よかった。無事に着いて。夏、飛行機落ちたでしょ、日航機。だから、ちゃんと会うまで心配で心配でドキドキしてた。
亮平 だいじょぶだって。
健人 おめでとう、五周年。
亮平 元気そうだね。
健人 そっちこそ。少し太った? 大台乗ったんだものね。
亮平 三十代は大台じゃない。
健人 大台でしょう。
亮平 じゃあ、四十代は何になるの?
健人 想像もできない。
亮平 こうして五年も毎年会ってるなんて信じられないな。
健人 うん。ほんとだよね。こんなに長いこと付き合ってるのって、友達でもそういないかも。
亮平 お母さん、元気。
健人 相変わらず。新しいパート始めて、元気にしてる。
亮平 そう。
健人 奥さんと拓也くんは?
亮平 元気だよ。
健人 拓也くん小学校でしょう? 一年生。かわいくなったんじゃない?
亮平 見る、写真。
健人 そうこなくちゃ。

亮平、写真を取り出して見せる。

健人 前歯ないね。
亮平 近所の公園でキャッチボールしてたら、顔で受け止めちゃって。
健人 あらら。
亮平 でも、乳歯だからね。すぐ生えてくるだろうって言ってるんだけど、なかなか生えてこなくて、ちょっとあせってるところ。
健人 ねえ、毎年こうやって拓也くんの写真見せてもらってるけど、なんで奥さんの写真はないの?
亮平 しょうがないよ。だって、この写真撮ってるのが彼女なんだから。
健人 一枚も?
亮平 きらいなんだって、写真。
健人 そう。(部屋の支度をみて)ねえ、ねえ、何これ?
亮平 五周年だし、ちょっと飲もうかなと思って。コーラで割っていいかな?
健人 うん。
亮平 乾杯しよう。とりあえず。
健人 うん。

亮平、机の上においてあった焼酎を割って、飲み物をつくる。

亮平 混ぜるもの、なにか……
健人 指、指!

二人、指で酒を混ぜる。

健人 一年ぶり。
亮平 五周年おめでとう。

二人、乾杯する。

健人 これおいしくないね。
亮平 ビールは飲まないようにしたんだ。
健人 三十の誓い?
亮平 うん。ちょっとお腹出てきてさ。
健人 それはいやみかい?
亮平 いや、人のことは別に……。好きだよ、そのお腹。
健人 いちいち言わんでいい。

二人、しばらく飲んでいる。

健人 ねえ、五年も経っていうのなんなんだけど、どうして毎年同じ部屋なの?
亮平 ここの母さんが気使ってくれてさ。あのとき、帰りしなに、挨拶してね。この机のことほめたんだよ。仕事しやすくていい机ですねって。
健人 この机?
亮平 これ、あの人の息子さんが使ってた机なんだって。
健人 息子さんは?
亮平 東京で働いてるって。
健人 投げてしまえられなかったんだね。
亮平 投げて?
健人 ああ、捨てられなかったんだね。
亮平 北大の受験生が、よく泊まるんだって。だから、ただのテーブルよりは、勉強机を置いてるんだって、どの部屋も。まあ、他の部屋は、もっと普通の今の机らしいんだけどね。
健人 僕こないだ。北大の受験のバイトやった。
亮平 どんな?
健人 合格発表の電報送るのさ。受かったら、「ホクトセイキタニカガヤク」、落ちたら「ホクトセイクモニカクレル」って。受験前に、門のとこで、学生に声かけるんだけどね、そっけなく相手にしない学生には、わざと言ってやるの。「あ、そこすべりますよ」って。
亮平 いやがらせか?
健人 当然でしょ。

二人飲んでいる。

亮平 あれ、ケーキ焼いてくるって言ってなかったっけ?
健人 ごめん、ずっと忙しくて、今朝、大急ぎで作ろうとしたら、卵が一個足りなくてね。でも、ま、いいかと思って、作ってみたら、あんまり膨らまなくて、失敗してしまったの。
亮平 調理師の免許とったんでしょ? 分量は正確にって、教わらなかったの?
健人 だから、何とかなるかと思ったんだってば。
亮平 ほんと適当なんだから。
健人 挑戦者って言ってくれる?
亮平 卵が足りない分、全体の量を少なくすればよかったのに。
健人 え?
亮平 だから、足りないところに合わせて全体の量を減らせば、少し小さくなるけど、ちゃんとできたんじゃないの?
健人 考えつかなかった。さすが、数学の先生。
亮平 数学は関係ないと思う。
健人 そういうわけで、ケーキはないんだけど、ジンギスカンどうかなと思って。バイト先で分けてもらってきたの。

健人、持ってきた紙袋からジンギスカン用の卓上コンロとジンギスカン鍋を取り出す。

亮平 居酒屋のジンギスカン?
健人 ばかにならないよ。けっこういい肉なんだわ。ラムでなくて、マトンなんだけど、生肉だからね、全然くさくない。
亮平 ちょっと待って。ここで焼くの?
健人 うん。
亮平 それはまずいだろう。すごい臭いこもるから。おばちゃんに怒られる。
健人 じゃあ、屋上にでも出る。
亮平 外は寒いだろう?
健人 あ、亮平さん東京だから、知らないと思うけど、札幌じゃ、みんなやってるでしょ。北大の人なんて「ジンパ」つって、年がら年中やってる。知らないの?
亮平 それはお花見のときとかじゃないの?
健人 一年中だって。何か特別のときには、ジンギスカン。そういうもんなのさ。じゃ、行こう。
亮平 ああ、ちょっと待って。
健人 何?
亮平 実を言うと……、ジンギスカンは苦手なんだ。五年前に一度、記憶なくしてから、食べられなくなってしまって。
健人 やだ、そうなの?
亮平 うん。
健人 じゃあ、これ食べて、その苦手を克服する。
亮平 ごめん、勘弁して。
健人 いつも、授業で言ってるんでないの? 「苦手なところを克服するんだ」って。
亮平 でも、ほんとうは思ってるんだよ。苦手なものは苦手だよって。
健人 じゃあ、どうすんの? これ? あんた持っていく? 東京におみやげ。明日だったらだいじょぶだと思うよ。
亮平 ありがとう。でも、遠慮しとく。
健人 そう、わかった。じゃあ、いいや、うちで母さんと食べるから。
亮平 そうしてくれるかな。
健人 ねえ、ジンギスカンだめなら、もう食べるものないし。じゃあ、外に出かけようよ。
亮平 外って?
健人 お腹すかない?
亮平 それはまあ……。でも、知り合いに会うかもしれないし。
健人 職場の同僚、生徒さんたちそうか、奥さんの実家こっちなんだよね。親戚に会うとあれか。
亮平 一人うるさいおやじさんがいてさ、まあ、その人が、予備校の経営者なんだけども。やたら、酒好きなんだよ。ススキノあたりで出くわすとめんどくさい。
健人 どうめんどくさい?
亮平 なんて紹介したらいいか……
健人 友達って言ってくれればいいと思うよ。浮気してるわけじゃないんだから。って、浮気だけれども、女の人と二人で歩いてるわけじゃないんだから、別に困らないと思うんだけど。
亮平 それは、そうなんだけど……
健人 何? 友達って紹介するのも心苦しいとか?
亮平 そうかもしれない。
健人 いいじゃない、友達なんだから。違うかな?
亮平 違わない。

