ひまわり

第2場・第3場

<<<第1場<<<

場面は変わって、「ひまわり美容室」の店内。
今日は日曜日。のどかな雰囲気。
客はいないが、おばちゃん、もとい春日啓子(健太郎の実の母)が忙しそうにしている。ソファにおじちゃん、もとい春日義則(健太郎の実の父)が新聞を読んでいる。片隅ではモグがへばっている。
この場面での健太郎の家族とご近所のみなさんは、「ゲイはつらいのよ」とはテイストが違う。みんなドラァグメイクをやめて、すっぴんになっているのである。

啓 子 仕事の邪魔ですから、奥にいてください。
義 則 まあ、いいじゃないか。ひまだな。
啓 子 お昼どうしますか?
義 則 そうだなあ。
啓 子 たまの日曜日なんですよ。どっか出かけたらどうなんですか?
義 則 いやあ、毎日が日曜日だからな。どうせ出かけるなら、静かな平日の方がいいよ。
啓 子 いやですよ。失業者みたいに公園のベンチでボーッとしたりしてるの。
義 則 いいじゃないか、実際、失業してるんだから。

そこへクロがやってくる。

ク ロ おーっす!
義 則 あ、また来たな。クロのやつ。
啓 子 いいじゃないですか、ほっときなさいよ。

義則、クロに近づき、じっとにらみはじめる。

ク ロ なんだよ! やる気か?
モ グ お前、いいかげんにしときや。

まばたきをしないで、にらみ合っている二人。

義 則(まばたきをしてしまい、あっけなく)あ、負けた。
啓 子 もう何やってんだい?
義 則
(ドアの向こうに何かを見つけて)あ!

義則、通りへととびだしていく。

啓 子 どうしたの、一体?

すぐに、義則、健太郎と石井と一緒に戻ってくる。

ク ロ あ、健太郎だ
モ グ ぼっちゃん、おひさしぶりです!
啓 子 ……。
義 則 何も逃げることないじゃないか?
健太郎 逃げたんじゃないよ、手ぶらで来たのに気がついて、何かお菓子でも買ってこようかなと思って。
啓 子 あんたから手土産もらおうとは思わないね。
健太郎 ……。
義 則
(石井をさして)あの、そちらは?
健太郎 あ、友達。友達の石井くん。
石 井 どうも。石井です。
義 則 健太郎の父です。どうもいつもお世話になってます。
石 井 いえいえ。
啓 子
(健太郎に)どうしたんだい、今日は? お金ならないからね。
健太郎 そんなんじゃないって。
啓 子 さあ、どうだか?

そこへ藤田千栄子がやってくる。クロを見つけて。 

千栄子 あ、やっぱり、お邪魔してたんだね。悪いね。いつもいつも。
啓 子 いいんだよ。

千栄子、健太郎に気がつく。

健太郎 久しぶり。
千栄子 ……。
健太郎 あ、おばちゃん前にほしいっていってた、ユーミンのサイン、色紙に書いてもらったの手に入ったんだけど、いる?
千栄子 いらない。
健太郎 剛ちゃん、元気?
千栄子
(無視して)さあ、クロ、行くよ。
ク ロ
(逃げて)僕は剛のかわりじゃないっつうの。
モ グ まあ、つきあったりや。またちょくちょく来いや、お前がちょくちょく来てくれたおかげで、うちとお隣さんの関係もなんとか修復したんやからな。もう少し頼むで。
ク ロ チェッ、じゃあね。

千栄子、クロの首根っこをつかんで出ていく。

啓 子(健太郎に)今日はどうしたんだい?
健太郎 ひとみから、電話もらってさ。モグ死にそうだって。それでちょっと見に来たんだけど。そんなに具合悪いの?
義 則 まあ、もう年だからな。
啓 子 ここんとこの暑さが応えたらしいんだよ。夏が終わっても、秋、冬はもう越せないんじゃないかって。前はあんなに散歩が好きだったのに、今じゃ、もう億劫そうでね。
義 則 これは、俺たちよりモグの方が先にいきそうだな。
啓 子 よしとくれよ。本人の前で。
モ グ ええんですって、奥さん。気にせんといて下さい。

