「陽気な幽霊」
GAY SPIRIT
関根信一

●その5●

<<<その4<<<

ポケベルが鳴る。確認する柾。
柾の部屋。柾が一人座っている。
やがて、押入れから出てくる幽霊。
二人、黙って見つめ合っている。
  
柾  良かった。帰ってきてくれて。
幽霊 帰ってきたんじゃないの。挨拶に来たの。
柾  挨拶って?
幽霊 お別れの。だって、あんた、私が誰だか、もうわかっちゃったでしょ。
柾  え? 知らないよ。
幽霊 駄目なの、もう。いくら、ごまかしたって。本当は、あんた、もう何もかも知ってるのよ。そうじゃない?
  

  
柾  うん。
幽霊 ……。
柾  霊ちゃん、田代さんのことが好きだったんだね。
幽霊 ……。
柾  でも、だったらどうして、あんなふうに手紙を書いて、僕と会わせようとしたの? 自分が好きな相手なのに。
幽霊 だって、私もう死んじゃってるのよ。
柾  ……。
幽霊 私の好きは、こういう好きなの。いつまでも、一人でいられるのがやだったのよ。私のこと、もしかしたら気にしたりして、いつまでもはっきりしないでいられるのが。それだけなの。あんた、いい子だったし。放っとけなかったし。世話焼いてみたくなったのよ。
柾  霊ちゃんのこと、健ちゃんにだけはいつでも見えるっていうの、あれ、嘘なんでしょ。僕と田代さんが二人きりになれるようにっていう時のために考え出したことなんじゃないの?
幽霊 違うわよ。
柾  霊ちゃんと喧嘩した後で、僕が二丁目に行って、あの店に入ったのも、田代さんに会えたのも、みんな霊ちゃんが背中押してくれたんだよね。あの時、時計が止まってたのも全部。そうなんでしょ?
幽霊 違うわよ。
柾  (強く)ぼくにだって、そのくらいわかるよ。もう子供じゃないんだから。
幽霊 (強く)そこまでわかってるなら、わざわざ言ったりしないもんよ。大人だったら。
  

  
幽霊 (軽く)嘘よ。みんな嘘。あんたいつから名探偵になったの? こういう時、映画だったら、犯人は、すべて白状して、美しく死んで行くのよね。私、どうしたらいいのかしら? もう一度死んでみる?
  

  
幽霊 (おだやかに)二度目にあんたたちが出会ったことには、私は全然、関係ないの。時計のことだって知らない。あんたたちは、勝手に出会ったのよ。自分たちの力で。自信持ちなさい。それはね、あんたや健ちゃんに私の姿は見えるけど、あいつには見えないっていうのと同じくらい確かなことなの。そう、私は関係ないのよ、残念だけど。
  

  
柾  霊ちゃんがし残したことっていうのは、何なの?
幽霊 それはまだわかってないのね?
柾  わかるような気もするんだけど、違うような気もするんだ。
幽霊 何だと思うの? 言ってごらんなさい。
柾  霊ちゃんは、自分が好きだっていうことを、田代さんにわかってほしかった。違う?
幽霊 ブー。はずれ。まだまだね、探偵さん。
柾  じゃあ、何なの?
幽霊 わかったわ。じゃあ、教えてあげる。私のし残したことはね、ものすごく簡単なこと。一度だけ、あいつに抱き締めてほしい。それだけなの。私の気持ちをわかってほしいとかそんなことじゃなくて、ただ、抱き締めてほしい。笑っちゃうでしょ?
柾  笑わないよ。
幽霊 それだけで、こんなふうにさまよえる魂になれちゃうなんて、何だか信じられないわ。
柾  ……。
幽霊 私ね、あんたを利用したの。あんたの体使って、あいつに抱かれようと思った。ひどいでしょ、幽霊って? 残酷でしょ?
柾  霊ちゃんは、幽霊じゃないよ。
幽霊 私は幽霊なの。さまよえる魂なの。
  

  
柾  僕だって、きっと同じようなことしてたと思う。森谷さんと同じ立場だったら。
幽霊 いいのよ、霊ちゃんで。もう、わかったでしょ。あんたにさんざん偉そうなこと言ってきたけど、本当は、私、好きな男に、告白一つできない、意気地なしなの。がっかりしちゃうわね。
柾  そんなことない。そんなことないよ。
  

