ひまわり

第1場

>>>第2場・第3場>>>

 劇団フライングステージ第15回公演上演台本

  ひまわり

                                   関根信一 

人物と配役
 サンドラ=春日健太郎 ………………………………………… 関根信一
 石井達雄/犬たち ……………………………………………… 郡司明剛
 ベリンダ/春日啓子 …………………………………………… ますだいっこう
 アキちゃん/春日義則/犬たち ……………………………… 水月アキラ
 ナオナオ/春日ひとみ/犬たち ……………………………… 入山直子
 カオル/西野利郎/ペットショップの店員/犬たち ……… 増田 馨
 マルガリータ/藤田千栄子/犬たち ………………………… 石関 準
 リョウちゃん/藤田 剛/犬たち …………………………… 吉岡亮夫
 桑原岳彦/モグ ………………………………………………… 岩井智彦
 トモピー/クロ/女の子 ……………………………………… 早瀬知之
 ヒロキ/金城武司/犬たち …………………………………… 鳴海宏基

*          *          *

客入れの曲が一区切りすると、ノリのいい音楽が始まる。リップシンクのショーにぴったりのちょっとイカした、そこはかとなく安っぽい曲。
曲の途中で暗転。曲が終わる。
舞台が明るくなると、どこかのクラブの楽屋。
椅子が並べられ、鏡が立てかけてある。
ショーを終えたばかりのドラァグクィーン、サンドラが入ってくる。ギンギラのメーク&衣装。椅子に腰を下ろし、一息ついている。
しばらくして、フリーライターの石井達雄が、カメラを手にして入ってくる。
その他のドラッグクィーン、ゴーゴーボーイズの面々も、二人の会話の間に次々この楽屋に入ってきては、くつろいでいる。サンドラと石井の話を聞いているようないないような……

石 井 お疲れさまでした。
サンドラ どうも。
石 井 いや、おもしろかったです。
サンドラ でも、ちゃんと見えた?
石 井 ええ、なんとか。でも、すっごい人ですね。びっくりしました。
サンドラ こういうクラブって初めて?
石 井 ええ、あんまり夜遊びはしないたちなんです。
サンドラ まだ、今日は、少ないほうかも。もっと夜遅くなると、どこからこんなに来たんだろうっていうくらい。もう、ぐちゃぐちゃ。
石 井 有名人も結構来てるって本当ですか?
サンドラ まあね。でも、あたしたち、やりたいことやってるだけだから、別に誰が来ようと関係ないの。でも、実物見ると、ミーハーしちゃうけど、こないだもモックンが来ててね……、あ、いいんだわ、別にそんなこと。どうだった、私のショー?
石 井 面白かったですよ。
サンドラ 本当に?
石 井 ええ。でも、ひどい客がいましたね、「ブス」とか「安いぞ!」とかって。
サンドラ いいの、あれはあれで。だって、これって「ブス」でしょ。
ベリンダ ホントよね。
石 井 そんなことないです。
サンドラ いいの、もっと素直になって。
石 井 かなり「ブス」ですね。
サンドラ ありがとう。でも、ホントの野次だったら、だまってなんかいない。みんなして、そんなやつつまみ出してやる。でもね、ここは、私たちのお約束の場所なの。思い切り悪口言って、悪いやつのふりして、そんな自分たちを楽しんじゃう、そんな場所なんだから。石井君も気にしないで、楽しんでって。
石 井 わかりました。じゃあ、僕も今度から、呼ばせてもらいます、一緒になって。
(思い切り)「ブス!」「巨ブス!」
サンドラ ……よろしく。
石 井 ええと、じゃあ、始めさせてもらっていいですか、インタビュー?
サンドラ どうぞ。ていうか、もう始まってるんだと思ってた。
石 井 すいません、慣れてなくて。
サンドラ 気にしないで。
石 井 その前に写真一枚いいですか?
サンドラ どうぞ。

サンドラ、ポーズを取る。
とその場にいた全員がカメラの前に集まってポーズをとる。
石井はびっくり。

ベリンダ いいのよ、遠慮しないで。
石 井 はい。じゃ……

石井、写真を撮る。
一同、すぐに散っていく。

サンドラ(みんなに)えーと、紹介します。フリーライターの石井達雄さん。
石 井 どうも、初めまして、石井です。
一 同 どうも。
石 井 華やかなメークに隠された、ドラッグクィーンの素顔に迫ってみたくって、取材に伺いました。いろいろお世話になると思いますが、どうぞよろしくお願いします。
リョウちゃん サンドラとはどういう知り合いなの?
サンドラ ていうか、会うの今日が初めてなんだけど。
ベリンダ もともと私のとこに話があったんだけど、断ったのよ。
サンドラ それで私のところに話が来たの。
ベリンダ ごめんなさいね。私、ミステリアスな女でいたいの。それに私、メーク落としたドラァグなんて、意味も価値もゼロだって思ってるから。ていうかマイナス?
石 井 はあ……
サンドラ 私なら、別にかまわないから、どうぞ。何でも書いて。
石 井 ええと。じゃあ、始めさせてもらっていいでしょうか?
サンドラ どうぞ。
(みんなに)やだな、聞いてなくていいから、勝手なことしててよ。
石 井 ええと、サンドラさんは、東京の出身ですよね。
マルガリータ やだ、そんなとこから始めるの?
ベリンダ いいじゃないの、どこからだって。
石 井 いけませんか?
サンドラ 全然、平気。東京の下町の生まれです。
石 井 下町?
ベリンダ ていうか場末よね。
ナオナオ
(カオルに)なあに、場末って?
カオル イケてない下町のこと。
トモピー それって、やっぱりホントだったんだ
石 井 何ですか、ホントって?
トモピー 芝居の中だけの話だと思ってたから。
石 井 芝居って?
ベリンダ この後、みんなでやることになってた芝居。ていうか、超安いショー。私たち、こういうゲイナイトのたびに、いつも何かしら、下げ下げの演劇をやってんのよ。
石 井 へえ、すごいな。脚本とか誰が書くんですか?
ベリンダ うちの犬よ。
石 井 は?
マルガリータ この人のパートナー。
ベリンダ 違うわよ、ただの犬。
マルガリータ じゃ、元パートナー。
ナオナオ でも、一緒に住んでるんでしょ?
カオル しーっ!
ベリンダ つまんない台本なのよ。「男はつらいよ」の寅さんのパロディで「ゲイはつらいのよ」って。もうタイトルからダサダサでしょ。
マルガリータ 私はイカすと思うわ。
ベリンダ うちの犬が、サンドラが葛飾柴又の生まれだって聞いたら盛り上がっちゃって。前から、「男はつらいよ」大好きでね。どこが面白いんだか、私にはちっともわかんないけど。そんなんで、二人して、作っちゃったのよ。
マルガリータ サンドラのライフヒストリーをしっかり参考にした、言ってみれば、「女の一代記物」よ。帝劇や芸術座でやってるみたいな。
サンドラ 山田五十鈴と一緒にしないで。
石 井 ていうか、森光子?
サンドラ ……。
石 井 でも、なんで、中止なんですか?
サンドラ ちょっといろいろあって。
石 井 いろいろって?
ベリンダ 男に逃げられたのよ。相手役やることになってた。しかも土壇場になって。
石 井 ああ、そうだったんですか?
(サンドラに)御愁傷様です。
サンドラ 逃げられたんじゃないの、終わっただけ。
ベリンダ 色恋の終わりが私たちとの付き合いの終わりってわけ。つまんない男だったわね。またしても。
サンドラ いない人間にそういう言い方はないんじゃない?
ベリンダ あら、私は、そんな男しかつかまえられないあんたに言ってんのよ。
サンドラ ありがとう。
ベリンダ 残念だったわよね。初の主役だったのに。
石 井 いやあ、見たかったな。
サンドラ そんな大したもんじゃないんだって。
ベリンダ そんなことわかって言ってるのよ。
ヒロキ でも、俺好きだったよ、あの話。
アキラ あんなに稽古したのに、ちょっともったいないよね。
リョウちゃん まあいいんじゃないの、次はもっと豪華なやつ書いてもらえば。
ナオナオ 豪華なやつって、どんな?
リョウちゃん 女装がたくさん出てくるような。
ナオナオ でもしょうがないよ、元々「男はつらいよ」って女役が少ないんだから。
カオル でも、マドンナとかいるじゃない、普通は。
マルガリータ 「ゲイはつらいよ」だから、マドンナは男なわけでしょ。
カオル マドンナの男性形って何? マドンヌ?
サンドラ
(石井に)いいから、続けよう。インタビュー。他のこと気にしないで。
石 井 はい。じゃ、えーと。サンドラさんはゲイなんですよね?
サンドラ もちろん。
石 井 自分がゲイだって気がついたのはいつ頃ですか?
サンドラ うーん、いつだったかな? 何だか気がついたらもうそうだったってかんじかな? 何て言ったらいいか……
石 井 じゃあ、またあとで。ドラッグを始めたきっかけは?
サンドラ ううん、何て言ったらいいかな……。
ベリンダ 決まってるじゃない。女装が好きだからでしょ。
サンドラ うん、まあ、それもそうなんだけど。でも、ちょっと違うような。
ベリンダ ああ、イライラする。あんた、ホントまだるっこしいわね。もっと、スパッと答えられないの、スパっと。
石 井 あ、いいんです、別に。じっくり考えてもらって。
ベリンダ そういうことじゃないのよ。
ナオナオ
(カオルに)だったら、断らなきゃよかったのに、あんなにイライラするなら。
カオル しーっ!