ひとみがやってくる。

ひとみ こんちわ。
義 則 ああ、ひとみ! どうしたんだ、今日は?
ひとみ お兄ちゃん来るって言ってたから。
啓 子
(健太郎に)何でうちに来るのに、ひとみに話して、私たちに一言もないんだい?
義 則 まあ、いいじゃないか。そうだ、健太郎、昼飯もう食ったか?
健太郎 まだだけど。
義 則 じゃあ、父さん、昼飯作ってやる。最近、覚えたんだ、いろいろ。おからに芋の煮っころがしにがんもどきの煮たの。お前好きだったろ?
健太郎 ……うん。
義 則 よし、じゃあ、支度するから、まあ、上がれ。そっちの人も。
啓 子 またわけのわかんないことを。いいから、私、やるから。ひとみも手伝っておくれ。
ひとみ うん、すぐ行く。

義則と啓子、奥へ消える。

ひとみ また黙って来たの?
健太郎 うん。途中で気が変わったらまずいなと思って。
ひとみ だったら、「行く」って約束して、ちゃんと行くようにすればいいじゃない。
健太郎 まあ、そうなんだけどね。
(紹介して)あ、石井くん。
石 井 どうも初めまして。
ひとみ 兄がいつもお世話になってます。
(健太郎に)って、どういう間柄の人なの?
健太郎 仕事の関係っていうか、フリーのライターの人でね、僕の取材してるところなの。
ひとみ やだ、私、こんないいかげんな恰好で来ちゃった!
健太郎 お前の取材じゃないから。
石 井 カメラもないんで。

健太郎 モグ、しんどそうだね。
ひとみ うん。昔さ、魚肉ソーセージ丸飲みしたことあったじゃない。ビニール剥く前に「これ上げるからね」って見せたら、バクって丸ごと食べちゃったこと。
健太郎 あった、あった。
ひとみ あのときよりも具合悪そうでしょ?
健太郎 うん。
石 井 そのソーセージはどうなったんですか?
健太郎 翌日、口からポロって出てきたの。そのまんまで。
石 井 「人間ポンプ」みたいな犬なんですね。
モ グ ほっといて下さい。
ひとみ
(健太郎に)どう、久しぶりに会って?
健太郎 今度こそ駄目かもね。やっぱり。
ひとみ そうじゃなくて、お父さんとお母さん。
健太郎 ……。
ひとみ 出てった私がこんなこと言うのなんなんだけど、やっぱり気になるのよね。二人とも元気だから、まあいいんだけど。ねえ、お兄ちゃん、帰ってきたら?
健太郎 え?
ひとみ 相変わらずお金ないんでしょ? だったら、ここにいた方が絶対楽だと思うよ。そりゃ、たしかに京成電車は終電早いし、今までみたいに夜遊びできないけど、それでも、家賃とタクシー代くらべたら、ここにいた方が楽なんじゃない?
健太郎 まあ、そうなんだけど。
ひとみ お父さんたちね、お店たたんで、小さなアパート建てようかって言ってるの。お父さんの退職金で。老後のこともあるしって。そしたら、今度こそお兄ちゃんの帰ってくるところなくなっちゃうよ。
健太郎 そんな……
ひとみ お母さん、やっぱり、寂しいんだと思うよ。ああいう人だから、絶対にそんなこと言わないけど。ね、ちゃんと考えてよね。お願いだから。
啓子の声
(奥から)ひとみ、悪いんだけど、買物行ってきておくれ。
ひとみ
(奥に)うん、今行く。(健太郎に)じゃね、お兄ちゃん。