健人 …… ねえ、あんた、こっちに友達っているの? 僕のほかに。
亮平 え?
健人 こっちの人。
亮平 それはいないけど。だって、年に一度しか来ないし。
健人 じゃあ、バーに行こう。友達つくりに。
亮平 ちょっと待ってよ。
健人 そうだ、そうしよう。決定!
亮平 いいよ、今日は二人でいたい。
健人 あんたさあ、毎年こっちくるわりには、ちっともバーとか行ってないんでしょ?
亮平 うん。
健人 どうして?
亮平 だって、別に行きたいと思わないから。
健人 どうして?
亮平 だって、健人いるから。
健人 なんだか、すっごいぐっとくる台詞だけど、いいの、それで。
亮平 だって、バーって男探しにいくところなんでしょ? だったら、別に必要ない。
健人 まあ、たしかに、それはそうだけど。友達いると楽しいよ。
亮平 そうかなあ。
健人 わかった。じゃあ、映画見に行こう。それならいいんでない?
亮平 映画?
健人 そう。「アナザー・カントリー」って、ゲイの映画。知らない。きれいな男の子ばっか出てくるんだって、ルパートなんとかとか、コリンなんとかとかって、そりゃもうきれいなんだから。
亮平 そういう映画、二人で行くのって、よくないんじゃない?
健人 ただの映画だって。今ならまだ最終回に間に合うから。
亮平 ……。
健人 飲み屋がだめなら、映画。どっちかに決める。
亮平 ……。
健人 一人では行かないからね。映画見て、どっかでご飯食べて。そんで帰ってこよう。

亮平 ……わかったよ。じゃあ、見に行けばいいんでしょ。
健人 じゃあ、支度しなくてはね。これ荷物だから、ここの母さんにあげてしまおう。
亮平 いつも、いろいろもらってるんだ。それがいい。
健人 いろいろって何もらってんの?

電話が鳴る。

亮平 (受話器をとって)はい、三〇二号室ですが。……あ、僕だけど。……うん、授業終わって、帰ってきたところ。……どうしたの? 宿題? そんな、教えてやればいいじゃないか? なんでわざわざ。あ、いいよ。じゃあ、かわって。……どうした拓也。引き算ができない? お母さんにきいてごらん。お母さんだって、先生なんだから、教えてくれるよ。

亮平、健人を気にしながら、会話を続ける。
健人、初めのうちはおもしろがって聞いているが、だんだん飽きてくる。

亮平 怒らないから。いいんだよ、手を使って考えて。五引く三は、いくつかな? ……ああ、八じゃないな。五たす三が八だよ。リンゴが五つあるよね、そのうち三つを食べたらいくつになる? 三つ食べるんだよ。……わかった、じゃあ、まず一つ、食べてみよう。いくつになる? そう四つだね。じゃあ、もうひとつ食べてみよう。

健人、洗面所へ消える。

亮平 ……じゃあ、お母さんがもう一つ食べる。お父さんは、まだいいから。拓也が食べて、お母さんが食べたら、あとはいくつかな? そう三つだ。じゃあ、その次に、お父さんがもう一つ食べた。あとはいくつ? そうそう。じゃあ、みんなで三つのリンゴを食べたら残りは? 落ち着いて考えてみよう。そう、二つだね。よくできた。

トイレの水を流す音。

亮平 じゃあ、五引く三はいくつかな?…………だから、五足す三が八なんだよ。

健人、戻ってくる。

亮平 どうしようかな? お母さんにリンゴ持ってきてもらいなさい。……じゃあ、買ってきてもらいなさい。……わかった、じゃあ、明日お父さん帰るから、その時に買っていくから、それまで待ってて……。しょうがないんだよ、今日はお父さん、仕事があるから。……だから、仕事は終わったんだけど、別の仕事があるんだよ。そう、じゃあ、明日。うん、一緒に考えてあげるから。じゃあね。

電話を切る。

健人 苦手なんだね、算数。
亮平 優子も今年から、小学校で教えてるんだけどね、指で数えるのやめさせたいって言ってね。なかなかうまくいかないんだ。
健人 リンゴ買ってあげる。僕からのおみやげ。札幌のおじさんから。
亮平 いいよ、そんな気使わないで。
健人 じゃあ、行こうか。

健人、出かけようとする。
亮平、動こうとしない。

健人 どうしたの?
亮平 やっぱりよすわ。
健人 え?
亮平 ちょっと早く帰ってもいいかな?
健人 早く、どのくらい?
亮平 今、出れば、千歳発最終の羽田行きに間に合う。
健人 ……何言ってんの? 今会ったばかりでもう帰るっていうの?
亮平 ほんとうにごめん。電話の向こうで、早く帰ってきてって言ってるのに、僕は、これから夜の街に繰り出そうとしてたんだ。そんな自分が許せない。
健人 映画とご飯のどこが夜の街さ? だから、帰るの?
亮平 そう。申し訳ない。じゃあ……
健人 最終で帰ったって、うちに着くのは夜中でしょ? 拓也くん寝てるんじゃないの? だったら、明日の始発で帰ったって同じだと思うよ。
亮平 そういう問題じゃないんだ。これは、僕の気持ちの問題なんだ。
健人 気持ち。罪悪感ってやつか?
亮平 ……まあ、そういうことだ。

亮平、荷物を取りに洗面所へ消える。

健人 どうしてそうやって自分だけいい子になろうとするのかな? それじゃ、僕はどうなるの?

亮平、戻ってくる。

亮平 君と僕とは立場が違うんだよ。僕には妻も子供もいる。いつも好きなことしてるわけにはいかないんだ。また来年来るよ。
健人 そういうことじゃない。
亮平 わかってほしい。もし、このまんま、ここにいても、きっと落ち着かない。きっと後悔する。
健人 後悔?
亮平 うん。
健人 僕が後悔してないと思ってんの?
亮平 ……?
健人 それじゃ、僕も言わせてもらおうかな。ほんと言うと、僕、今日来るのどうしようかと思ったんだわ。会ったら、また、一晩一緒に過ごしたら、後悔するんじゃないかって。そう思って。
亮平 ……。
健人 先輩とね、こないだ、バーでばったり会って。びっくりして。なんだ、先輩もこっちの人だったんだって。で、思い切って、告白した。高校の頃から、ずっと好きだったんですって。そしたら、なんだ、そんなの知ってたよって。今、つきあってる人とかいないんですかって聞いたら、いないって言って、で……
亮平 付き合うことになった?
健人 ……わかんない。とりあえず、寝てはしまったんだけど。
亮平 そうなんだ。よかったじゃない。
健人 うん。

亮平 じゃあ、先輩のとこ行けばいいじゃないか?
健人 なんでそういうこと言うかな?
亮平 ずっと大好きだったんだろ。夢がかなったんだじゃないか、おもいが通じたんじゃないか。だったら、なんで僕なんかのところに……
健人 なんかって言うな!
亮平 そういう相手ができたんなら、僕は別にいいよ。
健人 別にいいってどういうこと?
亮平 だから、君に好きな人ができたんなら、僕は身をひくよ。
健人 そんなこと言ってるんじゃない。僕は、はじめからあんたに奥さんも子供もいるの知ってて、つきあってるんでしょ。どうして、僕にはそういう相手がいちゃいけないの? 好きな人くらいいたっていいじゃない。
亮平 だって、それは…… 
健人 ほんと言うと、今日、亮平さんに会って、すっごい老けたなとか、なんだか魅力的じゃないなって思えたら、もうやめにしてもいいのかなって思ってた。一年ぶりに会って、そんなにうれしくなかったら、おしまいにしようかと思った。でも、やっぱり、一年ぶりに会うと、すっごいうれしいんだもの。どうにもならない。先輩のことも好きだけど、あんたのことも好きなんだもの。
亮平 ……。
健人 これってだめなのかな? でも、しょうがないよ、好きなんだもの。

長い間
亮平、床にひざをついて座る。
健人が、置いたジンギスカン用のコンロを手に取る。

亮平 ジンギスカン、食べてみようかな?