  
幽霊 じゃあ行くわ。話もすんだし。
柾  行くことないよ。
幽霊 だめなの。だって、約束だから。今日が終わって、新しい年になったら、私はここにいられないの。
柾  だったら、田代さんに会わなきゃ。まだ抱き締めてもらってないんだから。
幽霊 もう十一時過ぎよ。あの人、どこにいるのかわかってるの? 横浜よ。
柾  知ってる。
幽霊 まだ仕事してるのよ、大晦日のこんな時間まで。
柾  言ってた。会社のみんなと新年を祝うんだって
幽霊 でしょ。無理なのよ。もう今からじゃ。
柾  ちょっと待ってて。
  
柾、受話器を取り上げ、電話をかける。
  
柾  もしもし、あ、僕だけど。うん。忙しい? 全然終わらない? ……ねえ、ちょっとだけ出て来れないかな。どうしても会いたいんだ。今日のうちに。……どこでもいいよ。横浜の駅でも何でも。……そう。そうなんだ。(決心して)わかった。じゃあ、会社の前でいい。うん、わかると思うから。じゃあ、十二時三分前に。うん、あそこの公園で。うん、噴水の前。……大丈夫、絶対に行くから。待ってて。……じゃあ、後でね。
  
柾、電話を切る。
  
柾  (決意して)よし。行くよ、霊ちゃん。
幽霊 無理だわ。
柾  やってみなきゃわからないよ。
  
そこに大橋健二がやって来る。
  
健二 おい柾、初日の出見に行かない? 房総の方とか。天気もいいし。(幽霊に気付いて)何だよ、霊じゃん。来てたのかよ。そうだ。お前も一緒に行く?
柾  ねえ、健ちゃん。初日の出もいいんだけど、その前に横浜まで連れてってくれないかな。
健二 何だよ。横浜って。
柾  田代さんの会社。どうしても今日中に会いたいんだ。
健二 俺はお前のタクシーじゃない。
柾  僕だけじゃないんだ。僕と霊ちゃん。事情は、後で話すよ。
健二 今日中って言ったって、あと一時間しかないじゃないか。
柾  間に合わないかな?
健二 ギリギリだと思うけど。
柾  なら、行ってみる。お願い、頼むよ。連れてって。
健二 わかった。じゃあ、いくぞ。とにかく急げ。
  
と二人は車に乗り込む。
幽霊はおろおろして見ている。
  
健二 そういうことなのか。だったら、まかしとけ。
幽霊 もう、おしゃべりね。
健二 霊、安心しろ。絶対に連れてってやるからな。よし、行くぞ。
  
健二、思いっきり発進する。
  
幽霊 馬鹿な真似よしなさい。あんたたちまで死んじゃったらどうすんのよ。
健二 いいじゃん、それならそれで。(柾に)なあ?
柾  うん。でも、信じてるからね。
健二 おう。
  
健二、車をどんどん追い越しながら、飛ばしていく。
  
幽霊 ちょっと、知らないわよ。スピード違反でつかまっても。
健二 大丈夫。どこでねずみとりやってるかぐらい。ちゃんとわかってる。
柾  健ちゃん、さすが!
  
幽霊、フロントグラスの向うから話しかける。
  
幽霊 何なのよ、あんたたちって。
健二 ばか! 霊! 前に来るなよ。危ないじゃないか。
幽霊 私は悲劇のヒロインでいいのよ。ハッピーエンドは嫌いだわ。
柾  嘘だ。僕はハッピーエンドがいい!
健二 俺も!(幽霊に)強がってんじゃねえよ。
幽霊 好きにするのね。
  