ひとみ、奥へ消える。

健太郎 もう、やだな、石井くんの前で何から何まで。
石 井 僕のことなら気にしないで下さい。

石 井 どうするんですか?
健太郎 え?
石 井 帰ってくるんですか?
健太郎 帰ってこれるわけないでしょう? 帰ってきて、まだ五分しか経たないのに、もう思いっきり後悔してるんだから。
石 井 そうですか、みんな気さくないい人たちばかりじゃないですか?
健太郎 石井くん部外者だから。
石 井 ……。
健太郎
(モグに)どうなの、もう死にそうなの?
モ グ いや、わしに聞かれてもようわからんのですわ。
健太郎 お前に死なれちゃうと、すっごい困るんだよね。
モ グ わしもそうなんですけど。
健太郎 もう少し、がんばってくれないかな。あと、一年。ううん、あと半年。そうしたら、どうにかなるから。
モ グ こればっかりは、どうにもちゅうところですわ。
石 井 どうにかって、どうなるんですか?
健太郎 え、どうって…… もう少し、きちんと決められそうかなと思って。勇気を出して帰ってくるのを諦めるか、それとも、もっと勇気を出して帰ってくるか?
石 井 結局、先伸ばしにしてるだけなんですね。
健太郎 何で、そういうこというのかな? じゃ、一体どうしろっていうわけ?
石 井 僕は、部外者ですから。

健太郎 そうだ、新しい犬がいればいいんだ。
モグ・石井 は?
健太郎 そうだよ、モグが死んでも、次の犬が、ここにいれば、僕はまだ外にいても安心してられるんだ。なんだ、そうなんだ!
石 井 どうして、次の犬が必要なんですか?
健太郎 だって、うちの母親は、独り立ちしていった子供たちのあとの隙間を、この犬がいることで埋めてたんだから。つまり、モグは僕たちの身代わりってわけ。だから、こいつが死んじゃうんだったら、新しい代わりの犬を連れてくればいいってこと。
石 井 そして、自分は帰らないんですね。
健太郎 よーし、じゃ、新しい犬をゲットしなきゃ。新しい犬。ニュードッグ!
モ グ 本人の前でよくそういうことが言えますな。
健太郎
(モグに)よし、モグ。後のことは任せて、安心して大往生しておくれ。
モ グ ぼっちゃん、わし、ぼっちゃんに任すの、ほんま言うとめちゃめちゃ不安なんですわ。
健太郎
(石井に)じゃ、ちょっと行ってくるね。
石 井 どこ行くんですか?
健太郎 柴又街道沿いに大きなペットショップがあったから、見てくる。すぐ戻るから、ちょっと待っててね。
石 井 あの……!

呆然とする石井を残して、健太郎は飛び出していく。
場面はすぐに変わって、ペットショップの犬売り場(?)。
様々な種類の犬たちが遊んだりポーズを取ったりしている。
この犬たちを演じるのは、クラブの楽屋にいた面々。
みんな耳のついたキャップをかぶって「犬」になっている。

リョウちゃん ドーベルマン、二十万円。
アキちゃん チャウチャウ、十五万円。
ナオナオ チワワ、十二万円。
マルガリータ マルチーズ、十三万円。
ヒロキ シベリアンハスキー、十六万円。
石 井 ダックスフンド、特価十万円!
リョウちゃん ドーベルマン、二十万円!

この店の店員が健太郎と一緒にやってくる。この店員は、カオルが演じる。

店 員 あのですね、雑種でもいいって言われましても……
健太郎 別に、血統書とか、そういうの全然いらないんです。元気な犬の本体があれば。
店 員 そうですね。じゃ、これはどうですか?
(石井の近くで)ミニチュアダックスです、部屋の中でお飼いになるなら、ちょうどいいと思いますよ。お値段も手頃ですし。
石 井 特価十万円!
健太郎 あの、もっと大きな犬がいいんですけど。部屋の中にいると、「ああ、じゃまだな」って思えるくらい大きい犬。
リョウちゃん やっぱり、俺かな?
店 員 そういうのは、ちょっと……。予算的にも無理だと思いますよ。

健太郎、ドーベルマンをなでてみる。

リョウちゃん ワフーン!
健太郎 そうですね。わかりました。じゃあ……

健太郎、出ていく。

店 員 また、どうぞ。 
犬たち またどうぞ!