健人、亮平を見つめている。

暗 転  

*            *            * 

第三場

時:一九九一年、十一月のある日。

所:変わらない。
 
 ドアの開く音。部屋の電気が点く。
 亮平が入ってくる。続いて、健人。
 前の場面から六年。亮平は三十六歳。健人は、三十一歳になっている。
 二人とも、ジーンズ姿。この頃、流行った「渋カジ」系である。三十過ぎて渋カジはないだろうという気もするが、とにかくそんな格好をしている。
 亮平は、Gジャンの中に白いTシャツ。健人も同じようなGジャンにパーカーを着ている。
 時刻は、夜のやや遅い時間。
 すぐにわかるが、二人はバーで飲んで来た帰りである。

健人 何で帰ってきちゃうのさ? しかも歩いて。なんでタクシーじゃないの? もうついてくるの疲れたわ。
亮平 別についてこなくてもよかったのに。
健人 何言ってんの? 何か気に入らないことがあったの、あの店で?
亮平 気に入らないこと?
健人 だって、どんどん無口になってくし。初めのうちは、楽しそうにしゃべってたじゃないの。ゲイ雑誌、見たり。買っては、うちに帰る前に捨ててしまうから、あんまりちゃんと読んだことないって。よかったでないの。
亮平 そういうことじゃない。
健人 何か、文句あるんなら言ってよ。そうやってふくれられててもわかんないから。
亮平 どうして、あそこに先輩がいるわけ?
健人 だから、さっきも言ったでしょ。偶然だって。
亮平 ほんとかな?
健人 ほんとだって。どうして疑うかな?
亮平 じゃあ、どうして、カウンターの中にいたんだ?
健人 知らない、あの店、忙しいと、客も中に入って手伝ったりするから。
亮平 ……。
健人 ほんとに偶然なんだって。やだな、焼き餅やいてんの? やめてよ。だって、きっちり別れて、もう一年も経つんだよ。今はもうただの友達。そのへんの話は全部してるでしょ?
亮平 聞いてはいたけど、実際に会ったら、やっぱりショックだった。なんなんだあのかっこよさは!?
健人 そうかな? 最近、ちょっと太ってきて、どんどん緩んできたんだよ。
亮平 あれで緩んでるんだったら、世の中はデブばっかりだ。
健人 こっち見て言うな。
亮平 ほんとに偶然なのかな?
健人 何度も言ってるでしょ? いくら僕だって、初めて、バーに一緒に行くのに、昔の男と十年越しの浮気の相手、引き合わせたりしないって。
亮平 いや、わからない。何度、ヒドイ目にあったことか。前だって、こっそり僕の授業聞きに来たじゃないか?
健人 だって、見てみたかったんだもん。バレてなかったでしょ?
亮平 三十過ぎて学生服着てたら、十分変な人なんだよ。バレルとかそういう問題以前に。
健人 僕より老けてる学生、最低三人はいたって、絶対に。
亮平 ほんとに偶然なんだな?
健人 ……ま、いるかもしれないかなとは思ったんだけど。
亮平 ……。
健人 いいじゃない、もう何でもないんだから。会えてよかったじゃない。ね?
亮平 ……。

亮平、Gジャンを脱いで着替えようとする。

健人 脱ぐことない。
亮平 もういいよ。
健人 全然、おかしくないって。だって、みんな着てたでしょ?
亮平 それがおかしいんだって。なんでみんな同じようなかっこしてるんだ。
健人 だって、流行ってるんだから。とっても似合うよ。白いTシャツ。
亮平 Tシャツじゃない。ただの下着。
健人 それを着こなすのがかっこいいんだって。
亮平 たしかにかっこよかったよ。先輩はね。なんだ、あれは。モデルか?
健人 時々そういうのもやってるみたい。
亮平 どうせ、僕は、根暗な中年ですよ。いい、これは、拓也にみんなやる。もう着ない。
健人 拓也くん中二でしょ? もうそんなに大きいの?
亮平 高校三年間でようやくここまで伸びたっていうのに、あっという間に追い越された。
健人 今の若い子は、そうだよね。
亮平 ……。
健人 若い子って、まだ十三歳だけども……

亮平、服を脱ぎかけて、そのまんまベッドに腰を下ろしてしまう。

健人 どしたの?
亮平 なんだか、思いっきり疲れた。

亮平、ベッドの上に伸びてしまう。

健人 何してんの? 寝たらだめだって。僕のうちにいくんでしょ、今晩は?
亮平 やっぱりやめる。
健人 どうしてよ?
亮平 わざわざ泊まりにいく理由がなくなったじゃないか? 遅い時間に二人でホテルに帰ってくるのは、ここの母さんの手前、ちょっと気をつかうなあって言ったら、じゃあ、うちに泊まればいいって。こんな時間に帰ってきちゃったんだから、もういいんじゃないか?
健人 だめだめ。母さん待ってるんだから、あんたに会うの。
亮平 悪いんだけど、よろしく言っておいてよ。

亮平、ベッドに横になるが、ふと何かに気づいて起きあがる。

亮平 どうして、待ってるんだ? 僕のこと?
健人 え、初めて会うから。
亮平 遅くなったから、泊まりに行くんだろ? なんで、夜遅く帰ってくる息子とその連れを、君の母さんは、寝ないで待ってるんだ?
健人 おいしいお寿司買ってきてあるって。近くにね、回転寿司なんだけど、けっこういける店ができたんでそこの。
亮平 寿司はいい。なんで、こんな夜中に、君の母さんは、寿司を用意して、息子の連れを待ってるんだ?
健人 北海道の人間はもてなし好きだから。
亮平 何かある。何なんだ? 何を企んでるんだ?
健人 そんな何も企んでなんか……

亮平、あらゆる手段を使って、健人に白状させる。

健人 わかった、言います。ごめんなさい。カミングアウトに付き合ってもらおうと思って。
亮平 (手を止めて)カミングアウト?
健人 そう。僕はゲイだって告白すること、知らないの?
亮平 知ってるよ。そのくらい。
健人 一人よりは二人の方が心強いかなと思って?
亮平 何なんだその理屈は?
健人 男が好きだって告白しても、その好きな男がいなきゃ、説得力がないっていうか。ほら、自分はゲイだって言ってるくせに、好きな男がいないのって、なんだかよくわからないっていうか。
亮平 その理屈の方が、よくわからない。
健人 ああ、一人だとなんだか心細い気がして。だから、亮平さんいるときに、せーのって言ってしまった方がいいって。
亮平 どうして、そう、いつもむちゃくちゃなんだ?
健人 お願い協力して。
亮平 どうして、僕が? 先輩に頼めばいいじゃないか?
健人 だって、もう別れてるもん。昔の男より、今の男でしょ?
亮平 僕は断る。そんな、なんでわざわざカミングアウトなんて。たしかに、そういう人が増えてるのは知ってる。でも、健人がわざわざ……
健人 ねえ、ニュースになったの知らない? 東京のゲイの人たちが、東京都を相手に訴えを起こしたの。青年の家の利用をゲイだってことを理由に断られたんだって。男同士で泊まるのは、青少年の育成によくない影響を与えるって。
亮平 それは知ってるけど……。
健人 夜中にやってたテレビ見たって言ってたじゃない。ゲイやレズビアンの人たちが、カミングアウトして、ちゃんと顔出して、しゃべってたって。
亮平 だから、自分もカミングアウトするのか? 自分はゲイだって。前はホモじゃないってあんなに言い張ってたのに。
健人 ホモっていうのは、ネガティブな言い方なんだよ。ゲイっていうのは、ゲイが自分で選んだ呼び方。大丈夫だよ。あのときみたいに、僕がゲイだから、亮平さんもゲイだなんて理屈言わないから。僕は僕、亮平さんは亮平さん。
亮平 母さんはそう思わないだろう? となりにいるんだから。何考えてるんだ?
健人 お願い、協力して。
亮平 大体、健人のことはお母さん知ってるんじゃないのか?
健人 一番の問題はそこ。僕もそう思ってたんだけど、どうやらそうじゃないみたいなんだよ。「このうちは、四人で住むには狭いかね?」なんて言い出して。
亮平 四人?
健人 僕と奥さんと子供と自分。
亮平 ほんとに?
健人 うん。僕も耳を疑った。「結婚するなら、今みたいなバイトぐらしでなくって、ちゃんとした職につかねばね」なんて話にもなって。
亮平 なんだそうだったんだ。てっきり知ってるんだとばかり。
健人 でしょ? だから、その誤解をはらすのは今しかないんだって。
亮平 どうして、今? 僕がいるから?
健人 そうじゃなくて……あ、いいや。今、この状況で話すのはよくない。
亮平 よくない? 何が?
健人 何でもない……

