美女と野獣
Kiss changes everything?

第8場

<<<第7場<<<

 深夜
 部屋には、グロリアが一人。新聞を読んでいる。
 ふと顔を上げて、ラジカセのスイッチを入れるが、鳴らない。

グロリア あんた、私に喧嘩売ってんの?

 ラジカセは無言。
 グロリア、着替え始める。
 鏡に映る自分の姿をしばらく見ているが、やがて椅子に座り、メークを始める。
 そこへ奥の梯子から、リュウジが下りてくる。

グロリア(リュウジに目を止めて)……誰なの、あんた?
リュウジ ……。
グロリア 管理人さん? 違うわよね、まさか、こんな夜中に……

 リュウジは軽く足をひきずっている。傷はずいぶん治ったらしい。
 テーブルに近づいて行く。

リュウジ 読んだぞ、新聞。あれ、お前だろ?
グロリア やだ、何のこと?
リュウジ 「駒沢公園で発砲事件」ってやつ。
グロリア ……ああ、あれ。まあね。
リュウジ お前、人のピストル勝手に……
グロリア あんたのじゃないわ。あんたのアニキのでしょ?
リュウジ 面倒なことになってるらしいぞ。
グロリア あら、そう? どういうふうに?
リュウジ 書いてあったじゃないか。「組織が関与している可能性もあると見て、捜査している」って。関与してるわけないだろうが?
グロリア その噂なら、私が流したのよ。
リュウジ お前な……
グロリア いいのよ。とにかく、おっかながって、バカなやつらが来なくなればそれでいいの。
リュウジ お前めちゃくちゃだな。
グロリア 今頃気がついた?
リュウジ 何考えてんだよ、お前?
グロリア 別に何も。だって、ただの仕返しだもん。あの事件から、一週間も経って、初めのうちは、警察がパトロールしてたんだけど、もう誰もいない。また、バカな連中が集まってくる頃じゃないかと思ったから、友達のとこに電話して、仲間集めて、今度は私たちがやっつけてやろうじゃないのって話になったの。私の友達って、いつもは、みんなオネエさんなんだけど、背も高いし、結構たくましいから、ちょっと見にはおっかない感じなのね。出掛けたわ、駒沢の公園に。夜中の二時頃。おとりになることにしたの私。友達と二人でベンチに腰掛けて。そしたら、来たのよ。バカなヤツラが。三人組。いつもの通り下らない因縁つけてきたわ。しっかり近くに引きつけたところで、隠れてた私の友達が、一斉に飛び出して、まわり囲んじゃったの。背の高い「男」が五人。そんでもう寄ってたかって、殴る蹴るやりたい放題。もちろん私も一緒になって。そのうちに、やつらは逃げ出したわけなんだけど、私何だかおさまらなくて、バラバラになって逃げ出した一人の後、追いかけてたの。追いかけて、追いかけて、あんなに走ったの本当に久しぶり。ようやく、テニスコートのフェンスのところで行き止まり。一対一よ。そいつ、まだ若いのよ。きっと十代。まさかこんなことになるとは思ってなかったみたいで、すごくおっかながってた。でも、私が一人だってことがわかったら、急に強がって、こっちに向かって来たの。だから、私、持ってたピストル出して、そいつに向けたわ。その子、一瞬、凍りついたわ。「マジかよ?」なんて言うから、私言ってやった。「悪いけど、私はいつだってマジよ」。そいつ、びくびくしながら「ざけんなよ」なんて言うから、私、撃っちゃったの、思いっ切り。ダーン! その子のすぐ横の地面に向かって。まさか本物だとは思わなかったのね。その子、その場に座り込んじゃって、泣きそうな顔してた。もう一発。ダーン! その子、何とか立ち上がって、走りだしたわ。後ろも振り返らないで、一目散。
リュウジ ……。
グロリア あとは空に向かって撃ったわ。ダーン! ダーン! ダーン!
(笑う)すっごい、いい気味だったわ。生まれて初めて。あんなに思いきり誰かをいじめたの。子供の頃からいつもいじめられてばかり、いつもいつも。いつか誰かをいじめかえしてやりたいと思ってたのよ。仕返ししてやりたいと思ってたのよ。最高の気分だったわ。本当に。
リュウジ 無理すんなよ。
グロリア
(腕を組みながら)無理なんかしてないわよ。(腕をほどいて)するわけないじゃない。うれしくてうれしくて。いい気味でいい気味でしょうがなかったわよ。ざまあ見ろだわ。
リュウジ ピストルは?
グロリア あるわよ、ここに。