桑原岳彦が入ってくる。

桑 原 お疲れさまでした。
みんな お疲れさまでした。
桑 原 どうしたんですか、みんな集まっちゃって。
ベリンダ 一息ついてんのよ。
マルガリータ それに、インタビューの時間。
桑 原 インタビュー。
石 井 どうも、初めまして。石井です。
桑 原 桑原です。
サンドラ
(桑原に)私のね、取材。ライターの石井達雄さん。(桑原に)この人が書いたの、「ゲイはつらいのよ」。
石 井 ああ。やあ、すっごい見てみたかったんですよ。残念だな。
桑 原 そんな大したもんじゃないんですよ。
石 井 わかってます。
桑 原 ……。
石 井 あ、すいません。
桑 原 じゃあ、今日は、もうショーは終わりですから、後は好きなだけ踊ってって下さいね。どうも、おつかれさまでした。
ヒロキ じゃ行こうか?
リョウちゃん いいよ、まだ。もう少し盛り上がってからで。
サンドラ いいから、行けば、みんな。
マルガリータ いいじゃない、別に。どうぞ気にしないで、続けて。
石 井 じゃ、えーと……。すいません、慣れてなくて。いろいろ聞いてみたいこと考えてきたんですけど……。なんだか、緊張しちゃって。
ナオナオ ていうか、おびえてるかんじ?
石 井
(笑ってみる)いやあ……
ベリンダ じゃ、私、ちょっと踊ってくるわ。じゃあね。
サンドラ ちょっと待ってくれない、ベリンダさん。
ベリンダ 何よ?
サンドラ 悪いんだけど、もう一度だけ、付き合ってくれないかしら、「ゲイはつらいのよ」? みんなも。
アキちゃん でも、一人足りないよ。
サンドラ そこのところは、適当に。
リョウちゃん でも、できるかな?
ヒロキ 何とかなるって!
ナオナオ やってみようよ。
ベリンダ 何言ってんのよ。バカじゃないの?
サンドラ
(石井に)きっと、インタビューしてもらうより、面白いんじゃないかと思うの。それに、せっかくだし、見てみたいでしょ。ていうか、私たちが見せたいの。
石 井 まあ、そうですけど。
トモピー そうだよね。まだ誰にも見せてないんだもんね。
リョウちゃん じゃ、やってみるか?
ベリンダ あんたたち何言ってんのよ。
サンドラ
(桑原に)岳ちゃんもいいでしょ?
桑 原 僕は別にかまいませんけど……
サンドラ じゃ、決まり。始めましょう。
(石井に)この人がね、私のおばちゃんの役なの、「男はつらいよ」のおじちゃんみたいに、がんがんやりあう、言ってみればライバル?
ベリンダ 悪いけど、遠慮しとくわ。
サンドラ あら逃げるのかしら?
ベリンダ ちょっとそれどういうことよ?
サンドラ 別に。ただお願いしてるだけ。
ベリンダ わかったわ、じゃ、お付き合いさせていただくわ。
(マルガリータに)行きましょう。
マルガリータ 面白くなりそうね。

二人、退場。

サンドラ じゃ、みんな、よろしくね。(石井に、桑原のことを指して)この人が作者で演出家で進行役なの。
桑 原 じゃ、みんな準備して下さい。

みんな、退場する。

サンドラ(客席を指して)じゃ、石井君は、そこで見てて。
石 井 はい。

石井、客席の一番前に腰を下ろす。

サンドラ じゃ、よろしくね!

 サンドラ退場。

桑 原 音楽ドン!

「渡る世間は鬼ばかり」のテーマ曲が聞こえてくる。

石 井 あの、何で「男はつらいよ」なのに「渡る世間は鬼ばかり」なんですか?
サンドラ
(突然顔を出して)大好きだからに決まってるでしょ。いいから、気にしないで!

舞台上には、桑原が一人。

桑 原 ここは東京の下町の一角にある「ひまわり美容室」。この物語の主人公、春日健太郎の実家です。実家といっても、健太郎の両親は、彼が幼いころに他界して、健太郎は妹のひとみと一緒に、叔母夫婦に育てられました。健太郎はゲイです。そして、ドラァグクィーンでもあります。どぎついメークに派手なドレスで、あちこちのゲイナイトでリップシンクのショーをしてます。もっともそれだけで食べていけるわけはありませんから、取り敢えずはアルバイトをしているようですが、いい年をしていいかげんな生き方、良く言えば、気儘な暮らしをしています。さて、場面は、「ひまわり美容室」の茶の間。夕食の後の団欒の一時。顔ぶれは、おじちゃんとおばちゃんに健太郎の妹のひとみとその婚約者の西野利郎。それになぜか隣の藤田屋運送店の社長藤田千栄子の5人。みんなでテレビ「渡る世間は鬼ばかり」を見ていたところ。ということは、今は、木曜の午後9時53分ですね。

桑原の紹介に合わせて、みんなが行進しながら登場。
ちゃぶ台の周りに座る。そこは、もうお茶の間だ。
おばちゃんが、テレビのスイッチを切ると音楽もストップ。

千栄子 「渡る世間」も山岡久乃がいなくなってから、今いち、キレが悪いわね。
ひとみ でもあの「家政婦は見た」の人……
おばちゃん 野村昭子。
ひとみ そう。いい味出してる。
千栄子 でもさ、初めは図々しさが売りの怪しいおばちゃんだったのに、実はいい人だったっていうのがねえ。
利 郎 これって、たまに見ると、何だかすごいことになってますね。
ひとみ そうね、かなりマニアックな世界かも。
千栄子 あら、そう? どこにでもありそうな話ばっかじゃない。
ひとみ でも、よく、こんなにたくさん拾ってくるよね、橋田寿賀子。私も時々見逃してるから、人間関係ちょっとわかってないかも。大体、藤田朋子はどうしちゃったわけ?
千栄子 それはね、四女の長子っていってね、最初の旦那と死別して、二番目の旦那が植草なわけ。で、その母親が京唄子で「何しはりまんねん!」って……
おじちゃん それにしても、藤岡啄也はえらい! うん!(納得している)

利 郎 よくこうやってテレビ観たりするんですか、皆さんで?
千栄子 よくって……まあ、うちで一人で見てるよりもね、何だかんだ言いながら見る方がいいじゃない。
利 郎 お一人なんですか?
千栄子 まあ、息子はいるんだけどさ。
おばちゃん 別居してるのよ。
千栄子 やだね、人聞きの悪い。別居っていうか、仕事が終わるとね、夕飯食べて、自分の部屋に帰ってくのよ。
ひとみ 剛ちゃんって言ってね、お兄ちゃんと同級生。幼なじみなの。
おじちゃん 女の子とかいるんじゃないの?
ひとみ やだ、彼女?
千栄子 いないいない。時々、突然、押しかけてって、何かそんな証拠見つけて、それネタに早く所帯持たせてやろうと思ってるんだけど、だめだね、ありゃ。
利 郎 何だかすごいな。
ひとみ ……!
利 郎 いえ、なんでもありません。
千栄子 順番から行ったら、ひとみちゃんが一番最後のはずなのにね。うちのも健ちゃんもすっかり呑気なんだから。あ、健ちゃんはいいのか?
利 郎 健ちゃんってお兄さんですか?
千栄子 お兄さんていうか、お姉さんていうか……。
おばちゃん よしてよ。もう、人聞きが悪いったらありゃしない。
千栄子 ああ、そうだったね。
利 郎 何か?
おばちゃん 何も……
ひとみ いいじゃない、別に悪いことしてるわけじゃないんだし。
おばちゃん じゃ、なんで、こんなにうちに寄りつかないんだい。後ろ暗いことがあるからに決まってるだろうが。
おじちゃん そうでもないだろう、なあ。
ひとみ どうしてるんだろうね、おにいちゃん。
おばちゃん ほんとに糸の切れた凧みたいにいい年してフラフラして……
千栄子 でも、健ちゃんが帰ってきたら、ひとみちゃんも安心してお嫁に行けるのにね。で、やっぱり出てくことにしたの?
利 郎 ええ、僕、長男なんで……
おばちゃん 健太郎がいたっていなくったって、関係ない。ひとみは好きなようにすればいいんだから。私とお父さんと二人で、やってくんだから。
利 郎 すみません。
おじちゃん いいんだよ。気にすることない。
千栄子 そうだ、健ちゃん、またテレビに映ってたよ。また派手なナリして。
おばちゃん いいからね、録画したの見せてくれなくったって。
千栄子 この頃は、カンが働くようになってね、新聞の番組案内見ると、どれに顔出してそうか、大体わかるんだよ。一番の狙い目は「トゥナイト2」だね。
利 郎 お兄さんって、何してるんですか?
ひとみ 何って……
利 郎 風俗関係とか?
千栄子 まあ、そんなとこだね。
おばちゃん ちょっと、千栄ちゃん!
千栄子 はいはい、ごめんなさい。

犬の吠える声が聞こえる。

ひとみ どうしたんだろう、モグ。
千栄子 うちのクロが来てるのかね?
ひとみ クロが来ても吠えないでしょ。仲良しなんだから。
おじちゃん どうして、ああ、いつも遊びにくるんだ、あの猫は?
利 郎 猫なんですか?
千栄子 まだ、こんなに小さくてね。もう可愛いのよ。
おじちゃん いや、もうそうとう図々しくなってる。縁側で煙草吸ってると、えらそうにこっちじっと見てるんだよ。悔しいから、向こうが眼そらすまでにらみ返すんだけど、いつも負けちゃうんだ、これが。
おばちゃん もう、他にすることないのかい?
ひとみ でも、あの仲の良さは異常だよね。犬と猫って壁越えてる。どうしてなんだろうね?
利 郎 モグが年取ってるからじゃないですか? ほら、人も、年取ると、おじいさんだか、おばあさんだか、ちょっと見ただけじゃわからなくなるじゃないですか?だから、犬も年取ると、犬だか、猫だか、よくわからなくなって
(おばちゃんの顔を見ていたが)……あ、別にそういうことじゃなくて……
おばちゃん 何なの、そういうことって?
ひとみ そういえば、そうよね、両方とも去勢してるんだもんね。モグもクロも。
利 郎 元々はどっちなの?
千栄子 うちのクロはオス。
おじちゃん モグはどっちだったっけ?
おばちゃん オスですよ、オス。もう、何言ってんの?