犬たちがキャップを脱ぐと、そこは、あっという間にゲイナイトの会場の楽屋。
くつろいでいる一同。
ドラァグ姿のベリンダが入ってきて、メークの直し。
マルガリータは、メークを始める(今は私服の状態)
片隅で石井は人待ち顔。
そこへ、サンドラがやってくる。

サンドラ おはようございます。
みんな おはようございます。
石 井 サンドラさん!
サンドラ あ、何、今日も来てたの? いや、知らなかった?
石 井 どこ行ってたんですか?
サンドラ どこって?
石 井 ペットショップに行くって出てってそれっきり。いつまで経っても帰ってこないってどういうことなんですか?
サンドラ だって、どうしたら犬ゲットできるかなと思ってさ。いろいろ考えてたら、電車に乗っちゃってたんだよね。
石 井 いいかげんなことを……
サンドラ ほんとだって! あ、みんな怒ってた?
石 井 怒ってませんけど、呆れてましたよ。四人でご飯食べながら、サンドラさんの人となりをしっかり聞かせてもらってきました。
サンドラ あ、駄目だからね。そんなの信じちゃ。
石 井 信じます。信じられるようになりました。
サンドラ ごめんね。
石 井 それで、犬はどうなったんです?
サンドラ ペットショップはだめ。予算が一桁違うの。
石 井 それも情けないですね。
サンドラ でね、考えたの。超イカすアイデア。
(みんなに)ねえ、みんな聞いて!

一同、何となく話を聞く体勢に。

サンドラ あの、お願いがあるんだけど、もう一度「ゲイはつらいのよ」やってくれないかしら?
ナオナオ 何でまた?
サンドラ あの話に出てきた犬のモグが死んじゃいそうなの。で、その後釜の犬をゲットしたいんだけど、お金がなくて……
リョウちゃん 捨て犬とか探したら?
サンドラ それならやったのよ、電信柱一本ずつそんな貼り紙がないかしらと思って。でもね、電信柱に貼ってあるのは、「犬あげます」じゃなくて、「犬探してます」ばかりなの。
カオル ネットで探してみたら? メールとか掲示板とかで呼びかけて?
サンドラ 私が、そういうの苦手なのわかってるじゃない。それに、肝心なのは、私がちゃんと働いたお金でゲットした犬だってことなの。
ベリンダ だったら、ちゃんと働けば?
サンドラ でも、一人じゃ限界があるので、っていうか、今すっごい貧乏なんで、お願い。ゲイナイト企画するから、「ゲイはつらいのよ」も一度やって。つまりチャリティってことで。
ベリンダ どんな見返りがあるのかしら、サンドラのうちの犬をみんなで手に入れたって。
サンドラ ベリンダさんだって、飼ってるじゃない。大きな犬。いいもんでしょ、犬って。いつも待ってるし。裏切らないし。あったかいし。
ベリンダ ……。
桑 原 あ、もう、何でもないんです。僕、別に部屋借りたんで……
サンドラ あ、ごめん。
ベリンダ 悪いけど、私はパスするわ。
アキちゃん いいじゃない、やってみようよ。
サンドラ そのかわりといってはなんだけど、みんなに名前をつけさせてあげます。
トモピー 名前?
サンドラ うん。何でもいいから。みんなで決めるの。ね、いいでしょ!
桑 原 僕やらせてもらいます。
ナオナオ 僕もやる。みんな、やってみようよ!
カオル そうだね、僕やる!
ヒロキ 俺も。どんな名前がいいかな?
リョウちゃん 豪華なやつ。「ルクレチア・ボルジア」とか!
ベリンダ いいわよ、やってみようじゃないの。まあ、どれだけお金が集まるかは疑問だけどね。
マルガリータ ほんと。
サンドラ やってみなきゃわからないわ。だって、人生は賭けなんだから。じゃ、石井くんもよろしくね。
石 井 僕もですか?
サンドラ 今更何言ってんの。あなたがいなきゃできないでしょ「ゲイはつらいのよ」
石 井 あの……
サンドラ じゃ、スケジュール決まったら、連絡するから、じゃあね!