 と言って、ピストルを取り出す。

グロリア だから、もう空よ。全部撃っちゃったから。
リュウジ 何考えてんだよ?
グロリア ねえ、この弾って、どうやったら、手に入るの?
リュウジ 教えられるわけねえだろ、そんなこと。いいから、よこせ。
グロリア いやよ、危なっかしい。
リュウジ お前の方がよっぽど危なっかしいってことはもう証明されてるだろ。お前がそんなもの持ち歩いてると思ったら、いつまでも心配してなきゃなんないじゃないか。
グロリア 心配してくれんの?
リュウジ そんなの面倒だから、返せって言ってるんだよ。
グロリア そう。わかったわよ。

 グロリアは、ピストルをスカーフにくるんでテーブルに置く。

グロリア よく逃げられたわね。どこから出たの?
リュウジ 一階の窓ぶち破った。
グロリア どこに行ってたの?
リュウジ 部屋に行ったり、あちこちな。でも、おかげで俺がまだこのへんにいるってことがばれちまったらしくて、面倒なことになってるんだ。
グロリア それで、またここに逃げ込んできたってわけ?
リュウジ しょうがねえだろ。他に行くとこないんだから。
グロリア ……情けない男ね、全く。
リュウジ 悪いけど、また、しばらく世話になるからな。
グロリア だめよ、出てってちょうだい。

 間

グロリア このマンション、もうじき取り壊すらしいのよ。こないだから、いろんな人がうろうろするようになって。だから、いつまでもここにはいられないわ。
リュウジ そうなのか。
グロリア それに、私、もう野良犬飼い馴らすのはやめるの。やっぱり一人が一番だから。
リュウジ そうか。じゃあな……

 リュウジ、出て行こうとする。

グロリア いいのよ、今夜一晩くらいなら。もう、遅いし。
リュウジ ……。
グロリア 映画の話でも聞いてかない?
リュウジ ああ。

 長い間

グロリア 私、あやまらないわよ。こないだのこと。
リュウジ 俺だって。
グロリア 言いすぎたなんて思ってないから。
リュウジ 俺だって。あやまろうと思って来たわけじゃない。
グロリア わかってるわよ。他に行くとこないからでしょ。何てかわいそうなのかしら。

 間

リュウジ あやまるつもりはないけど、感謝はしてるんだ。
グロリア やだ、やめてよ。
リュウジ だって、そうだろ。お前、俺に飯食わせてくれたり、薬くれたり。
グロリア 大事なこと忘れてる。話相手にもなってあげたわ。
リュウジ 俺、今、何もできないけどさ、金も全然ないし。でも、いつかきっとこの礼はするから。
グロリア いいのよ。ムリしなくて。
リュウジ 今すぐは無理でも、そのうち何とか……。
グロリア そうね、じゃあ、考えておくわ。あ!

 グロリア、笑い出す。

リュウジ 何か、思いついたのか?
グロリア
(笑いながら)……でも、無理だわ?
リュウジ 何だよ?
グロリア でも、馬鹿馬鹿しすぎ……
リュウジ 言ってみろよ。
グロリア
 じゃあ、言うけど。あんたが私にどうしてもお礼がしたいっていうんだったら、私にキスして。
リュウジ は?
グロリア は?じゃないわよ。キスよ、キス。私がほしいのはそれだけだわ。

 間

リュウジ ばか。何言ってんだよ。できるわけねえだろ、そんなこと。何かモノで言えよ。モノで。
グロリア そうよね、できるわけないのよ。あんたなんかに。頼んだ私がバカだったわ。
リュウジ そういう言い方ないだろ。じゃあ、やってやるよ。キスぐらい何でもないじゃん。
グロリア もう、無理しちゃって。
リュウジ 無理なんかしてない。
グロリア わかってんの? 私にするのよ。
リュウジ ああ、わかってる。
グロリア できるわけないじゃない。
リュウジ できるって。
グロリア ものすごいやつよ。
リュウジ 想像できないくらいのだろ。
グロリア 世界が変わるくらいのよ。
リュウジ ああ、やってやるよ。