また、犬(モグ)が吠える。

ひとみ ちょっと見てくるわ。

ひとみ、店に下りて行く。
場面は、明かりの消えた「ひまわり美容室」の店内。
場面の転換はできないので、茶の間にいる面々はさりげなく退場しながら、美容室を表すパネルにチェンジ。椅子も置かれる。
モグは相変わらず吠えている。
間取りは、舞台下手が奥(茶の間)、上手前の袖が入口ということに。
ひとみ、下手奥から出てくる。

ひとみ モグ、何吠えてんの? もう夜遅いんだから、やめてよね。

と言いながら、上手前の袖に入る。

ひとみ(声のみ)お兄ちゃん! いいから、中入って!

ひとみ、再び登場。
すぐ後から、健太郎(女装済)がついてくる。

ひとみ ちょっと、やだ。何なのよ、もう! 信じられない。
健太郎 やだな、電話してきたくせに。「モグが死にそうだ」って。全然死にそうじゃないじゃない。
(袖に向かって)うるさいよ、もう!
ひとみ もう信じられない。そんなこと言ってないでしょ。「もう年だから、いつ死んでもおかしくないよね」ってみんなで話してるって、そう言っただけじゃない。
健太郎 とにかく、絶対に死にそうもないってことはわかったよ。

次に出てくるのは、モグ。ひとみの電話によれば、「いつ死んでもおかしくない」という話だった老犬。これは、桑原が着ぐるみで演じる。かなり暑苦しい。

モ グ(関西風のアクセント)おじょうさん、こいつ誰ですか? こら、あやしいやつめ。とっとと出てかんと、ガブっといてまうぞ! こら!
健太郎 何吠えてるんだよ! もう、信じられない!

モグはかなり下品な大阪弁を駆使して、健太郎に吠えている。

健太郎(ひとみに)ちょっと何とかしてよ。
ひとみ お座り!

素直に言うことをきいて、お座りのポーズのモグ。

モ グ でもね、おじょうさん……
ひとみ 待て!

しぶしぶ待つモグ。
ちなみに、この犬と人間との会話は成立していない。犬は人の話していることを理解しているが、人は犬の話していることを全く理解しないということである。

健太郎 ああ、良かった。
ひとみ ねえ、何なのよ、その恰好。
健太郎 とるものも取り合えずってかんじ。
ひとみ そうじゃなくて、何年振り?
健太郎 二年半か?
ひとみ それが二年半振りにうちに帰ってくるときの恰好?
健太郎 だって、お通夜とかって、喪服きちんと着てくより、ふだん着のまんまの方が、「取り合えずかけつけた」って感じがするんだから、気にすることないんだって、教わったじゃない。おばちゃんに。
ひとみ もうバカ!
健太郎 あ、二年半振りに会って、それはないんじゃないの?
ひとみ その恰好でおあいこでしょ、もう……。
(気がついて)ちょっと待って! どうやって来たの?
健太郎 どうやってって……
ひとみ まさか電車に乗って来たんじゃないでしょうね。京成電車。
健太郎 夜更けの「柴又」の駅に降り立つ、ドラァグクィーン。結構いかしてたと思うよ。
ひとみ やだ、信じられない。
健太郎 嘘だって。今日はちゃんと車で来ました。前に一度、自動改札でストップされたことあるから。
ひとみ 誰にも会ってないでしょうね?
健太郎 心配ないって。このへん、みんな夜早いから。あ、でも、コンビニの前は通っちゃったよ。
ひとみ もしかして、坂本精肉店だったところ?
健太郎 そうそう。
ひとみ どうしよう。じゃあ、見られてるわ。
健太郎 え、かわいいバイトの子しかいなかったよ。ちょっと、眼が合ったけど。
ひとみ あの子、公久くんじゃない、私と同級生だった。
健太郎 嘘、茶髪にロン毛だったよ。鼻にピアスしてたし。
ひとみ バンドやってるんだって。
健太郎 へえ、イカす!
ひとみ だから、そういうことじゃなくて、そんなチェックしてないで、さっさと通り過ぎてよ。もう、やだな。明日になったら、絶対に近所中の噂だわ。
健太郎
(強く)そんな、あんな電話かけてくるのが悪いんじゃないよ!
ひとみ 勝手に勘違いしただけでしょ!
モ グ おじょうさん、やっぱり、かましときましょうか、一発? こら!

モグ、また、大阪弁でいちゃもんを付けはじめる。
人には、吠えているように聞こえる。

健太郎 ちょっと待ってよ。こら、モグ。薄情な犬だな。まったく。

そこへ、藤田千栄子が下手奥から出てくる。

千栄子 モグ、何吠えてるの? クロが来てるの?

と言ったまんま、立ち尽くしている。目はまん丸。

健太郎 どうも。
千栄子 どうも。

ひとみ どうしたの、藤田屋のおばさん?
千栄子 その前に、そちら、どなた?
ひとみ あ、
(少しためらうが、健太郎に)誰だっけ?
健太郎 そんな薄情な……
千栄子 チンドン屋さん?
健太郎 そういうこともやってます。
千栄子 ああ、そうなの。……って、やだ、健ちゃんじゃないの!
健太郎 なんだ、バレてた? もう久しぶり! 元気だった?

二人うれしそうにしている。
かなり馴れ馴れしいかんじ。

ひとみ もう、わかってるんなら、初めからそう言ってよ。
千栄子 あんたちょっと太ったんじゃない?
健太郎 あ、人のこと言えるか!
千栄子 ちょっと、見たわよ。「トゥナイト2」。あれ、ムーミンの新曲のなんとかって。
健太郎 ムーミンじゃなくって、ユーミンの新曲のキャンペーン。でも、よくわかったね。ちょっとしか映ってないのに……
千栄子 ちゃんとビデオに撮ってるからね、確認したわよ。
健太郎 ほんと? あ、ねえ、今度ダビングさせてもらっていいかな?
ひとみ お兄ちゃん!
健太郎 いいじゃない、別に。ねえ?
千栄子 でも、どうしたのよ、久しぶりじゃない。一年ぶり? もっとかね?
健太郎 二年半。
千栄子 で、何なのよ、そのナリは?
健太郎 もう、ひとみが「モグが死にそう」だなんて電話よこすもんだから、取るものも取り合えず。
千栄子 あんまり取り合えずって感じじゃないけどねえ……
健太郎 ほら、これ、仕事着みたいなもんだから。
千栄子 仕事着ってかんじでもないけど。まあ、よかったわ。しばらくいるんだろ?
健太郎 あ、ちょっとわかんない。
千栄子 久しぶりの実家なんだから、ゆっくりしてかなきゃ。親孝行して。じゃ、また明日ね。

千栄子、いそいそと出ていく。

健太郎 親孝行か……
ひとみ 参ったな。
健太郎 何が?
ひとみ 藤田屋さんにバレちゃったじゃない、お兄ちゃんが来たこと、しかもこんな格好で。明日になったら、回覧板回ってるわ、きっと。ううん、あんなに嬉しそうに帰ったんだもん。今晩中に電話で広まってるかも。
健太郎 まさか。
ひとみ ひまわり美容室の健ちゃん、久しぶりに帰ってきたと思ったら、何だかものすごいカッコして、もうすっかりオカマぶり上がっちゃってって。
健太郎 いいじゃん、悪気はないんだから。
ひとみ だから困るんでしょ、余計に。
健太郎 話題の少ない年寄りばっかの町内に、フレッシュな話題を提供してるんだよ。
ひとみ でも、そんな町内みんなの相手するのは、おばちゃんなんだからね。わかってる? うちは客商売なんだから。
健太郎 美容院としてはプラスにこそなっても、マイナスにはならないと思うんだけどな。ダメ、こういうキャラクター
(とポーズを取る)

ひとみ 遊んでるなら、今すぐ帰って。そのままでいいから。
健太郎 ……冗談だって。
ひとみ いい。ここまで育ててもらったのよ。親代わりになって。
健太郎 わかってる。
ひとみ だったら、もう少し考えてあげようよ。親孝行はしなくてもいいから、親不孝だけするのよそうなって、言ってたじゃないよ、お兄ちゃん。
健太郎 親不孝してるつもりはないんだけどな。
ひとみ そのトシになって、親孝行してないってことは、もうすでに親不孝なのよ。
健太郎 いいじゃない、僕の分も、お前ががんばってくれてるんだから。
ひとみ そういうのすっごい迷惑なんだけど。
健太郎 いいじゃん、よろしく頼むって!

ひとみ お兄ちゃん、あのね、あたし、ここ出て行こうと思ってるの。
健太郎 あ、一人暮らし。いいじゃん、でも、ここにいた方が楽なんじゃないの? 夜勤とかきついんでしょ、よくわかんないけど、看護婦って?
ひとみ それはいいんだけど……、お兄ちゃん、あたしね、結婚するの。
健太郎 ヤダ、ウソ。信じられない!
ひとみ そんなに意外かな?
健太郎 ごめん、タダのクセだから。すごいじゃん。ねえ、誰、誰とするの?
ひとみ 前の病院でお世話になった婦長さんのね、ひとり息子。
健太郎 やだな、聞いてないよ。そんな。何で電話で言ってくれないのわけ?
ひとみ 話そうと思ったら、すぐ切っちゃったんじゃない。
健太郎 付き合ってどれくらい。
ひとみ もうじき二年。
健太郎 二年で結婚しちゃうわけ?
ひとみ 普通だって、そんなの。
健太郎 そうか。そうだよね、二年続けば、もうずっと続くのかもしれないよね。
ひとみ 何しんみりしてんの?
健太郎 で、おじちゃんとおばちゃんは、もしかして反対してるとか?
ひとみ するわけないじゃない。喜んでくれてるよ。
健太郎 じゃ、何でそんな浮かない顔してるわけ? あ、もしかして、向こうの親と同居とか? 気にすることないって、今時そんなの流行んないって。
ひとみ そんなのは全然平気なんだけど……
健太郎 じゃ、他に何か困ったことでもあるわけ?