「渡る世間は鬼ばかり」の音楽が無理やり始まる。
風のように出ていくサンドラ。そしてみんなも。
取り残された石井。

石 井 できん!(しぶしぶ語りだす)サンドラさんが企画したゲイ・ナイトは「ドッグ」というまんまなタイトルで、何とか開催にこぎつけました。「新しい犬を手に入れる」というコンセプトがあちこちで間違って伝わって、会場にはレザーの上下に身を固めた人たちの姿もちらほら。「ゲイはつらいのよ」は第二部のショー。初めはあんなにしぶっていたベリンダさんも、約束どおりにオリジナルのストーリー、サンドラさんに都合のいい、かっこいい結末に付き合ってくれました。そして、僕は、汗だくになりながら、初舞台を終えたのでした。

拍手の音、歓声!
そして、音楽が終わる。
健太郎が出てくる。

健太郎 昨日はどうもお疲れさま。
石 井 で、いくら集まったんです?
健太郎 ふふん、十五万円。
石 井 すっごい! じゃあ、これで犬がゲットできますね。
健太郎 うん、もう決めてきたの。こんなに小さなゴールデンレトリーバー。
石 井 あ、ナイスな選択ですね。
健太郎 でしょ! もう届いてるはずだから、こっそり見にいこうかなと思って。
石 井 もう買ったですか?
健太郎 うん。なんで?
石 井 だって、まだ生きてるんでしょ。モグ。もう少し待ってからの方が。
健太郎 だめ、そんなことしたら、お金持ってるうちに使っちゃうに決まってるんだから。
石 井 何じゃそりゃ? でも、何で自分で持ってかないんです?
健太郎 僕が持ってったって素直に受け取るわけないじゃない、うちの母親。そのへんはよくわかってるんだから。
石 井 今度はかなり用意周到なんですね。
健太郎 もちろん。じゃ、行くか!
石 井 そうですね。こういうときは、突然行っておどろかしてもいいでしょう。

 二人退場。
 場面は変わって、再び「ひまわり美容室」
 啓子が一人いる。隅でモグも寝ている。

健太郎 ただいま!
モ グ
(気がついて)あ、ぼっちゃん、おかえりなさい。
啓 子 何だい。何で、お前はいつも突然来るんだい?
健太郎 あれ、犬は?
啓 子 犬?
健太郎 届いたでしょ? 今日。ゴールデンレトリーバー。
啓 子 ああ、あれなら、返したからね。
健太郎 返した?
健太郎 ちょっと揉めたけど、きっちり話して、返金してもらってきたから。何だい、十五万もするのかい、あのゴールデンなんとかって犬は。ああ、もったいない、もったいない。お前、そんな金があるなら、もっと他のことに使ったらどうだい?
健太郎 待ってよ、何で返すわけ。せっかく買ったのに。僕、あの犬のために、わざわざゲイナイト企画したんだよ。すっごい大変だったんだから!
啓 子 ゲイナイト? まだ、そんなことやってるのかい。情けないねえ。
健太郎 お金にかわりはないでしょ。っていうか、ちゃんとしたお金だよ。
啓 子 たまに帰ってきたと思ったら、借金の話しかしないお前から、馬鹿みたいに高い犬もらって喜ぶとでも思ってるのかい? それにね、犬ならもういらないって、前から言ってたはずだろ。
健太郎 でも、モグ死にそうじゃん!
モ グ ぼっちゃん、またですか?
啓 子 大きな声で言うんじゃないよ! 聞こえるだろ。それに、まだモグがこうしているのに、すぐ「次の犬」を送ってくるなんて。よくそんなことができたもんだ。可愛想に。
モ グ 奥さん、よう言ってくれました。
健太郎 悪かったよ、じゃ、お金
(手を出す)
啓 子 何だい?
健太郎 返してもらったお金、十五万。
啓 子 ああ、あれは、これまでいろいろ建て替えてた分ってことでもらっといた。ひとみにもずいぶん借金してたんだろ。そっちにも回しておいたから。
健太郎 また、そんな勝手に。
啓 子 せめてもの結婚祝いだよ。あてにしてなかったのが返ってきたって、喜んでたよ。
健太郎 ……
啓 子 何か文句あるかい?
健太郎 ……ありません。じゃ!