亮平、またあらゆる手段を使って、健人に白状させる。

健人 わかった、言います。僕、東京に行こうと思って。

亮平、びっくり。

亮平 東京に?
健人 そう。ごめん、黙ってて。でも、もし、言って、反対されたらどうしようと思って。
亮平 反対って……?
健人 する、やっぱり?
亮平 東京行きと、カミングアウトとどういう関係があるんだ?
健人 だって、もう帰ってこないかもしれないでしょ? だったら、ちゃんと伝えておいた方がいいに決まってる。
亮平 帰ってこないって……?
健人 そういう可能性もあるでしょ?
亮平 なんで、そんな大事なこと勝手に決めるかな?
健人 じゃあ、相談したら、喜んでくれた?
亮平 …………それは、当たり前だろ。
健人 何、今の間は?
亮平 考える間だよ。考えて結論を出した。ちゃんと相談してくれたら、僕はうれしかったと思う。
健人 でも、今、全然喜んでるようには見えないのはどうして?
亮平 だから、それは……
健人 僕が東京に行った方が、絶対にラクなんじゃないの? こんな小さな街でひと目気にするよりも、一千万人の東京の方がずっと自由になれるんでないかな?
亮平 ……。
健人 もう十一年だよ。こうやって会うようになって。僕も三十一だ。これからのことだって考えたい。
亮平 これからのことって?
健人 ひと目を気にしないで二人で町を歩きたい。いつまでもかかってこない電話を待つだけじゃなくって、こっちからもかけたい。人にちゃんと宣言したい、僕たちはつきあってるんだって。そう、僕はゲイなんだよって。もっと、当たり前のことみたいに言いたい。僕はわがままかな?

短い間

健人 わかった。亮平さんに迷惑はかけない。でも、僕は決めたから。
亮平 ……思ったようにすればいいよ。僕が何言ったって、結局、自分の思う通りにしてきたんだから、これからだって。
健人 うちには来る?
亮平 ……今日はよすよ。もう遅いから。
健人 今日も、これからもだよね。
亮平 ……。
健人 じゃあ、電話しなくては。母さん待ってるから。

健人、電話をかける。

健人 もしもし、母さん? 今日、連れていくって言った友達さ、ちょっと都合つかなくなってしまって。うん、またにするって。うん、悪いね。寿司は適当に食べてて。うん、僕は、何時になるかわからない。うん。……話? ああ、それはまた今度? 別に急ぐ話じゃないから。……さっきまではそうだったんだけど、事情が変わったんだよ。どうって、なんていうか……。いいよ、電話じゃ言えない。……だから、また今度話すって言ってるべや。なんでそういうわかんないことばかり言うかね。……わかったよ、じゃあ、そんなに言うんなら、言ってしまうよ。あのね、僕はゲイなんだってばさ。


亮平はびっくり。

健人 いや、だから、ゲイ。何って、だから、それは、何て言うか……、母さん知らないのかい? だって、いつも一緒にテレビ見てるでしょや。うん。……いや、だから、ススキノで働いてたカルーセルさんとは、ちょっと違う。いや、同じなのか? ……おすぎとピーコさんとは同じだと思う。……だから、僕が双子でないのは母さん知ってるでしょ。そうではなくて……。なんつったらいいんだろね。

健人、亮平に救いを求める。
亮平、違う方を見る。

健人 じゃ、こう言ったらわかるかな? 男の人が好きなんだわ。女の人でなくって。そう。あ、わかった? よかった。そういうこと。……もしもし、もしもし? もしもし、もしもし?!

健人、また亮平を見る、亮平、今度はさすがにちょっと気になる。健人の近くに寄ってみる。健人、亮平の手を掴んで、放さない。これ以降、電話を切るまで、健人は亮平の手をしっかり握っている。

健人 なんで黙るのさ。…………何よ、そうだと思ってたって。……なんだ、そうだったのかい。だったら、もっと早くに言っておけばよかったな。うん、うん。だいじょぶだって。ゲイとエイズは違うから。母さんのせいでないよ。女手一つで育ててくれたの感謝してるよ。だから、ごめんね。いや、だから、ゲイでごめんってことではなくて。電話でこんな話してしまって。

長い間
健人、受話器を置いて、うつむいている。
亮平、起きっぱなしの受話器を戻そうと手に取る。受話器を置こうとするが、ふとできごころで耳にあててしまう。

亮平 もしもし? (電話は切れていなかった)わ、切れてない。……あ、あの、僕ですか? 僕は、あの友達です。健人くんの。今、ここにいるのは、あの……どうしてでしょう? ……はい。……はい。そんなこちらこそ。……あ、それじゃ……どうも。

亮平、電話を切る。

健人 なんだって?
亮平 息子をよろしくお願いしますって。
健人 ……。

亮平 東京、来るなら来ればいいよ、どうするかは、それから考えよう。
健人 ……。
亮平 いい母さんだな。
健人 そんなんでないって。

亮平 なんていうか、僕で力になれることなら。その、なんていうか……
健人 東京には行かない。
亮平 え?
健人 言うだけ言って、どっか行ってしまうのは、やり逃げみたいなもんだものね。やりにげはよくないもの。僕はここにいるさ。あんたがいてもいなくても。

亮平 好きにしたらいい。
健人 話してしまったし、せっかくだから、うちに寿司食べにこない?
亮平 じゃ、ごちそうになろうかな?
健人 だったら、電話しないと、一人で食べてしまうかもしれない。
亮平 じゃあ、すぐ電話。

健人、受話器を手に取る。
亮平、出かける支度をしている。
亮平を見ている健人。一瞬目が合うが、すぐにそれぞれの仕事を始める。

暗 転 

*            *            * 

第四場

時:一九九五年、十一月のある日。

所:変わらない。

 亮平が、ベッドで寝ている。すぐにわかるが、亮平は普段寝間着として使っているジャージ姿。
 亮平は、四十歳。ややくたびれた印象だが、それは具合が悪いせいかもしれない。
 間。
 机の上に置かれたポケベルが鳴り出す。
 鳴り終わっても亮平は起きない。
 しばらく経って、ようやく起きあがり、ふらふらしながら、ポケベルを手に取ってみる。
 溜息をつくと、電話に近づき、受話器を取り上げ、ダイヤルする。

亮平 もしもし。何? ごめん、今、部屋で寝てるんだよ。風邪引いたみたいだ。拓也がお腹の調子が悪いって言ってただろ? あれ、食べ過ぎじゃなくって、風邪だったんだよ。僕も、腹の具合悪い。だから、おじさんには会わなかった。まっすぐ帰ってきたから。……連絡はしといたから、だいじょぶ。じゃあ(切ろうとする)何? ……一人だよ。ほんとだって。何言ってるんだ。十五年間同じホテルに泊まってるんだよ。そんなに疑うんなら、ここのホテルに電話して聞いてみたらいい。そんな誰も来たりしないって。ああ。まあ、授業のあと、昔の生徒と飲んで、部屋でも飲んだことはあるけど。男だよ。何言ってるのかな? ……熱があるんだよ。その声は頭にひびく。じゃあね。……ほんとだよ。だから、聞いてみればいいて。僕がどれだけ、女っけのない生活を送ってるか。ちゃんと話してくれるから。うん。それから、ポケベルに「至急連絡を」って入れるのはやめてくれるかな? そのたびびっくりするから。そうだよ。そんな後ろめたいことはないけど。じゃあね。

亮平、電話を切る。
溜息。
間。
ノックの音。

亮平 開いてるよ。

ドアが開く音。

健人の声 こんばんは!