ひとみ あのね……来てるの。
健太郎 は?
ひとみ だから、来てるの。その、結婚する相手が。おじちゃんとおばちゃんに会いに。
健太郎 うわー、ラッキー! 早く見せてよ。何、いい男?
ひとみ ラッキーじゃないでしょ。もう、どうすんのよ。そんな恰好で会うつもり?
健太郎 いいじゃん、どんな恰好だって、気にすることないって。
ひとみ 気にするわよ。
健太郎 ちょっと待って、僕のことって、もしかして、話してないわけ?
ひとみ ……話してないよ。
健太郎 何でよ?
ひとみ だって、ずっといないんだもん。うちに寄りつかないお兄ちゃんがいるってことは言ってあるけど。
健太郎 ゲイだってことは?
ひとみ 本人がいないのに、わざわざ言うことないじゃない。
健太郎 そうだよね。うん。で、初対面がこれ?
(気がついて)まずいじゃん。
ひとみ まずいでしょ。
健太郎 どうしよう?
ひとみ ねえ、取り合えず着替えてくれるかな?
健太郎 そんな、着替え持ってきてないもん。
ひとみ じゃあ、その恰好で来て、その恰好で帰るつもりだったの?
健太郎 だから、取るものも取り合えずなんだって言ってるじゃない。
ひとみ もう信じられない。
健太郎 わかった、彼は今奥にいるんだよね。おばちゃんたちと。
ひとみ うん。
健太郎 わかった。じゃ、僕、ここに小さくなって隠れてるから、その間に帰ってもらおう。
ひとみ そんなの絶対にバレるって。ねえ、それより、私、お兄ちゃんの部屋から着替え持ってくるから、ここで大急ぎでメーク落として着替えない?
健太郎 それは危険すぎ。第一印象が、つけ睫毛外してたり、パンスト脱いでたりっていうのは超マズイでしょう。
ひとみ そうだね。
健太郎 よし、わかった。そっと二階に上がって、着替えてから下りてくることにする。
ひとみ でも、茶の間の前通るよ。
健太郎 そこは、お前が、みんなの視線を引きつけておいてくれれば大丈夫。
ひとみ わかった。
健太郎 よーし、何だか、わくわくしてきた。じゃ、行くからね!
ひとみ うん!
二 人 オー!

健太郎、下手奥(茶の間の方向)に向かう。
と、おばちゃんとおじちゃん、それに利郎くんまでが登場。

おじちゃん おう、健太郎!
おばちゃん なんなんだい、その恰好は?
健太郎 よそゆき!
ひとみ お兄ちゃん!
利 郎 お兄さん?

ひとみ(紹介する)西野利郎くん。
利 郎 お兄さんですね?
健太郎 はい、兄です。
利 郎 はじめまして。
健太郎 どうも。

おばちゃん 何しに来たんだい、今日は? 言っとくけど、お金ならないからね。
健太郎 何、その言い方? そんなんで来たんじゃないよ。
おばちゃん じゃあ、なんなんだい?
健太郎 だから、ひとみから、電話があって……
おばちゃん 妹の結婚する相手に会うっていうのに、わざわざそんなナリで来たのかい?
健太郎 だから、そうじゃなくて……
(ふくれて)いいよ、じゃあ、帰るから。
ひとみ お兄ちゃん。
ひとみ ちょっと、待ってよ。利郎くんも引き止めてよ。
利 郎 お兄さん!
健太郎 じゃあね、ごきげんよう!

出て行こうとする。

おじちゃん(強く)健太郎!

立ち止まる健太郎。

おじちゃん ……うまくなったな、化粧。
おばちゃん もう、何言ってんだい?
おじちゃん 少し痩せたか?
健太郎 あ、テレビは少し太って写るから。
おじちゃん ひとみ、結婚するんだ。
健太郎 わかってる。
おじちゃん お前はどうなんだ?
健太郎 は?
おじちゃん まだ一人なのか?
おばちゃん 聞くだけ無駄でしょ。そんな相手いるわけないんだから。
健太郎 ちょっと待ってよ、その言い方。何だかトゲがあるんだけど。そりゃ、僕は結婚はしないよ。だって……いろいろ事情があるから。でも、ちゃんと付き合ってる相手くらいいるんだから。
おばちゃん ああ、そうかい。じゃあ、見せてもらいたいもんだね。いもしないくせに。
健太郎 何でそういうこと言うかな? じゃあ、連れて来たら会うっていうわけ、おばちゃん?
おばちゃん 本当にそんな相手がいるんならね。会ってやろうじゃないの。また見栄張っちゃって。そんな相手いるわけないのに。
健太郎 わかったよ。

健太郎、客席にいた石井くんを連れてくる。

健太郎 ちょっと来て!
石 井 は? あの、いいんですか?
健太郎 いいから!

無理やり舞台に上げられる石井。

健太郎 みんな、聞いて。石井くん。僕が付き合ってる相手。ここまで車で送ってきてもらったの。
石 井 どうも、石井です。
ひとみ お兄ちゃん。
健太郎
(利郎くんに)あの、僕はゲイです。ゲイっていうのは……
利 郎 お兄さんみたいな人?
健太郎 ていうか、誤解しないでほしいんだけど、ゲイはみんながみんなこんな恰好してるってわけじゃないから。
(石井を指して)こういう人もちゃんといるんだからね。
石 井 僕もですか?
利 郎 で、そちらと?
石 井 そうです。
健太郎 どうだ、まいったか?

おばちゃん ……そういうことだったの。(意地悪く)で、どこで知り合ったんだい?
健太郎 え? あの、仕事の関係で、ちょっと。
おばちゃん 仕事、あれが仕事って言えるのかい? 女装して、歌ったり、踊ったり。
健太郎 そういう言い方ないんじゃない。職業で人を差別しちゃいけないって、いつも言ってたじゃないか。
おばちゃん 職業なんて胸張って言える仕事かい? 職業っていうのはね、履歴書にちゃんと書ける仕事のことを言うんだよ。どうせ、まだ「フリーター」って書いてるんだろ? いい年して情けない。
健太郎 そんなんじゃないもん。
おばちゃん じゃあ、なんなんだい?
健太郎 ……自営業。
おばちゃん 私が税務署の職員だったら、絶対に認めないね。まあ、税金なんて払ってないんだろうけど……
健太郎 ……もう、何でこんな話になっちゃうわけ。いいよ、じゃあ、今度こそ帰る。
ひとみ ちょっとお兄ちゃん。
健太郎 なんだよ、せっかく帰って来てやったのに、久しぶりに。
おばちゃん 帰って来てくれなんて頼んだ憶えはないね。
健太郎 頼まれたって、帰ってくるもんか。行こう、石井くん。
石 井 あの……
健太郎 いいから、早く!

健太郎、石井の手をとって出ていこうとする。

ひとみ(強く)もう、やだ、こんなの。いつもいつも。

わざとらしい、「いかにも」という音楽が流れ出す。

ひとみ ねえ、何でこうなっちゃうわけ? もっとちゃんと会ってほしかったのに。みんなで、ちゃんと、話して、挨拶してっていう、もっと普通のことがしたかっただけなのに。
健太郎 いいじゃない、もう会ったんだから。
(利郎くんに)ね?
利 郎 ええ、まあ。
ひとみ だめ、こんなんじゃ。こんなの会ったことにならない。だって、わかんないじゃない。どんな顔してるのか。お兄ちゃん、こんな怖い顔してるけど、ホントは、むちゃくちゃ淡白な顔なんだから。すっごく地味な、もっとやさしいかんじの。でも、こんなじゃ、全然わかんないじゃない。どんな顔してるのか。
健太郎 そんな大したもんじゃないんだけど……。
ひとみ みんなちょっと上がって、お茶飲んで、おしゃべりしてって。お願いだから。
利 郎 あ、でも、ひとみちゃん、僕、もうそろそろ電車が……
ひとみ 利郎くん、まさか、このまんま帰ろうっていうんじゃないでしょうね?
利 郎 ……いえ、ゆっくりしていきます。
ひとみ いい、お兄ちゃん。私たち待ってるからね。メーク落として、着替えてから、下りてきて。
健太郎 ……。
ひとみ 逃げちゃだめだからね!
健太郎 わかったよ。

おばちゃん、おじちゃん、ひとみ、利郎くん、上がっていく。
残ったのは、健太郎と石井君。

モ グ なんや、お前ら、まだここにいるつもりなんか、怪しいやつらめ。わしの眼の黒いうちは、お前らを座敷になんかあげるかっちゅうねん。
健太郎 わかったよ、もうすぐ帰るから。うなるのやめてよ。