とどこかに行ってしまう。
  
健二 おい、霊!? (柾に)消えたぞ。
幽霊 いいから、飛ばして。大急ぎ!
健二 よーし。楽勝、楽勝。
  
健二、快調に車を飛ばして行く。
  
柾  (観客に向かって)ところが、僕たちは渋滞にはまってしまいました。
健二 畜生、もう少しなのに。何で、大晦日に、ベイブリッジなんだよ。
  
健二、ハンドルを叩く。
  
柾  健ちゃん、降ろして。
健二 どうすんだ?
柾  走って行く。
健二 ここからか?
柾  うん。
健二 よし、わかった。
  
柾、車を降りる。
  
健二 道わかるか? あっちが中華街だぞ。
柾  うん。大丈夫だと思う。
健二 よし。じゃあ、気をつけて行けよ。
柾  ありがとう。
  
柾は走り始める。
  
機械音 「二十三時五十分です」
柾  (走りながら)あと十分。霊ちゃんが田代さんに出した手紙を、僕は読ませてもらいました。霊ちゃんの嘘のおかげで僕が出したことになっているので、僕は自分が書いた手紙の中身を知っておかなくてはいけなくて、一生懸命読みました。あんまり何度も読んだので、本当に自分が書いたような気がしてきたくらいです。一通目は自己紹介。どこで調べたのか、ものすごく詳しい僕のプロフィール。それでもちゃんと気を使って、身長は少し高めに、体重は少し控えめに書いてあります。もちろん、こういう嘘は許されるんです。きっと。二通目は、お返事どうもありがとう。それから、僕の一日が報告されてます。朝起きてから、夜寝るまで。一体、どこで見てたんだろう。本当に僕が書いたように、ある日の僕がそこにいます。お返事どうもありがとう。だけど、その返事も全部霊ちゃんが書いてたんです。
機械音 「二十三時五十五分です」
柾  (走り続ける)あと五分。三通目は、あなたに会いたいです。今度の週末、金曜の夜八時。新宿紀伊国屋の前で待ってます。この強引さ。これは僕じゃありません。霊ちゃんです。あなたに会いたい。だから、この手紙は、霊ちゃんの手紙なんです。霊ちゃんが出せなかった手紙を僕が代わりに書いてる。あなたに会いたい。クリスマス。きっと霊ちゃんは知ってたんです。自分の姿が田代さんには見えないこと。だって、一目会いたくて、一度だけ抱き締めてほしくてさまよえる魂してるのに、会いに行かないわけないじゃないですか。霊ちゃんは、きっと会いに行ったんです。でも、会えなかった。どうしても会えなかった。僕はそう思います。でも、霊ちゃんにはこんなこと言えない。言ったら、また怒られるに決まってるから。
機械音 「二十三時五十九分です」
柾  あと一分。だから、僕は走ってるんです。あなたに会いたい。霊ちゃんが、僕の背中を押してくれたお礼に、今度は僕が霊ちゃんのために、霊ちゃんが出せなかった手紙を届ける番なんです。
  
ようやく田代の会社の前の公園に着いた。
田代が立っている。
  
柾  あ、いた!
田代 柾!
  
カウントダウンが聞こえる。「プッ(4)、プッ(3)、プッ(2)……」
柾は、全速力で田代のところへ走っていき、思いっきり抱きつく。
そして、時間が止まる。
  
柾  (叫ぶ)霊ちゃん、おいで。間に合ったよ!
  
幽霊は来ない。
  
柾  霊ちゃん! いるんでしょ。ねえ!
  

せいっぱい強がって、幽霊がやって来た。
  
柾  田代さんだよ。
幽霊 わかってるわよ。
柾  ねえ、霊ちゃん!
幽霊 わかってるわよ。
  
幽霊、柾の中に入る。
幽霊と田代は、実際には抱き合わない。幽霊は、まっすぐ前を見たまま、その場に立ち尽くしている、ように見える。

  
幽霊 やーね、あんたこんなにドキドキして、あんなに一生懸命走るから。
柾  聞こえる? ドキドキ?
幽霊 聞こえる。ドキドキ。今日はこんなに寒いんだ。でも温かい。腕、肩、背中、首、胸……。
  