続いて登場した健人は、豪華な女装。ドラァグクィーン姿。派手なメイクに裾をひいたドレス。おおきなウィッグに羽根飾りがいっぱい。当たり前だが、亮平は、度肝を抜かれる。

健人 どう、元気にやってたかしら?
亮平 健人?
健人 はーい!
亮平 なんなんだ、その格好は?
健人 ドラァグクィーン。今晩、ショーやることになったんで?
亮平 ショー? 何それ?
健人 何軒かの店が合同でイベントやりましょうって、で、うちの店からは私が出演することになって。ちょっととうがたってないでもないんだけどね。
亮平 フロントで母さんにあった?
健人 会った会った。きれいですねえってほめられたよ。
亮平 どうするんだ。今、うちのと話して、札幌ではこれっぽっちも女っ気のないくらしをしてるって言ったばかりなのに。
健人 だいじょぶだって。これ女じゃないから。女装だから。だれもこれ見て女の人だとは思わないでしょ?
亮平 たしかにそうだけど。
健人 ねえ、そこが昔の僕とは違うところ。亮平さんに会ったばかりの僕は、女の人に見られるのがいやで男っぽくなろうとした。でも、ようやく今になって、このかっこうを受け入れられるようになったってわけ。これはすっごいおおきな事なわけ。僕にとっては。あんまり理解してもらえないかもしれないけど。
亮平 全く理解できないね。
健人 全然、平気。
亮平 なんで、ここにそんな格好で来るのかな?
健人 ショーの時間を考えると、今やっておかないと間に合わなくて、しょうがなかったの。
亮平 信じられない。
健人 あんたこそ何よ、そんなジャージ(語頭が高いアクセント)なんか着て?
亮平 ジャージ(同じく)?
健人 あ、ジャージ(平板なアクセント)。今晩は、出かける約束なんだから、早く着替える。
亮平 悪いんだけど、今日は出かけない。具合が悪いんだ。
健人 具合が悪いって、風邪?
亮平 わからない。腹の具合もよくないし、熱もあるみたいだし。
健人 熱? 何度?
亮平 知らない。その格好見たから、四十度超えてるかも。
健人 だいじょぶなの?
亮平 だいじょぶじゃないから寝てる。どうして先に連絡してくれないかな。毎年毎年、びっくり箱じゃないんだから。一言連絡くれれば、こっちだって心の準備ができるのに。
健人 だって、ポケベルには連絡してほしくないって言うじゃない。
亮平 優子が見るかもしれないし。
健人 履歴消してよ。
亮平 苦手なんだよ、こういう機械。正直、却って不自由になった気がする。
健人 私が教えてあげてもいいわよ。
亮平 それから、そのしゃべり方、どうにかならないかな?
健人 しゃべり方?
亮平 頭にひびくんだよ。優子そっくりだ。
健人 なんだかうれしい!
亮平 よくいるよね、そういうかっこした口の悪いオカマって。
健人 オカマじゃないわ、ドラァグクィーン。
亮平 早く行きなよ。
健人 私のことなら気にしないで、病室に飾られた可憐な草花だと思ってくれれば。このふるくさい、勉強部屋みたいな部屋も少しはにぎやかになるでしょ。
亮平 あんまり病室向きじゃないね。
健人 ちょっとおしゃべりしてっていいかしら?
亮平 ……どうぞ。

健人、腰を下ろして、話し始める。

健人 えーと、聞いてる?
亮平 聞いてるよ。
健人 えーと、みんな元気?
亮平 申し訳ない。僕は具合が悪いんだ。そっちの話はきくけど、しゃべるのはあとにさせてくれないか?
健人 ああ、ごめん。なんとなく、そのへんから始めた方がいいかなと思って。
亮平 優子も拓也も元気ですよ。
健人 そう。

亮平 先輩は?
健人 あれ、話すの?
亮平 そっちが黙ってるからだよ。どうなの?
健人 元気。こないだまで十勝に赴任してたんだけど、4月から戻ってきた。やっぱ札幌の方がいいねって。
亮平 そう。男関係は?
健人 相変わらず派手にやってるみたいなんだけど……
亮平 いいよね、モテモテだ。

亮平、咳こむ。

健人 だいじょぶ?
亮平 この頃、みょうに身体がだるくてさ。疲れやすいし、眠りも浅いし。
健人 あ、風邪流行ってるからね。
亮平 うん。
健人 そうだ、千歳空港新しくなって、札幌までくるのラクになったでしょ?
亮平 札幌駅も変わったね。町並みもどんどん変わってく。ここは相変わらずだけど。
健人 そうね。

健人 ちょっと話があるんだけど。
亮平 だから、話してていいって言ってる。
健人 落ち着いて聞いてくれるかな? ちょっと大事な話なんだけど……
亮平 何?
健人 まあ、そんな大した話じゃないかもしれないんだけど……
亮平 どっちなんだよ?
健人 うーん……
亮平 だったら、あとにしよう。少しねむるから、帰ってきてからにして。もう、いいから、出かけてくれるかな。
健人 そう? じゃあ、そうしようかな?

立ち上がる健人。

健人 やっぱり、だめだわ。これから出かけて帰ってくると、私、お酒飲んで、やけに元気になってしまったりするかもしれないから、今、話したいんだわ。
亮平 何なの?
健人 ……。
亮平 お母さんが再婚した?
健人 まあね、今の彼とはまあ、うまくやってるんだけどね、この間も一緒にお酒飲んでって、これがまたおかしなオヤジさんでさあ……ってその話ではなくて。
亮平 何?

健人 もうやんなっちゃう。先輩がね、エイズの検査受けたら、陽性だったんだって。
亮平 へ?
健人 そうなの。
亮平 うわ……。
健人 久し振りに呼び出されてあったら、そんなこと言われて、だから、お前も検査受けてみろって、言われて。で、私も検査受けに行ったのさ。
亮平 ……。
健人 そしたらね。そしたら……、私はだいじょぶだったの。

亮平 脅かさないでよ。本気で心配したじゃないか!
健人 ごめんね。結果出るまで二週間、ほんとにおっかなくて。亮平さんに連絡しようとおもったんだけど、どうしていいかわかんなくて。会ったら、言おうって。
亮平 よかったじゃない。
健人 うん。
亮平 話はそれでおしまい?
健人 ううん、まだ。
亮平 へ?
健人 だから、私はだいじょぶだったんだけど、亮平さんはどうかわかんないと思って。だから、検査受けて。僕はだいじょぶだったから、亮平さんも平気だとは思うんだけど、よくわかんなくて。だって、先輩と付き合いながら、亮平さんと会ってた時期もあったわけだし。
亮平 でも、僕は先輩と直接、会ったりはしてないわけだし。
健人 わかんないじゃない。もしかしたら、ものすごくしぶといウィルスがいて、私の身体を通過してもまだ生きてて、亮平さんまで届いたかもしれないし。もしかしたら、私はものすごく丈夫で強くてなんともなかっただけで、ちょっと頼りない亮平さんには感染してしまったかもしれないでしょ?
亮平 そういうもんなの?
健人 お願い検査受けて。調べたの。東京は、無料で匿名で検査受けられるところあるから。お願い。
亮平 僕ならだいじょぶだから。
健人 でも……
亮平 検査は受けた。僕はだいじょぶだったから。