モグ、部屋のすみで二人を見張っている。

健太郎(石井に)ごめんね、つき合わせちゃって。
石 井 いえ、いいんですけど。
健太郎 ちょっとメーク落とすから、待ってて。

健太郎はメークを落としはじめる。
美容室の鏡の前に椅子を置いて、手早く。

石 井 あの、これから、どうなるんですか?
健太郎 さあ、どうなるのかね?
石 井 僕、何すればいいんでしょう?
健太郎 質問して、質問。インタビュー。
石 井 インタビューですか?
健太郎 そう。どうぞ。
石 井 じゃあ、あの、健太郎って、サンドラさんの本名なんですか?
健太郎 そうよ。もう、やんなっちゃう。名前負けっていうかなんて言うか、普通、子供のころから呼ばれてたら、それらしいキャラクターになりそうじゃない。でも、だめだったのよね。健太郎、お兄ちゃん、どっちも呼ばれるたびに少しだけその気になるんだけど、結局、うまくいかない。でも、こればっかりはしょうがないのよね、ここに帰ってくれば、僕は、健太郎だし、お兄ちゃんなんだから。
石 井 あの、ご両親はいつ亡くなったんですか?
健太郎 妹が生まれてすぐ。僕は四つだった。全然覚えてないんだけど、日曜日、僕らをここに預けて、二人でドライブに出かけて、それで。何だか、無責任っていうかなんていうか。いいかげんな話でしょ。たまの息抜きだったらしいんだけど。でも、イカスと思うんだよね。そういう夫婦。子供がいても自分たちは自分たちっていう。生きてたら、きっと話合ったと思うんだけど。わかんないか?
石 井 それから、ずっとここに?
健太郎 そう、この店が、僕らの遊び場だった。今じゃ、こんなに鄙びちゃってるけど、昔は、そりゃ賑やかだった。近所のおばちゃんたちが、パーマあてにきて、おかまかぶって週刊誌読んでる。僕は、ここで大きくなった。妹と二人で「美容師さんごっこ」して、近所の子の頭、勝手にカットして、パーマかけて、親に怒鳴り込まれたり。性教育だってばっちり。「微笑」とか「女性自身」とか毎号読んでたから。
石 井 僕は「週刊実話」でした。
健太郎 やだ、エロエロってかんじ!
石 井 その頃から、メークとか好きだったんですね?
健太郎 まあね、これだけ材料あるからね、もうやりたい放題。
石 井 美容師になろうとか思わなかったんですか?
健太郎 うん。
石 井 なぜですか?
健太郎 なぜだろう。わかんない。……嘘、わかってる。ここから、出て行きたかったから。この下町の、義理と人情と、ご近所付き合いの輪の中から抜け出したかった。面倒くさくて。わかるでしょ?
石 井 たしかに、ものすごく濃ゆいご家族ですね。
健太郎 僕が居た頃は、たぶん、僕が一番地味だったと思うよ。
石 井 またまた……
健太郎 ほんとだって。昔の僕ってものすごくおとなしかったんだから。
(このあたりで、すっかり素顔になって)ね、こんなに地味でしょ?
石 井 うわー、全然、印象変わりますね。
健太郎 そこがドラァグのいいところ。豪華なメークは頑丈な鎧なのよ。傷つきやすい女心を優しく包む鎧兜。
(モグに)どら、思い出したか!
モ グ あ、ぼっちゃん! いつ、お帰りになったんですか? いや、お達者でしたか、お懐かしい!

即座に「お手」の姿勢。

健太郎 じゃ、着替えるとするか? じゃ、行こうか、石井君。まずは僕の部屋に。
石 井 でも、僕、どうしたらいいんでしょう?
健太郎 平気、石井君は石井君のままで、みんなに会ってくれれば。
石 井 本当に大丈夫なんですか、そんなんで?
健太郎 大丈夫、大丈夫。

二人、奥に消える。

モ グ こうしてぼっちゃんは、二年半振りに帰ってきたんですわ。ホントにお人のわるい。何もあんな変装してこなくてもいいと思うんですけど。さて、場面は変わって、茶の間です。とりあえず上がってはみたものの、やっぱりどうも会話ははずみません。新しく入れなおしたお茶もすっかりさめて、さっきから気まずい沈黙が続いています。

茶の間に勢ぞろいしている一同。
きまずい沈黙。

おじちゃん で、石井くんは何してるんだい?
石 井 僕ですか? あの、フリーのライターしてます。
おじちゃん
(ポケットからライターを取り出して)ライター?
健太郎 雑誌とかに、いろんな記事書く人。
おじちゃん ああ、そうか。どうだい景気は?
石 井 いや、なかなか大変です。

話は終わってしまった。

石 井(モグを見て)あの、さっきからずっと気になってたんですけど、彼は、上がってていいんですか?
ひとみ いいのモグなら。
健太郎 でも、結構暑苦しいね。ああやっていられると。
利 郎 たしかに。
おばちゃん お前の女装の方がわたしゃ暑苦しいね。

また終わった。
すでにおわかりだと思うが、この場面以降、「女装」を非難するおばちゃんが女装しているのであって(藤田千栄子も)、健太郎はすっぴんでいるのである。

ひとみ 前に飼ってた犬、外で飼ってて、病気で死なせちゃったの。だからね、今度はそんなことにならないようにって。初めから。でも、今じゃ、内でも外でも好きなようにしなさいって。
石 井 はあ……
健太郎 モグっていくつになるの?
おばちゃん 十七。
利 郎 犬の十七歳って人間の何歳くらいなんでしょうね?
ひとみ 八十は越えてるだろうって。
健太郎 たしかにおいぼれてきたよね。ずいぶん。
モ グ なんや、わしの話ですか?
ひとみ 初めはあんなに小さかったのにね。
健太郎 捨て犬だったんだよね、モグ。
ひとみ 違うよ、「飼ってください」って持ってこられたんじゃない。そうだよね、おばちゃん。
おばちゃん(しぶしぶ話しだす)あれは夏だったね。ちょうど今頃。暑い日だった。庭先に人の気配がしたから、ちょっと気になって出てみたら、小さな女の子が走ってくとこだったんだよ。「ちょっとどうしたの、あんた?」って呼び止めたら、立ち止まってね。「飼って下さい」って。見たら、うちの縁先にこんな小さな犬が段ボール箱に入って、寝てるじゃないか。ちょうど、前にいた犬が死んだばかりだったしね。それで、飼うことにしたんだよ。
ひとみ そうそう、学校から帰ってきたら、テレビの下に丸まって寝てて、最初うさぎかと思ったよね。
健太郎 ずっと家の中に置いてたら、もう何でもかみついて、いたずらしてさ、僕がベッドの下に隠してたゲイマガジン引っ張り出して、ガジガジにかみついて、廊下にほっぽり出してるんだもん。でね、おばちゃんに、「何なの、これは?」って。しょうがないから、カミングアウトしてさ。だから、こいつは、僕の今のゲイ・ライフにすっごい責任があるわけ。
おばちゃん 人のせいにするのはおよし。
健太郎 だって、あのとき、モグがあんなことしてなかったら、いつまでもクローゼットのままでいたかもしれないんだから。
利 郎 クローゼットって?
おじちゃん 押入れのことだよ。
健太郎 僕はゲイだよって、ちゃんと言えないでいるゲイのこと。
おばちゃん やめとくれ、そんな話は。
健太郎
(無視して)とにかく、感謝してるんだ、モグには。(モグに抱きつく)ああ、犬臭い!(気がついて)そうか、ひとみもいなくなると、おじちゃんとおばちゃんとモグだけになるのか? モグ、よろしく頼んだからね。
モ グ まかしといてください、ぼっちゃん!
健太郎 でも、いつ死ぬかわかんないんだよね。たしかにかなり老いぼれてるよね。
ひとみ やめなよ、お兄ちゃん。本人の前で。
健太郎 いいって、わかるわけないんだから。なあ、老いぼれ。
モ グ ちゃんとわかってるんですけど。
健太郎 ねえ、もし死んじゃったらどうするの? また新しい犬飼うつもり?
おばちゃん 今度はどっちが先に死ぬかわからないからね。モグが死んだら、もう何も飼うつもりはないね。
健太郎 そんな、寂しいじゃない。
おばちゃん お前にそんなこと言われるおぼえはないね。
おじちゃん たしかに、いつ死んでもおかしくないからな、モグも俺たちも。どっちが長生きするか、競争だな。ハッハッハッ!

また終わってしまった。

利 郎 あの、じゃ、僕、そろそろ……
おばちゃん
(ほっとして)あ、そうかい。遅くまで悪かったね。また、来ておくれ。
利 郎 はい。
健太郎 じゃあ、僕たちも。
おばちゃん
(そっけない)気をつけてお帰り。
おじちゃん
(きっぱり)健太郎、久しぶりに帰ってきたんだ。どうだ、泊まってったら?
健太郎 いいよ。そんな。
おじちゃん いいじゃないか、どうせ毎日が休みみたいなもんなんだろう?
健太郎 それはそうなんだけど……
おじちゃん もう少し、飲みたい気分なんだ。どうだ、石井くんも一緒に?
健太郎
(驚いて)おじちゃん。
石 井 そうですね。じゃ、遠慮なく。

驚く一同。

健太郎 いいの?
石 井 だめ?
健太郎 だめじゃないけど……
石 井 僕も、毎日が休みみたいなもんなんで、じゃ、お言葉に甘えて。
おじちゃん そうか、じゃ。
利 郎 じゃ、お兄さん、僕、これで……。
健太郎 またね。
ひとみ そこまで送ってく。お兄ちゃん、私も付き合うからね。
健太郎 うん。
おばちゃん 私は先に寝ませてもらうよ。明日も早いんでね。じゃ。

おばちゃん、退場。

おじちゃん(石井に)気にすることないから。じゃ、始めるか?

お茶の間の場面は終わる。

モ グ さて、場面は変わって、ここは、「ひまわり美容室」の裏手の庭です。もうすっかり夜も更けてきました。旦那さんとおじょうさんとぼっちゃんにぼっちゃんのお友達の酒盛りも終わって、みんなそれぞれの部屋に引っ込んでいきました。わしは、ここで、夜のミーティングです。

となりの「藤田屋運送店」の猫、クロがやってくる。
小生意気な若造。

ク ロ へえ、そんな話になってんの?
モ グ そうなんや、まあ、奥さん以外は、みんな楽しそうなんやけどな。
ク ロ うちのばあさんもすっごいウキウキして帰ってきたよ。嬉しそうにあちこち電話してたけど。
モ グ やっぱり、そうか。お隣さんも喜んではるか。いや、よくぞ帰ってきてくれたわ。
ク ロ うちの剛にも、何だか、すっごい勢いで話してたけど。
モ グ お前、「ばあさん」とか「剛」とかって、根拠なくエラそうやな。
ク ロ なんで? 普通だよ。だって、僕いてあげてるんだから、頼まれて。あのさ、前から思ってたんだけど、おじさん、ちょっと卑屈になりすぎだよ。いくら犬だって、もっと威張ってていいと思うけどな。
モ グ まあ、そうなんやけど、みなさんにはいろいろ世話になってるもんやから、しょうがないんや。体にしみついてるっていうか、なんていうか。あ、そやそや、お前、うちの庭に来てしょんべんするのやめときや。せっかく奥さんが丹精してる庭木が枯れてしまうがな。他にするとこ、いくらでもあるやろ。
ク ロ だって、あんなふうにペットボトルに水入れておかれたりすると、挑発されてるみたいな気がしてさ。
モ グ うちの奥さん、あれ置いとけば、猫が来んって思ってらっしゃるみたいなんや。夢壊さんといたげて。
ク ロ そうだね、じゃ、気が向いたら、考えとくね。
モ グ まったく、近頃の若いもんは……。