 リュウジ、グロリアに向かって歩き出す。グロリア、あわてて逃げる。

グロリア 今じゃなくていいの。いつかよ、いつか。
リュウジ いつかっていつだよ?
グロリア いつかはいつかよ。
リュウジ 俺はばーさんにキスする気はねえぞ。
グロリア 言っとくけど、私はばーさんになんかなりません。
リュウジ じゃあ、じーさんか?
グロリア むかつくわね、あんたって本当に。

 と突然、ラジカセが大音量で鳴り出す。

グロリア 何なのよ、こいつ、今頃になって……

 グロリア、ラジカセに近づき、しゃがみこむ。あわてて止めようとするが、うまく行かない。
 リュウジ、ラジカセに近づき、ボリュームをしぼる。
 静かに流れ出す音楽。
 ほっとして立ち上がるグロリア。
 すぐ前に立っていたリュウジと目が合う。
 見つめ合う二人。
 だが、それは決していいムードというのではない。
 二人とも意地を張っている、どちらが先に目をそらすか。
 二人とも目をそらさない。
 グロリア、思い切って、顔を近づける。
 負けじとリュウジも顔を近づける。
 グロリア、また近づける。
 リュウジもまた。

 間

 そして、リュウジはグロリアにキスをする。

 間

 リュウジ、グロリアから離れ、背を向けて立っている。
 グロリア、リュウジを見ずに、やはりリュウジから離れ、違う方を見て立っている。

グロリア バカね、意地張っちゃって……
リュウジ どうだ、世界が変わったか?
グロリア ……全然。
リュウジ ?
グロリア
(振り向いて)まだまだね。あんたに期待した私が愚かだったわ。
リュウジ 何だと?
グロリア ちっともものすごくないもん。何も変わらないわ。変わるわけないじゃない。
リュウジ ふん。

 リュウジ、音楽を止めて、椅子に腰掛ける。
 間
 グロリア、リュウジを見て、何事かに気づく。

グロリア ……ねえ、リュウジ、すっごいアイデア思いついちゃった。
リュウジ 何だよ。
グロリア あんた無事に逃げられるわ。
リュウジ どうするんだ?
グロリア
(部屋の隅のドレスを指さし)これ着るのよ。
リュウジ ?
グロリア だから、これ着て、女装して逃げるのよ。
リュウジ バカ言うな。できるかそんなこと。
グロリア できるわよ。まさか、やつらだって、あんたが女装してるとは思わないでしょ。これよ、これしかないわ。
リュウジ やだよ。
グロリア そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。じゃあ、どうやって、逃げるのよ?
リュウジ 勘弁してくれ。それだけは。頼む。
グロリア 初めはみんなそう言うの。でも、そのうちにみんなはまっちゃうの。そういうもんなのよ。
リュウジ だったら、なおさら、そんなことできるか。
グロリア あんたは、今オカマにキスしたのよ、次はこれだわ。
リュウジ ……。
グロリア 逃げたいんでしょ?
リュウジ ああ。
グロリア だったら、運命を受け入れなさい。

 間

リュウジ ……わかったよ。やるよ。(ヤケっぱちで)やればいいんだろ!
グロリア デビューね。デビュー!
(気づいて)あ、そうだったのよ。さっきのキスで変わったのは、私じゃなくて、あんただったのね。これで証明されたわね。すごいキスしたのは、あんたじゃなくて、私だったってことが。
リュウジ 勝手に言ってろ。
グロリア ねえ、リュウジ。覚えといて。これが、私のあんたへの復讐よ。でも、警察の前に転がしとくのは勘弁してあげるわ。
リュウジ 畜生!
グロリア さあ、どれがいい。好きなの選んでいいわよ。アイシャドーはやっぱりブルーかしら?
リュウジ 勝手にしろ!
グロリア じゃあ、ちょっと待っててね、私が先にこしらえるから。