健人 いつ?
健人 今年の春。
健人 ……なんだそうだったの?
亮平 あんまりそういう話してないけど、気をつけた方がいいなと思って、僕も言おうと思ってたんだよね。コンドームは使ってるけど、時々いい加減だし。
健人 優子さんや拓也くんもだいじょぶってこと?
亮平 うん。
健人 よかった。
亮平 そんな日常生活ではうつらないって、そういうウイルスなんでしょ。
健人 理屈ではわかってるんだけどね。なんだかごめんね。
亮平 あやまることないって。
健人 怒らないね。
亮平 そんな怒る理由なんてない。
健人 こんな格好してきたのも、なんだか元気でそうな気がしてさ。なかなか言えないことも、思い切って言えそうな気がしてさ。
亮平 その行き当たりバッタリな性格、ほんと変わらないよね。
健人 ごめんね。
亮平 だから、あやまることないって。どうせなおらないんだから。
健人 そんなことないって。あんた熱あるんでしょ。早く寝ないと。
亮平 ……うん。

健人、亮平に布団をかけて、椅子に腰を下ろす。

健人 先輩、僕の前につきあってた人に話したら、すっごい怒鳴られて。検査受けたら、その人も、陽性だったんだって。あんたのせいだって。僕も一緒に会ってたんだけど。先輩、一言も言い返さなくてさ。どうしてさって言ったら、どっちからどっちなんて、そんなの関係ないんだって。でも、いろいろ考えると、感染のもとになってるのは、先輩じゃなくて、その人みたいなんだけどね。でも、何も言わないのさ。だまってずっとただ怒られてた。
亮平 そう。
健人 それ見てたらね。なんだかほっとけなくなってしまって。もう一度やりなおせないかなって、そう思ったの。また、つきあってみようかなって。
亮平 ……。
健人 ごめんね。熱ある人にこんな話。でも、話しておきたいなと思って。
亮平 先輩には?
健人 言った。
亮平 何だって?
健人 同情ならいらないって。
亮平 同情なの?
健人 わかんない。先輩と一緒にいたいって思う気持ちは、かわいそうっていうんじゃなくて、何て言うか……。もっと違うもんなんだよね。別にいいんだ。こっちを向いていてくれなくても。でも、思ったんだわ。僕は昔から、ちゃんと向き合ってるよりも、僕のことじゃない誰かのこと見てる横顔見てる方が好きなんだなって。だから、いいよ寝てて。こういうの好きだから。
亮平 その格好でそばにいられると妙に落ち着かない。
健人 何もしないよ。こんな格好だから、となりで寝たりしないし。だから、いつもみたいに気使ってはじっこで寝なくていいからね。
亮平 そういうことじゃない。
健人 だから、いいよ、眠って。目閉じて聞いてて。
亮平 じゃあ、そうする。

亮平、目を閉じる。

健人 あの人の浮気だって、僕は別になんとも思わなかったんだよね。本当なら、怒っていいはずなのに。好きな人ができたって言われたとき、ああ、そうなんだって。不思議がられたんだもの。それでいいのかって。それが僕の好きになり方なんだなって、わかってきたんだよね。だから、これから、あの人がどうなるかわかんないけど、また付き合ってみようと思うんだ。
亮平 ……。
健人 小学校の時の校長先生がね、お習字のとっても得意な人で、お習字の時間のたびに漢字の成り立ちの話をいつもしてくれたの。それでね、人っていう字は、二人の人間が支え合ってる姿を表してるんだよって話してくれたのずっと覚えてて。でも、あの字って支え合ってるんじゃなくて、もたれあってるんじゃないかなって気がすごくして。一人じゃ倒れそうになるのを、もう一人がしょうがないなあって受け止めてるの。なんだかあんまり前向きじゃなくね。でも、そういうのがいいなって。ささえあうことはできないけど、もたれあうことはできるんじゃないかなって。なんだか、そう思うんだよね。
亮平 ……。
健人 だから、亮平さんもさ……

 振り返ると、亮平はねむってしまっている。
 健人、立ち上がって。部屋の電気を消す。
 真っ暗な部屋。窓の外からの星明かりが、眠っている亮平と健人をうっすらと浮かび上がらせている。
 亮平、大きく寝返りをうつ。ベッドの片方にスペースができた。
 間
 健人、ウィッグをとり、イヤリングを外す。くつを脱ぎ、背中のファスナーを降ろして、ドレスを脱ぎすてる。
 そして、亮平のとなりに静かにすべりこむ。
 眠りつづける亮平。

暗 転 

*            *            * 

第五場

時:二〇〇〇年、十一月のある日。

所:変わらない

前の場面から五年後。
舞台が明るくなると、健人が一人でいる。
椅子に腰を下ろし、退屈そうなこなし。
健人は四〇歳。スーツ姿。といってもカジュアルな着こなし。髪型も今風なテイストで自由なふんいき。
携帯が鳴る。
出る健人。

健人 何? ああ、ごめん。遅くなっちゃって。いったん、帰ろうと思ったんだけど、ちょっと待ち合わせに失敗しちゃって。ていうか、待ちぼうけ。……だから、悪いんだけど、あっちゃんに代わりに行ってもらって。話はもう通してあるから。…………新人の様子見てきてくれればいいから。派遣会社はね、こまかいケアが命なの。うちみたいな駆け出しの小さいとこは、そこが大事。じゃあ、よろしくね。

健人、携帯を切る。
ドアが開く音。

健人 もう、どこ行ってたの? 母さんに言って、鍵もらっておいたよ。

亮平、登場する。亮平は四十五歳。スーツの上にトレンチコートを羽織っている。いつもの姿。
わかりやすく酔っぱらっている。

亮平 あれ、もういたんだ。こんにちは。
健人 何、酔っぱらってるの? やだな、酒臭い。
亮平 そんなことないでしょ。
健人 十分、あるってば。思い出すわ、二十年前。なんだか、なつかしい! でも、すっごい迷惑。ちょっと、何してんのよ? 二十世紀最後のデートがなんでこんな始まり方?
亮平 いけませんか?
健人 知らないよ、またあのときみたいに指輪なくしても。

健人、亮平の指に指輪がないことに気づく。

健人 ちょっと、やだ、指輪どうしたの?
亮平 あ! ない!
健人 またなくしたの? これで何個目? 優子さんにまた怒られる。
亮平 怒られないよ。
健人 どうして?
亮平 もういないから。
健人 え?
亮平 離婚したんだ。
健人 は?
亮平 離婚したんだよ。

健人 嘘?
亮平 嘘じゃないもん!
健人 こら、ちょっと、ちゃんと話しなさいよ。何、いつ?
亮平 今年の五月。
健人 どうして連絡してくれないの?
亮平 びっくりさせようと思って。どうびっくりした? いつもびっくりさせられてばかりだから、たまには仕返しってかんじかな? へへへ!
健人 そんなびっくり比べしてどうすんの? 何、ほんとうに?
亮平 ほんとですよ。
健人 そんな、どうして?
亮平 ばれちゃってたんだよね、僕のこと。
健人 僕の何?
亮平 僕がゲイだってこと。ホモだってこと。オカマだってこと。
亮平 どうして、あんたなんて身辺調査してもゲイのゲの字も出てこないんじゃないの?
亮平 携帯のメール。
健人 うわ。だから、履歴消すようにって言ってたじゃない。
亮平 機械は苦手なんだって。このひとは誰って聞かれてるうちに、話した。正直に。
健人 ごまかしてよ、うまく。
亮平 なんだか調べたりしてたみたいだよ、札幌のおじさんあたりからもいろんな話がいってたみたい。ちょっとこっちで羽を伸ばしすぎたかもしれない。
健人 そんな……
亮平 ま、熟年離婚ってやつだよ、今、流行ってる。
健人 流行になんか乗っかったことないくせに。
亮平 これからは、お互いに自分の好きなように生きましょうだってさ。だから、好きなように生きちゃうもんね。
健人 ちょっと。どうして、そういう話を、酔っぱらってする? ほら、ちゃんとしなって。