そこへ、健太郎と石井君がやってくる。

モ グ あ、ぼっちゃんたちや。
ク ロ あれ、聞いてたのと違うな。
モ グ 違うって何が?
ク ロ もっと派手なナリしてるって聞いたんだけど。
モ グ 変装はもう終わったんや。
健太郎 ごめんね、扇風機しかなくて。他の部屋、みんなクーラー入ってるのに、僕の部屋だけ、昔のまんま。まあ、いないんだから、そんなこと言える立場じゃないんだけど。
石 井 いやあ、ちょっと飲みすぎました。いい人じゃないですか、おじさんって。
健太郎 時々とんちんかんだけど。定年退職して、暇持て余してるんだよね。まさに「髪結いの亭主」ってわけ。帰ってきてよかったかなってちょっと思った。ありがとね、付き合ってくれて。
石 井 でも、いいですね、下町って。遠くに電車の音が聞こえて、風鈴が鳴ってて。
健太郎 昔はさ、隣のテレビの音とか、しゃべる声とか、当たり前みたいに聞こえてたんだけど、久しぶりに帰ってくると、びっくりしちゃうんだよね。昔はどうしてたのかなと思って。聞こえなかったのか、聞いてて聞こえないふりしてたのか。しゃべるときだって、別に、外に聞こえて困るとかって、考えてなかったもんね。大声で喧嘩してたし。
石 井 懐かしいかんじですか?
健太郎 ううん、うっとおしい。今の方が全然気楽。

そこへとなりの若旦那、剛ちゃんがやってくる。体格のいい、立派な青年。

ク ロ あ、うちの剛だ。
健太郎
(気がついて)あれ、剛ちゃん? 剛ちゃんだ。久しぶり。
剛ちゃん 帰ってきてるんだって、お袋から聞いた。
健太郎 うん。ちょっとね。
剛ちゃん あれ、もう着替えちゃったんだ。
健太郎 別に二十四時間あんな恰好してるわけじゃないから。
剛ちゃん テレビいつも見てる。すごいよな。
(石井に)誰?
石 井 あの……
健太郎 あ、友達。
石 井 は?
健太郎 友達の石井くん。
石 井
(健太郎に)今度は友達なんですか?
健太郎 え?
石 井 友達の石井です。
健太郎 どうしたのこんな夜中に。
剛ちゃん ちょっと、話したいなと思って。
健太郎 何、話って?
剛ちゃん ……

石 井(それまで一緒に聞くつもりだったが、ついに察して)じゃ、僕、先に寝てます。
健太郎
(とりあえず)あ、構わないから。
石 井 いえ、いいんです。じゃ……
健太郎 おやすみ。

石井、退場。

剛ちゃん、話を切り出しかねてそのへんを歩いている。

ク ロ どうしたんだろ、うちの剛のやつ。
モ グ なんや、いつもと様子が違うな。
健太郎 ああ、クラス会の通知ありがとうね。いつも。一度も行ってないけど。
剛ちゃん ……。
健太郎 もうすっかり若社長ってかんじじゃない。代替わりは済んだの? まあ、あのおばちゃんじゃ、いつまでも現役バリバリってかんじだけど。
剛ちゃん ……。
健太郎 ビルに建て直したんだね。藤田屋運送店。すっごい立派になっててびっくりした。
剛ちゃん ……。
健太郎 ねえ、話って何?
剛ちゃん ……。
健太郎 そうだ、散歩しながら話さない。そのへんふらふら。
剛ちゃん うん。
健太郎 じゃ、モグ、散歩行ってみようか?

モグにひもをつける。

モ グ 散歩なら、わし、もう奥さんと一緒に済ませてるんですけど。
健太郎 久しぶりに連れてってやるからね?
モ グ ぼっちゃん、わし、もう眠たいんですけど。
ク ロ いいんじゃない、付き合ってやれば。何かおもしろくなりそう。
モ グ 何や、もしかして、お前もついてくる気か?
ク ロ もちろん!

二人と二匹、散歩に出かける。

剛ちゃん いいよな、健太郎は。
健太郎 僕? なんで?
剛ちゃん 好きなことできて。
健太郎 まあね。でも、結構大変だけど、すっごい貧乏だし。
剛ちゃん そんなの関係ないって。
健太郎 まあ、そうなんだけどね。

剛ちゃん あのさ……俺も、健太郎と同じなんだ。
健太郎 は?
剛ちゃん ……俺も、ゲイなんだ。ああ、言えた。
(健太郎に)驚いた?
健太郎 そりゃ、もちろん。でも、あんまりびっくりするのも、失礼かなと思って、ちょっと抑えてみたんだけど。
(驚いて)うわ、ちっとも知らなかった。
剛ちゃん 健太郎、帰ってきたって聞いたから、俺、どうしても話したくってさ。
健太郎 何でも話して、僕でよければ。
剛ちゃん 何だか、ほっとしちゃったよ。言うだけ言ったら。
健太郎 もうおしまいかい!
剛ちゃん ほら昔、健太郎のとこでさ、髪すっごい無茶苦茶にカットされて、パーマかけられたことあっただろ? 化粧されて……
健太郎 嘘、あのせいで?
剛ちゃん 違うかな?
健太郎 もしそうだったとしても、そうじゃないってことにしといて。
剛ちゃん おふくろが次々見合いの話持ってくるんだよ。俺ももういい年だからさ。なんだかんだ、理由付けて断ってるんだけど。もう限界なんだよ。それに、誰にも相談できないし……
健太郎 二丁目とか出たりしないの?
剛ちゃん そんな、一人で行けるわけないだろ。
健太郎 ゲイマガジンとかは?
剛ちゃん それはまあ一応は。でも……
健太郎 やだな。剛ちゃんらしくないよ。大丈夫。全然平気だって。自信持たなきゃ。どうしちゃったの? いつも僕がいじめられるとかばってくれてたじゃない、あの元気はどこに行ったわけ?
剛ちゃん もう中学生じゃないんだよ、俺たち。
健太郎 それはそうだけど。じゃあ、僕にできることがあったら何でも言って。僕、どうすればいい? どうしてあげればいい?
剛ちゃん 俺の部屋で話さないか?

健太郎〔モグの近くに行って)モグ、一人で帰れるよね。
モ グ そりゃ、帰れますけど。
健太郎 後は頼んだからね。寄り道しないでまっすぐ帰るんだよ。
モ グ 坊っちゃん、わしは別にかまいませんけど。知りませんよ、どうなったって。
健太郎
(剛ちゃんに)じゃ、行こうか?

二人行ってしまった。
残されたモグとクロ。

ク ロ ねえ、おじさん、ゲイってなんなの?
モ グ よーわからんのやけど、どうやら、秘密で特別なことみたいやな。
ク ロ ふーん。
モ グ あ、でもな、その秘密はバレてしまった方が、ええらしいねん。
ク ロ 秘密なのに?
モ グ まあ、ようわからへんねんけど、わし、一度、ぼっちゃんのその秘密、ばらしたったことがあるねん。ごっつい感謝されてんで。
ク ロ どうして?
モ グ その秘密には、証拠の品があるねん。ま、あとでゆっくり話してやるわ。じゃ、ぼちぼち帰ろうか?
ク ロ
(興味津々)うん。

二人退場。
翌朝。ニワトリのトキの声。
場面は、健太郎の部屋。
石井が一人座っている。
そこへ、こっそり入ってくる健太郎。

健太郎 ただいま。
石 井 いきなりほったらかしにされるとは思いませんでした。
健太郎 ごめんね。
石 井 どこ行ってたんですか?
健太郎 あ、剛ちゃんの部屋。
石 井 僕がショック受ける理由はないんですけど、やっぱりショックです。
健太郎 やだな、そんなんじゃないって。考えすぎ。ちょっと話が込み入っちゃってさ。
石 井 久しぶりに実家に帰って、いきなり外泊っていうのはないんじゃないですか?
健太郎 大丈夫、バレてないんだから。
石 井 いいえ、バレてますよ。
健太郎 嘘?
石 井 朝早くおばさんに叩き起こされましたから。なんでノックもなしに部屋に入ってくるんですか?
健太郎 ほら、下町だから。
石 井 「健太郎は?」って聞かれて、困っちゃいましたよ。
健太郎 うまく誤魔化してくれた?
石 井 ちょっと献血に行きましたって。
健太郎 全然誤魔化せてないじゃない!
石 井 朝御飯、下にあるから、帰ってきたら、食べるようにって。
健太郎 石井くんは、もう、食べたの?
石 井 食べましたよ。もう、すっごい心細かったですよ。四人でお膳囲んで。
健太郎 しょうがないじゃない、石井くんのせいで、泊まってくことになったんだから。
石 井 まあ、それはそうなんですけど。

勢いよく、ひとみが入ってくる。

ひとみ お兄ちゃん、帰ってきた?
健太郎 あ、おはよう!
石 井
(ひとり言)ああ、この人もだ。
ひとみ どこ行ってたのよ?
健太郎 ちょっと剛ちゃんのとこ。
ひとみ へえ。あ、そうだ。モグ、外に出したでしょ?
健太郎 え、何で?
ひとみ おばちゃんが朝起きたら、店の前で寝てたって。
健太郎 怒ってた?
ひとみ 「また、隣のクロのとこ遊びに行ったんじゃない」って言っておいたけど。やめてよね、そういうことするの。帰ってくる早々。
健太郎 悪い悪い。で、何なの、勢い込んで。
ひとみ 私出かけるけど、今日、どうする?
健太郎 どうするって?
ひとみ 晩御飯一緒に食べない。うなぎかなんか?
健太郎 いいよ、やめとく。
ひとみ 私、ご馳走するよ。
健太郎 だったら、行く!
ひとみ 石井さんもよかったら一緒にどうですか? 今日は、三人でのんびり。
石 井 あ、僕は……
健太郎 いいじゃん、行こうよ、行こうよ。そうだ、昼間、柴又見物してかない? 帝釈天に矢切りの渡し、来たことないでしょ?
石 井 まあ、そうなんですけど。
健太郎 決まり。
ひとみ じゃあ、七時に柴又の改札で待ち合わせね。
健太郎 OK!