今、幽霊は、田代に抱かれている。
一生のように長い間
  
幽霊 ……もう行かなきゃ。
柾  まだいいじゃない。
幽霊 ねえ、頼みがあるんだけど。
柾  何?
幽霊 田代君には、私のこと黙ってて。
柾  どうして?
幽霊 だって……。やーよ、そんなの照れくさいじゃない!
柾  そんなことないよ。
幽霊 いいから、言うとおりにして。
柾  もし、しゃべっちゃったら?
幽霊 ……化けて出てやる。
柾  だったら、しゃべらなきゃ。……言わない。約束するよ。ねえ、もう本当に会えないの?
幽霊 うん。……でも、もしかしたら、今度のパレードにはまた来るかも。
柾  (強く)きっとだよ、きっとおいで。僕たち待ってるから。
幽霊 じゃあね。さよなら。
柾  さよなら。またね。
幽霊 ……ありがとう。
  
幽霊は消えていく。
時間が融けて流れ始める。
新年を告げる時報。
そして、横浜の港に停泊する船の汽笛が一斉に響きわたる。
それを聞いている柾と田代。
しばらくの間、抱き合ったまま動かない。
やがて……
  
田代 (少し離れて)どうしたんだ?
柾  何でもない。
田代 何、泣いてるんだよ?
柾  え?(気がついて)あ、本当だ。
田代 おかしなやつだな。
柾  うん。
  
二人、もう一度抱き合う。
  
柾の声 霊ちゃんが出て行った後は、何だか体の中に隙間ができたような、お腹が空いた時のような、変な感じでした。そして、僕はいつまでも涙が止まりませんでした。こうして、霊ちゃんは、帰って行きました。
  
                              暗 転
  
 * * * 
  
  
翌年の八月最後の日曜日。東京。
ゲイ・パレードの当日。
  
柾  翌年のパレードの当日。ここは、パレードの出発点になる公園です。すっごいいい天気。今年も、日曜日の午前中だっていうのに、もう、思い思いの格好をしたたくさんの人でいっぱいです。僕も、どんな格好しようか考えたんです。でも、いろいろ考えて、結局、普段のままで歩くことにしました。だって、霊ちゃんが来たとき、僕たちのこと見つけられなかったらいやだったので。もうそろそろ出発の時間なのに、霊ちゃんの姿はありません。健ちゃんは、さっきからずっと、落着きがありません。霊ちゃんの姿を探して、あちこち歩き回っています。あ、健ちゃん。
健二 すっげー人だな。これみんなゲイとかレズビアンなのかよ。
柾  たぶんね。そうじゃない人も結構混じってると思うけど。
健二 俺みたいな?
柾  そう。
健二 いいのか、俺なんかがいて? やっぱり何か場違いな感じがするんだよな。
柾  平気、平気。気にすることないって。それに黙ってればわかんないんだから。ねえ、それより、霊ちゃんいた?
健二 いないな。あいつ、本当に来るのかな。
柾  来るよ。きっと来る。だって、約束したんだから。
  
と、田代がやってくる。
  
田代 ごめん、遅くなって。すごい人だね。テレビで見るのとは大違いだ。
健二 今日も仕事ですか?
田代 いや、ちょっと寝坊した。
健二 どうする? もう出発の時間過ぎてるけど……。
柾  そうだね。どうしようか。
田代 あ、歩き出した。
柾  いいよ。もう少し待ってみよう。ここで待ってた方がわかりやすいから。
健二 おい、あの白いの霊じゃないか?
柾  え?(と見て)違うよ。
  
とがっかりしていると、柾の後ろから豪華なドラァグクィーンがやってくる。
柾を押し退けて、通りに出る。
  
ドラァグ あら、ごめんなさいね。
  
あまりの豪華さに、一同唖然としている。
  
ドラァグ 何してんの、行くわよ。
  
と言い捨てて、豪華に歩いて行く。
  
健二 オレ、帰るわ、やっぱり。
柾  いいから、行こう!
健二 ああ。
田代 行こう!
  
三人、歩き出す。
と、柾のポケベルが鳴り出す。
柾、ポケットから出して、表示を見る。
健二に、見せる。
田代も、ポケベルを覗き込む。
  
田代 (何も知らずに)0(ゼロ)って、誰から?
  
柾と健二、顔を見合わせる。
あちこち捜しまわるが、霊の姿はない。
やがて柾、空を見上げる。健二も。そして田代も何となく空を見上げる。
どこまでも広がる八月の青い空。
パレードの活気と喧騒がどんどん盛り上がっていく。
  
                              幕  

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