健人、亮平を椅子にちゃんと座らせる。

亮平 仕事もやめちゃった。
健人 へ?
亮平 予備校業界、不況だからね。少子化ってやつ。札幌の仕事も、結婚してればこその縁故採用だからね。離婚と同時にはい、おしまい。さようなら。

亮平、クローゼットの中に消える。

健人 ちょっと待って。じゃあ、なんで来てるの、札幌?
亮平 (クローゼットから登場して)会いたかったからに決まってるだろ。なんつって。どうびっくりした?
健人 だから、もうびっくり比べはやめていいから。何十年分もまとめてびっくりしてるから。
亮平 ふふふ、まだあるんだよね。
健人 何?
亮平 ちょっと、こっち来て。
健人 何?
亮平 いいから。

健人、けげんそうに亮平のそばによる。

亮平 手出して?
健人 え? こう?

健人、両手をさし出す。

亮平 そうじゃなくて。

亮平、手を裏返すような手振り。

健人 何、こう?
亮平 そう、そう。

亮平、ポケットから指輪を出して、健人の左の薬指にはめる。

健人 何、これ? 優子さんにつっかえされたやつ。おさがりなの?
亮平 違うよ。新品。わざわざ買いに行ったんだ。ぴったり?
健人 うん、ぴったり。
亮平 一緒になってくれないかな?
健人 ……。

健人 何なの? やめてよ、ふざけるの。
亮平 ふざけてない。一緒になってくれないかな。
健人 やだな、酔ったいきおいでこういう話するの。
亮平 酔った勢いじゃなきゃできないんだよ、こんな話。先輩いるっていうのは、わかってる。でも、その上で、言ってる。

亮平、真顔になっている。

健人 ちょっと、何、酔っぱらってないの?
亮平 酔っぱらってた、でも、話してるうちに、どんどんさめてきた。実を言うと、今、膝も震えてる。真剣に考えてくれないかな?

健人 そんな真剣にって言われても。
亮平 考えてほしい。
健人 一緒になるってどういうことなの、具体的に?
亮平 東京にくればいい。一緒にくらそう。
健人 それはできない。会社始めたばかりだもの。
亮平 じゃあ、僕が札幌に来る。
健人 寒いの苦手なんじゃないの? こっちじゃ暮らせないっていつも言ってたくせに。
亮平 じゃあ、間をとって、仙台あたりっていうのは?
健人 結局、何も考えてないんじゃないの?
亮平 そんなことないって。どんなことでもする。僕はもう自由になったんだ。これからの人生を考えたい。一緒に生きていきたいんだ。だめかな? 虫が良すぎるかな? 返事は? イエスって言ってほしい。

健人 ごめんなさい。
亮平 どうして?
健人 今のままでいいんじゃない? どうして、今のままじゃだめ?
亮平 だから、一緒にいたいって……
健人 一年に一度だから、二十年も続けてこれた。毎日会ったら、一ヶ月で終わっちゃうかもしれないよ。
亮平 一年に一度なのに、二十年も続けて来れた。毎日会って、一ヶ月で終わるわけがない。
健人 ごめん。そういう理屈、わかんない。数学は苦手。
亮平 数学じゃない。
健人 いやなんだよ、つまんないことでダメになっちゃうのが……
亮平 どうして、決めつけるかな? ダメになったとしてもいいじゃないか、またやりなおせば。先輩とはそうやって続いてるんだろ? どうして僕とはダメなんだ。何度も別れては、またよりを戻しての繰り返し。僕が相談にのったことだってある。どうして、先輩はよくって、僕はだめなんだ。年に一度二十年間、おいしいところばっかりをほしがった罰か?
健人 ごめん、でも、思うんだ。失ってしまわないためには、手に入れないのが一番なんだって。
亮平 ……。
健人 だから、返すね。この指輪。

健人、指輪をはずそうとするが、外れない。

健人 あれ? どうしたんだろう?
亮平 いいよ、無理して外さなくても。
健人 無理じゃない。(外れた)はい。

健人、指輪を亮平に差し出す。

亮平 (背を向けて)いらない。いいよ、持ってて。
健人 でも……

亮平 本当言うと、一人で生きてく自信がないんだ。こんなに一人っきりになったのって、気がついたら、初めてなんだよ。五年前に、僕が風邪引いて寝てるとき、女装して来て、言ったよね。もたれあって生きていきたいって。しょうがないなあって思いながらって。
健人 聞いてたの?
亮平 うん。思いだしたんだよ。今ごろになってね。そんなふうになれたらいいなって。思いついちゃったんだよね。意気地なしの思いつきだ。

健人に背を向けて話している亮平。
指輪を手にしたまま、立っている健人。
亮平の話を聞きながら、指輪を握りしめている。
亮平に向かって、一歩歩き出そうとしたとき、亮平が振り向く。

亮平 なんてね。冗談だよ。全部冗談。酒の勢いのジョークってやつ。
健人 ……なに、それ? ここまで全部がびっくりだったってわけ?
亮平 そうそう。
健人 なんだびっくりして損しちゃった。
亮平 来年もまた来るから。二十一世紀になっても。
健人 ……うん、待ってる。ていうか、今年だって、まだ会ったばかりじゃない。何言ってるの?
亮平 失わないためには手に入れないこと。たしかにそのとおりかもしれない。
健人 (明るく)でしょ? はい、これ。
亮平 うん。

亮平、手を差し出す。
健人、手を伸ばし、亮平の手のひらに指輪を落とす。
亮平、指輪をポケットにしまう。

暗 転 

*            *            * 

第六場

時:二〇〇五年、十一月のある日。

所:変わらない

前の場面から五年後。
舞台が明るくなると、亮平と健人が、客席に背を向けて二人で立っている。
亮平は五〇歳。セーターにジャケット。眼鏡をかけている。髪に白いものがちらほら混じっている。
健人は四五歳。カジュアルな服装。髪型も今風なテイストで自由なふんいき。
しばらく立っている二人。

健人 変わらないね、この部屋。
亮平 うん。二十五年か。
健人 年取るはずだわ。
亮平 昔、四十なんて想像できないって言ってたのに、もういくつ?
健人 二十七。
亮平 設定年齢じゃなく。
健人 知ってるのに聞かない。僕は四十五、あんたは五十。
亮平 初めて会ったのが二十五。倍の年月が経ったってわけだ。
健人 二十五年って、銀婚式ってことか。
亮平 ま、実際会った日数は、全部合わせてもまだ一ヶ月とちょっと。
健人 エッチの回数はもうじき七十かな?
亮平 数えてるの?
健人 日記につけてる。
亮平 ほんとに?
健人 うそ。日記なんかつけられるわけないでしょ、僕が。長いつきあいなんだから、そのくらいわかってよ。
亮平 まあ、そうだよね。

健人の携帯が鳴る。

健人 ごめんね。

健人、携帯に出る。

健人 何? 今日は休みなんだから、電話してこないでよ。やっちゃんもいい年なんだから。そろそろ管理職としての自覚身につけてもらわないと。そうだ。うん、明日九時からのなんだっけ? ああ、ミーティング。みんなに絶対遅刻しないようにって。この頃ちょっとたるんでるから。はい、じゃあ、よろしく。お疲れさま。