三人退場。

モ グ とまあ、こんなふうにいつもと同じ一日は始まったんですわ。ところが、その日の終わり、外で食事をすませてぼっちゃんたちが帰ってきたとき、大変なことが起こってしまったんですわ。

クロが走り込んでくる。

ク ロ 大変、大変。
モ グ なんや、騒々しい。どないしたんや?
ク ロ それがね……

場面は、「ひまわり美容室」の店先。健太郎とひとみと石井がいる。
そこへ、となりの千栄子がどなりこんでくる。
後から、剛ちゃんもついてくる。

千栄子(健太郎をつかまえて)うちの剛をオカマにしやがって! どうしてくれるんだい!
健太郎 何、何なの一体?
剛ちゃん お袋、落ちつけって!
千栄子 これが落ちついていられるかい。ああ、なんてことしてくれたんだよ、畜生!

奥からおばちゃんとおじちゃんが出てくる。

おばちゃん どうしたんだい、千栄ちゃん?
千栄子 健太郎が、うちの剛をたぶらかしたんだよ。
おばちゃん 何だって?
千栄子 えい、腹が立つ!
(またしても健太郎を殴るorゆさぶる)
ひとみ ちょっと落ちつきなよ。
千栄子 剛のとこに洗濯物を届けにいったんだよ。クロを連れて。そしたら、男の裸の写真が載った本が落ちてきたんだよ!
剛ちゃん 勝手にあちこち捜し回ったりするなよな。
千栄子 私は何もしてないよ、クロが本棚の上に載ったら、パタンって落ちてきたんだよ。
おばちゃん それがいったいどうしたんだい?
千栄子 うちに戻ってきて、それとなく剛に聞いたら、開き直って言うんじゃないか。「俺はゲイなんだ」って。「ゲイってなんなんだい?」って聞いたら、「健太郎と同じだよ」って。あたしゃ、そんなつもりで育てた憶えはないんだ。
健太郎 そんな、おばさん……

一同ストップモーション。

モ グ(クロに)お前、何したんや?
ク ロ 昨夜おじさんに聞いた、秘密で特別なことの証拠の品だよ。たまにはいいことしてやろうかなと思ってさ。
モ グ なんや、みなさん、あまり喜んでらっしゃらないようやな。

ストップ解除。

千栄子 昔からずっと怪しいとは思ってたんだ。ああ、畜生!
おばちゃん
(鋭く)健太郎、お前、剛ちゃんに何したんだい?
健太郎 何もしてないって。
剛ちゃん 健太郎は関係ないんだって。ただ、俺、ゆうべ、健太郎とそんなこと話してて。いつまでもこのまんまじゃしょうがないって。無理やり見合いして結婚しても、おれちっとも幸せになれないって。
千栄子 ああ、そんなこと吹き込まれたのかい。こんなこと言う子じゃなかったのに。
(泣いている)
健太郎 おばちゃん、そんな泣かないでよ。
千栄子 あんたに言われたくないね。あんたが帰ってこなければ、こんなことにならなかったんだ。
おばちゃん 健太郎、私は、いつも言ってきたはずだよ、何をしたっていい。ただ、人さまに迷惑をかけるのだけはおよしって。
ひとみ そんなのお兄ちゃんに関係ないじゃない。
おばちゃん ひとみは黙ってな。
おじちゃん でも、母さん……
おばちゃん あんたもだよ。
(健太郎に)なんで普通に暮らしていけないんだい? 私たちはね、みんな平凡だけど、きちんと働いて毎日、つましく暮らしてるんだよ。それを何だい? ろくに仕事もしないで、フラフラフラフラ。ただフラフラしてるだけならまだしも、ゲイだのなんだのって、口を開けばそればっかり。そんなにゲイってのはエライことなのかね?
健太郎 そうじゃないけど、だって、しょうがないじゃない、それが僕なんだから。
おばちゃん 私は、お前をそんなふうに育てた憶えはないね。お前は、昔は、おとなしい、心の優しい普通の子だった。それが、どうだい、「ゲイ」だのなんだのって言いだすようになってから、やれ、テレビに映ってみたり、女装して帰ってみたり、それが当然のように、いつまでたってもフラフラフラフラ。私はね、申し訳なくて申し訳なくて、死んだ姉さんたちに会わせる顔がないよ。
健太郎 そんなことない!
おばちゃん 何だって?
健太郎 そんなことないよ。父さんも母さんも、きっと喜んでくれると思う。だって、僕は僕らしく生きてるんだから。仕事もいいかげんだし、お金もないけど、でも、僕は自分に嘘だけはついたことない。おばちゃんだって、わかってくれてたんだと思ってた。
おばちゃん それはお前がそう思ってただけだね。自分が育てた子供がゲイだって、知って、それで大喜びする親がどこにいるっていうんだい。だったら、私は、お前なんか、育てるんじゃなかった。
健太郎 ……。
おばちゃん そんなこと言うつもりじゃなかったんだ。ただ、私はお前が……
健太郎 ストレートだったらって思う気持ちはわかるけど、どうしようもないんだよ。ねえ、想像してみて。今と反対の世界を、ただ、ゲイじゃないってだけで町内で白い目で見られる、男と女が愛し合うだけで、それが法律で罰せられる。男の子が可愛い女の子の写真を下敷きにはさんでるのが見つかっただけで、いじめられる。
おばちゃん そんなばかばかしいことがあるわけないだろ!
健太郎 ばかばかしい? 本当にばかばかしいのはね、僕が、久しぶりに帰ってきた自分の家で、こんな話をしなきゃならないってことだよ。
おばちゃん それも自業自得だね。
健太郎 そう。よくわかった。僕には帰っていくところなんて、もうないんだ。上の瞼と下の瞼を合わせれば、手に取るように見えてたふるさとを、僕はわざわざやってきて、消してしまったんだね。さよなら。僕は出て行くよ。そして、もう帰ってこない。だって、僕のことを認めてくれないこの町は、僕のふるさとじゃないから。この町も、この家も、僕の帰るところじゃない。
おじちゃん 健太郎。
ひとみ お兄ちゃん。
健太郎 僕は僕なんだ。僕は僕一人でも僕なんだ。それがよくわかったよ。

お約束の音楽「渡る世間は鬼ばかり」のテーマが流れだす。エンディングの予感。

健太郎 じゃあね、みんな。

健太郎、出ていこうとする。

剛ちゃん 健太郎! 俺も一緒に行くよ!
健太郎
(振り返る)剛ちゃん!
千栄子 何言ってんだい?
剛ちゃん 俺も、健太郎みたいな生き方してみたいんだ。女装だって、何だって!
健太郎 わかった。じゃあ、行こう、一緒に!
剛ちゃん うん。
健太郎 それじゃね、みんな。ごきげんよう!

健太郎と剛ちゃん、二人で去っていく。

千栄子 あ、どこに行こうっていうんだい、お前仕事はどうするんだい、え? お待ちよ、ねえ!

などと言いながら後を追っていく。
残された一同。

ひとみ お兄ちゃん! また出てっちゃった。
おじちゃん 今度はいつ帰ってくるのかな。
おばちゃん 知らないね。
おじちゃん ほんとに、糸の切れた凧みたいに、いつもいつも。
モ グ こうして、ぼっちゃんはまた出ていかはりました。でも、きっとまた帰ってきはる。わしらは、そう信じて待ってるんですわ。
おじちゃん おーい、健太郎!
ひとみ お兄ちゃーん!
石 井 僕はどうなるんでしょう!

音楽が高まる中、幕が下りた(つもり)
サンドラとリョウちゃんが戻ってくる。

桑 原 いやー、お疲れさまでした。
サンドラ お疲れさま。
みんな お疲れさま。
サンドラ
(石井に)ごめんね。引っ張りだしちゃって。
石 井 いえ、別に。あんなでよかったですか?
サンドラ もう、最高。これで、わかってもらえたかしら? 私の人となりっていうかなんていうか?
石 井 ええ、いろいろと。あと、もう少しいろんなこと、聞いてみたいんですが……。
サンドラ OK。じゃ、みんなひとまず、ここまでということで。何だかお腹すいちゃったね、ご飯食べに行こうか? インタビューの続きもそこで一緒に。
石 井 ああ、いいですね。じゃあ。
リョウちゃん じゃ、おれたちもいこうか?
ナオナオ あ、待ってて、すぐ着替えるから。や、どうだった、僕の女装?
カオル いそうじゃん、こういう女ってかんじ。

などと言いながら、それぞれ散らばっていく。

ベリンダ ちょっと待って!

一同、止まる。

ベリンダ 今、やった、この「ゲイはつらいのよ」。これがサンドラの人生ってわけ?
サンドラ まあね、そういうこと。もちろん、多少脚色はしてあるけど。
桑 原
(トモピーに着ぐるみを脱がせてもらいながら)まあ、ちょっと、予想外の展開がありましたけど。初めと終わりはばっちり元の通りですから、一応、言わんとすることはきっちり言えたんじゃかなと思って。
ベリンダ あら、おかしいわね。私の聞いたところじゃ、ちょっと違うのよ。
石 井 違うって、何がですか?
ベリンダ 見てみたい?
石 井 ええ、それはまあ。
ベリンダ そう、じゃあ、みんな、もう一度位置について。もう一度ラストをやってみましょう。
サンドラ 何なのよ、ベリンダさん?
ベリンダ いいから、付き合って。断るわけにはいかないわよね。だって、私だって付き合ったんだから。
マルガリータ ねえ、これって、「ゲイはつらいのよ」別バージョンってわけ?
ベリンダ そういうこと。それも、かなり「つらい」かんじの。いい? じゃ、あんた(マルガリータに)が怒鳴りこんでくるところからね。
マルガリータ おもしろくなりそうね。

みんななんとなく位置につく。

ベリンダ じゃ、行くわよ。私の聞いたところじゃ、こうだったのよ。

場面が始まる。
千栄子(マルガリータ)が怒鳴り込んでくる。

千栄子(健太郎に)うちの剛をオカマにしやがって! どうしてくれるんだい!
健太郎 何、何なの一体?
剛ちゃん お袋、落ちつけって!
千栄子 これが落ちついていられるかい。ああ、なんてことしてくれたんだよ、畜生!