 グロリア、イスに腰掛けて、鏡を見ながら、ドラァグクィーンのメーキャップを始める。
 リュウジは、グロリアをしばらく見ているが、やがて語り始める。

リュウジ 俺は結局、女装させられて、グロリアが呼んできた仲間たちと一緒にマンションを出た。いやがる俺をからかい、おだてて、グロリアは俺を駅に連れて行き、始発の電車に押し込んだ。発車のベルが鳴る。俺は尋ねた「映画の続きはどうなるんだ? グロリアの続きは?」。グロリアは答える「悪いけど、自分で見てちょうだい。絶対に最高だから」ドアが閉まる。それが、グロリアの最後のセリフだった。俺は、ガラガラの電車のトイレで、ドレスを脱いで、化粧を落とした。グロリアに渡されたピストルの包みを開けてみると、ピストルではなく、バカバカしいほど大きなネックレスとイヤリングが出てきた。グロリアのしわざに違いない。間違えたのか、わざとなのか。今となっては、もうわからない。気がついてみれば、俺は、グロリアの本名も住所も知らなかったんだ。俺は「グロリア」のビデオを見た。どこまでも逃げ続けるグロリアとフィルが最後にどうなるのか、気になったからだ。映画のラスト、グロリアはフィルの持ってる大事なノートを持って、マフィアのボスの屋敷に乗り込んでいく。そのボスこそグロリアのかつての愛人だったのだが、めちゃくちゃなグロリアは、そこでもチンピラを何人も撃ち殺してしまう。グロリアを追いかけてきた連中は、グロリアの乗ったエレベーターを、天井から、マグナムでむちゃくちゃに撃ちまくる。グロリアはどうなったのか? 次の場面。映画の一番最後、約束の日になっても、グロリアは待ち合わせの場所ピッツバーグの駅に現れない。もうグロリアは死んだんだと思ったフィルは、グロリアとの約束を守って、タクシーに乗って墓地に行くことにする。例によって誰のものかわからない墓の前でフィルは言う。「グロリア、死んじゃったんだね。淋しいよ。会いたいよ」その時、道の向こう側に黒塗りのハイヤーが止まる。運転手がドアを開けると、品のいい白髪のばーさんが降りてくる。そして、フィルに向かって声をかける。「さあ、おばあちゃんにキスしてちょうだい!」フィルは、信じられないという顔をして走りだす。ここからはスローモーションだ。フィルは、墓石の間を一生懸命に駆けて行って、そのばーさんに抱きつく。二人はしっかり抱き合う。フィルはばーさんがかぶっている帽子を取って放り投げる。次に、髪の毛をつかんで放り投げる。すると、その下から、グロリアの少しくたびれたブロンドの髪の毛が現われる。抱きあう二人はそのままの姿でストップモーション。そして、映画は終わる。俺は結局、田舎で堅気になった。やつらの追手も、ここまでは届かなかった。もともと俺なんか、やつらにとっては何でもなかったのかもしれない。何年も経ってから、俺は、またあのマンションに戻ってみた。夏の終わりの二週間を、気のいいオカマと過ごした、あのマンションに。古ぼけたマンションは跡形もなかった。妙に行儀のいい、ガラス張りのオフィスビルがそこには建っていた。俺は、グロリアの姿を探した、もしかしたら、タクシーが止まって、そこからグロリアが現れるんじゃないかと思って。でも、あいつは来なかった。いつまで経っても。それだけの話だ。今頃どうしているのか。グロリアは本当にいたのか。町の噂の通り、あのマンションに住む幽霊だったのかもしれない。そう思うときがある。
グロリア
(ゴージャスにほほえみながら)悪いけど、私はここにいるわよ。

 グロリアは立ち上がる。

グロリア(大きく両手を広げて)さあ、おばあちゃんにキスしてちょうだい!

 流れ出す「恋のサバイバル」
 ショーが始まる。グロリアは歌い始める。
 リュウジ、グロリアをしばらく見ているが、そっと立ち去る。
 ビッチに、そしてゴージャスに歌い踊り続けるグロリア。
 遠い日の思い出のように、いつか闇に消えていく。

 幕 

  
     

★次の映画を参考にさせていただきました。
 「蜘蛛女のキス」マヌエル・プイグ原作 へクトール・バベンコ監督
 「グロリア」ジョン・カサベデス監督
 「ミザリー」スティーブン・キング原作 ロブ・ライナー監督


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