健人、携帯を切る。

健人 なかなかまかせられなくて、すぐ電話かかってくるんだもん。
亮平 相変わらず、人に厳しく、自分にあまいね。
健人 仕事は仕事。そのへんはね。
亮平 社長なんだもんね。なんだか信じられない。
健人 ちっちゃい会社だって。
亮平 でも、いいところに目付けたよね、ゲイばっかり集めて人材派遣会社って。
健人 ばっかりじゃないって、他よりはちょっと多いくらい。ま、みんなカミングアウトしてるけどね。それだって、結局そうなっただけだって。
亮平 そんなことできてるなんて信じられないね。
健人 うん。僕も。でも、札幌だからかなって気もするね。ほら、パレード、毎年やってるからね、ゲイが生きやすい町になってるかもしれない。一昨年から、市長があいさつしに来るんだから。ほんと感動するよ。
亮平 変わったもんだよね。昔はあんなふうに大勢で歩くなんてありえなかった。
健人 昔って言わない。たかだか十年かそこいらのことでしょ?
亮平 そんなこと言ったら、僕らが会ったのは大昔ってことになる。
健人 だから、いやなのさ。じゃあ、僕、先輩のとこ寄って、それからまた来るね。
亮平 どうなの、具合?
健人 だいじょぶ、だいじょぶ。ちょっと風邪引いてるみたい。一緒にご飯食べてくるから。
亮平 おだいじにって伝えて。
健人 うん。じゃ、あんたも出かけないと。
亮平 うん。
健人 わかってる? 待ち合わせ場所、雪印パーラー。わかるよね? ちゃんと遅れないでいくんだよ。
亮平 あ、それなんだけど。
健人 なに?
亮平 やっぱりやめようと思うんだ。
健人 こら、一度は行くって決めたんでしょ。何をいまさら。拓也くんだって楽しみにしてるでしょうよ。
亮平 いや、わからない。きっと、うらみごといっぱい言われるんだ。
健人 どうしてよ? 札幌に来たときは寄ってみればって、優子さんに言われたんでしょ? ただ会ってみればいいじゃない。
亮平 どんな顔して会えばいいんだ。離婚してから十年、一度も会ってない。結婚してこっちに転勤してきて、子供も生まれた。僕はもうおじいちゃんになってるのに、一度も話してないんだ。毎年、十一月に来てるっていうのに。
健人 しょうがないじゃない、あんた、研究がいそがしくなったんだから。年がら年中学会で全国飛び回って。わかってくれると思うよ。そのくらい。
亮平 そんなの言い訳だ。
健人 言い訳だってわかってるんなら、ちゃんと正直な気持ちを話しなさいよ。
亮平 ……。
健人 会いたいんでしょ? だったら、会うべきだって。どうせ、ずっと会ってなかったんなら、これがきっかけで、もめたとしても、何もなくさない。もし、仲良くなれたら、ばんばんざいじゃない。
亮平 そうなんだけど……。
健人 ああ、めんどくさい。
亮平 いいよ、先輩のとこいって。
健人 だめ、あんた逃げ出しそうだから。見送ってから出かける。

亮平 そうだ。一緒に来てくれないかな?
健人 は?
亮平 そうだよ、一緒に会ってくれればいい。そうだ、そうだよ。
健人 何言ってんの? 拓也くんは、あんたの息子でしょ。私は関係ない。
亮平 そんなことない。昔、カミングアウトに無理矢理付き合わされたじゃないか。あのときのお返しだと思って。
健人 あんた、あのとき、寿司どれだけ食べたか覚えてないの? ずっと言われてるんだからね。なんて紹介するの? むずかしいでしょ?
亮平 そうか……
健人 友達、恋人、愛人?
亮平 リンゴくれた札幌のおじさん。
健人 リンゴ?
亮平 覚えてないの、ほら、拓也小学生で算数わからなくて、リンゴで数えようとしてたとき、おみやげだっていって、やまほど買ってもたせてくれた。
健人 そんなこともあったっけね。
亮平 あいつ、あのリンゴから算数が苦手じゃなくなったんだよ。そうだよ。恩人だ。
健人 覚えてないって。
亮平 いや、覚えてる。僕が、一緒にいたころの拓也は覚えてたんだから。
健人 ……。
亮平 よし、じゃあ、行こう。
健人 ちょっと待って、急にそんなこと言われても。
亮平 何?
健人 着替えねば!
亮平 いいよ、そのままで。
健人 いやだ。そんなの。どうしよう、なんだかドキドキする。わかった。ちょっと待って、作戦をねってから出かけましょう。
亮平 何、作戦って?
健人 決まってるでしょ、私の登場のしかたよ。
亮平 だから、普通でいいって。
健人 いいから、相談。ちょっと座って、お茶でも飲みましょう。

健人、机の上に置かれたカップをとろうとする。

健人 ねえ、何これ?
亮平 どうしたの?
健人 カップが二つになってる。どういうこと?
亮平 母さんが、気を利かして、おいておいてくれたんじゃない?
健人 気を利かすなら、とっくに利かしてるはずでしょ? やだ、ぼけたんでないの? 
亮平 でも、二つあったほうが助かる、僕ももらおうかな。

健人、二人分のお茶を入れる。
二人、お茶を飲む。

健人 (つぶやく)一緒に登場するか? それとも、後から行くか?
亮平 初めて会った頃の母さんの年、僕ら追い越してしまったね。
健人 ……うちの母さんも。なんかショック。
亮平 でも、この部屋は変わらない。
健人 相変わらず古くさくて。
亮平 ううん、若々しい気がする。今年も来年も、ここには、十代の受験生が座るんだ。未来を夢見ながら。この部屋にいて落ち着くのは、そんな若さが感じられるからじゃないかな?
健人 好きね若い子。
亮平 まあね。初めて会ったときは学生服だったんだよね。
健人 そう、あんた酔っぱらって、ゲロ吐いて。
亮平 思うんだよ。あのときあんなに酔っぱらわなかったら、出会ってなかったんだなって。
健人 そう。ラーメンだけでやめておいたら、こんなに長いつきあいも始まってなかったんだね。
亮平 前の日に先輩にふられてなかったら、あんなことにはならなかった。
健人 そうかもしれないね。なんだかなあ……
亮平 何?
健人 こんなに長く続いてるのって、きっと運命的な出会いだったんだわ、なんて思ってたけど、そうじゃないんだ。
亮平 うん。そんな運命なんて信じない。
健人 お、さすが数学者。
亮平 僕が信じるのは、運だけだ。なんて僕は運がいいんだろうって、そう思ってるんだ。
健人 そう?
亮平 ま、そこそこかな?
健人 で、どうする? 一緒に行く? あ、でも、どうしよう。露骨に嫌われたら。
亮平 だから、僕もそれを言ってるんだって。ほんとに、人に厳しく自分に甘いんだから。

健人 そうだ、電話してよ。電話して、僕が一緒に行くって言って。
亮平 え?
健人 そうよ、携帯の番号くらいは知ってるんでしょ? いくら会ってなくったって。
亮平 それはまあ。
健人 ねえ、じゃあ、今かけよう。
亮平 でも……
健人 電話できない人が、どうして会えるの?
亮平 またむちゃくちゃな理屈を。
健人 いいから、ほれ。
亮平 まだ仕事中だよ。
健人 出なかったら、留守電にメッセージ。
亮平 わかったよ、かければいいんでしょ。まったくもう。

亮平、携帯のボタンを押して、耳に当てる。
健人、お茶のカップを手にしたまま、亮平を見ている。

健人 ねえ、後悔してない? 出会ってしまったこと。
亮平 全然。

拓也が電話に出たらしい。
亮平、ためらいながら、なんとか話し始めようとする……

幕