奥からおばちゃんとおじちゃんが出てくる。

おばちゃん どうしたんだい、千栄ちゃん?
千栄子 健太郎が、うちの剛をたぶらかしたんだよ。
おばちゃん 何だって?
千栄子 えい、腹が立つ!
(またしても健太郎を殴るorゆさぶる)
ひとみ ちょっと落ちつきなよ。
千栄子 剛のとこに洗濯物を届けにいったんだよ。クロを連れて。そしたら、男の裸の写真が載った本が落ちてきたんだよ!
剛ちゃん 勝手にあちこち捜し回ったりするなよな。
千栄子 私は何もしてないよ、クロが本棚の上に載ったら、パタンって落ちてきたんだよ。
おばちゃん それがいったいどうしたんだい?
千栄子 うちに戻ってきて、それとなく剛に聞いたら、開き直って言うんじゃないか。「俺はゲイなんだ」って。「ゲイってなんなんだい?」って聞いたら、「健太郎と同じだよ」って。あたしゃ、そんなつもりで育てた憶えはないんだ。
健太郎 そんな、おばさん……
千栄子 昔からずっと怪しいとは思ってたんだ。ああ、畜生!
おばちゃん (鋭く)健太郎、お前、剛ちゃんに何したんだい?
健太郎 何もしてないよ。
剛ちゃん 健太郎は関係ないんだって。ただ、俺、ゆうべ、健太郎とそんなこと話してて。いつまでもこのまんまじゃしょうがないって。無理やり見合いして結婚しても、おれちっとも幸せになれないって。
千栄子 ああ、そんなこと吹き込まれたのかい。こんなこと言う子じゃなかったのに。(泣いている)
健太郎 おばちゃん、そんな泣かないでよ。
千栄子 あんたに言われたくないね。あんたが帰ってこなければ、こんなことにならなかったんだ。
おばちゃん
(きっぱりと)ちょっとお待ち。

一同、びっくり。

おばちゃん 千栄ちゃん、あんたの言いたいことはわかったよ。でもね、健太郎は健太郎、剛ちゃんは剛ちゃん、もう子供じゃないんだ。あんたのつらい気持ちもわかるけど、健太郎を責める筋合いはないと思うね。
千栄子 何だって?
おばちゃん 私だって、びっくりしたんだよ。健太郎にその話を聞いたときにはね。でも、しょうがないじゃないか。どうしたって、子供は育つようにしか育たないんだから。
千栄子 でも、あんた。
おばちゃん 悪いね、仕事の途中なんだ。帰っておくれ。もう、この話は聞きたくないね。
千栄子
(怒って)何だって?
おばちゃん とりあえず、今日は帰っておくれ。
千栄子 (怒って)よく、わかったよ。あんたが、どういう人か。見損なったよ!

千栄子、怒って出ていく。
残された一同、呆然。

おばちゃん(健太郎に)出てっておくれ。それから、もう二度と、思いつきで帰ってきたりしないでおくれ。私たちには私たちの暮らしってのがあるんだ。あんたにあんたの暮らしがあるようにね。
健太郎 ……。
ひとみ お兄ちゃん。
おばちゃん とっととお帰り。あんたの帰るところに。

健太郎、退場する。
場面は終わる。

ベリンダ はい、ここまでよ。みんな、ありがとうね。
マルガリータ
(出てきて)あんなんでよかった?
ベリンダ いい、みんな? これが、本当の「ゲイはつらいのよ」よ。
カオル へえ、そうだったんだ。
ナオナオ 全然知らなかったね。
ベリンダ 出てらってしゃい、サンドラ。

サンドラ、しぶしぶ戻ってくる。

ベリンダ ずいぶんかっこよく脚色してたわね。しかも、自分に都合よく。
サンドラ いいんじゃない、だって、お芝居なんだから。
マルガリータ あんたのライフヒストリーをもとにしたって話じゃなかったのかしら?
サンドラ 元にはしてるじゃない、ただ、まんまじゃないけど。
ベリンダ 何が「ゲイはつらいのよ」よ。ほとんど「トーチソングトリロジー」のパクリじゃないの。それに「瞼の母」? いいかげんな台本よね。(桑原に)シナリオライター目指すんだったら、一番大事なのはオリジナリティよ、わかってんの?
桑 原 サンドラがやってみたいっていうから。
ベリンダ ああ、つまんなかったわね。こんなのに付き合わされるんじゃ、男も逃げるはずだわ。
サンドラ そんなの関係ないじゃない。
ベリンダ 大体、あんたの両親、まだちゃんと生きてるんでしょ?
サンドラ だって、「男はつらいよ」はそういう話じゃない?
石 井 なんだ、そうだったんですか?
サンドラ 別に騙すつもりはなかったの。
ベリンダ いい? ミステリアスっていうのと嘘つきっていうのは、違うのよ。
サンドラ 嘘じゃないもん。
ベリンダ じゃ、何よ?
サンドラ ……フィクション。
ベリンダ
(鼻で笑って)じゃあね、石井くん。今見たのが、春日健太郎ていうかサンドラのホントの姿だからね。きっちり書いてあげてね。読ませてもらえるの楽しみに待ってるわ。じゃ、お疲れさま!
マルガリータ じゃ、私も。お疲れ。

他のみんなもケロっと去っていく。
残ったのは、桑原くんとトモピーと、石井くんとサンドラ。

桑 原 すいませんでした。
サンドラ いいの、いいの。
桑 原 なんだかんだって、僕の書いたもんチェックしてるんですよ。でも、いつ読んだのかな?
サンドラ 便利ね一緒に住んでのるって。
桑 原 ……。
サンドラ ごめん。岳ちゃんのせいじゃない。
トモピー
(桑原に)ねえ、行かない?
桑 原 ああ。じゃ、お疲れさまでした。
サンドラ じゃあね。

残ったのは、健太郎と石井くん。

石 井 あの、一つ聞いていいでしょうか? 一体、どこまでが本当なんですか?
サンドラ いいじゃない、本当だって嘘だって。違う? ねえ、路線変えない? インタビューするなら、昔の私のことじゃなくて、今の私のこと聞いて。だったら、いくらでも答えるから。
石 井 ……。
サンドラ でも、これが今の私なのよね。たしかに。
石 井 ……。
サンドラ みんな、わりと本当よ。私の実家は「ひまわり美容室」だし、妹のひとみはもう結婚して家を出てる。モグっていう年取った犬がいるのも本当。となりの剛ちゃんはね、二丁目でばったり会って話して、そんなこんなで、よく相談に乗ってた。ところが、いきなりカミングアウトしちゃったもんだから、大騒ぎ。ちょうど久しぶりに、実家に帰ってたときだったもんだからさ。後はご覧のとおりよ。
石 井 あの、この後ってどうなってるんですか?
サンドラ この後?
石 井 ていうか、今は、どうなってるんですか?
サンドラ どうも。先月、妹の結婚式に出るはずだったんだけど、私、ひと月、日にち間違えちゃっててさ。で、当日、私、大阪のライブハウスでショーやってたのね。「何してんのよ!」って電話かかってきたんだけど、どうしようもないじゃない、大阪じゃ。
石 井 かなりドジですね。
サンドラ 「ああ、またか」って、笑い話になってるらしいんだけど。敷居はますます高くなっちゃってね。
石 井 チャンスだったのに、残念でしたね。
サンドラ ねえ、やっぱりベリンダさんの取材にしたら? あの人、イカしてるし、私よりもメジャーだし、とっても強いし、面白い話いっぱい聞けると思うよ。
石 井 でも……
サンドラ 断ったのだって、一度断ってから受けるっていうのが、あの人のいつもなんだから。もう一度、話してみたら? きっと待ってると思うよ。

サンドラの携帯電話が鳴りだす。
受けるサンドラ。

サンドラ ……はい、もしもし。……うん、元気だよ。そっちは? そう。ごめんね。連絡もしないで。利郎くんは元気? そう。………………そう。うん、まあ、そうなんだけど。……そのうち帰るよ。……ほんとだって。今ね、ショーの最中なの。うん、悪いんだけど。うん、電話ありがとう。じゃあね。

サンドラ、電話を切る。

石 井 妹さんですか?
サンドラ モグ死にそうなんだって。やんなっちゃうな。
石 井 帰らないんですか?
サンドラ ……。
石 井 帰らないんですね。
サンドラ ……。
石 井 帰りましょう、一緒に。
サンドラ 何言ってんの?
石 井 サンドラさんの取材を続けさせて下さい。
サンドラ 取材? 昔見たことあるわ、そういうやらせのドキュメンタリー映画。あんたが書きたいのはそういうものなの?
石 井 いいえ、違います。あの、僕思うんですけど、寅さんは帰っていかなきゃいけないんです。一年中日本中ふらふらしてても、やっぱり柴又のとらやに帰っていかないとお話は始まらない。僕ずっと思ってたんです。「帰るところ」って何だろうって。
サンドラ 「帰るところ」?
石 井 僕思うんです。帰るところがあるなら、帰ってみるべきだって。「お帰り」って言ってくれるところがあるなら、帰ってみなきゃいけないって。さっき「ゲイはつらいのよ」見ててやってて思ったのは、そこなんです。いいじゃないですか、「お帰り」って言ってもらえる場所があるのって。だから、行ってみましょうよ、じゃなくて、帰ってみましょうよ。「お帰り」が「いらっしゃい」になる前に。
サンドラ じゃ、行ってみるわけ!
石 井 そうです。
サンドラ でも、今すぐ?
石 井 今度は用意周到に。
サンドラ じゃ、明日?
石 井 ええ、明日です。

 暗 転  
  

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