健太郎、出ていく。
場面はすぐに変わって近所の道端。
石井が待っている。

石 井 どうでした?
健太郎 信じられる? 返品したんだって。しかも、お金は、これまでの借金の方にとられてしまった。こんなひどい話ってある?
(叫ぶ)ひとでなし!
石 井 どっちもどっちって感じですね。
健太郎 ああ、どうしよう。どうしたら、犬ゲットできるかな。ニュードッグ。
石 井 まだ、諦めないんですか?
健太郎 当たり前でしょ。一旦やるって決めたこと途中で投げ出すの大嫌いなの。どうせなら、やるだけやって当たって砕けた方がまし。
石 井 かなり破滅的な人生ですね。
健太郎 何か心当たりない?
石 井 そうですね……
健太郎 そうだ! 保健所!
石 井 は?
健太郎 保健所って、野良犬とかってたくさん保護してるんでしょ? だったら、そこに行って、一匹もらってくる。
石 井 もらってって……
健太郎 くれるでしょ? くれるはず。そうだ、保健所に電話して聞いてみよう。

すぐに携帯で電話をする健太郎。

健太郎 すいません。葛飾保健所をお願いします。……はい、わかりました。(一度切ってすぐにかける)
石 井 ちゃんと働いたお金でゲットするっていうコンセプトはもういいんですか?
健太郎 もうそんなこと言ってられないでしょ。ていうか、受け取らないんだから。こうなったら、次の手段よ。
(出たらしい)あ、葛飾保健所ですか? あの、葛飾区の野犬収容所っていうか、そういう施設ってありますか? …………ええ、犬を探してるんです。…………はい……あ、そうですか。……ええ、わかります。じゃあ。これから行ってみます。(電話を切る)
石 井 これからってそんな……
健太郎 じゃあね!
石 井 あ、待って下さい。ほんとにもう……

場面は野犬収容所。
犬の吠える声が聞こえる。
保健所の職員、金城武司と健太郎がやってくる。

健太郎 知らなかった。金城くん、こんなとこで働いてたなんて。
金 城 公務員はつらいよ。ようやく今の職場に慣れたと思ったところで、新しいとこに移動なんだからな。
健太郎 で、ここに?
金 城 好きで選んだんじゃないんだけど。まあ、いいかって。
健太郎 ふーん。
金 城 何で連絡くれないんだ?
健太郎 結婚した昔の男には、もうちょっかい出さないことにしてるから。もう、きれいさっぱり。
金 城 部屋にあった荷物とかどうしようかと思ってさ。お前のうちに送るのも何だかなと思って。
健太郎 いいよ、気にしないで捨ててくれて。
金 城 気がついたら、そのまんま使ってるんだよな。カーテンとか毛布とか。あのミッキーマウスのタオルケット。一番下のやつが気に入っててさ。絶対に放さない。
健太郎 女の子?
金 城 いや、男。
健太郎 それは、すっごくうれしいかも。

金 城 今、何してんだ?
健太郎 相変わらず。フラフラフラフラ。
金 城 あ、俺、言っておかなくちゃと思って……
健太郎 何?
金 城 時々、雑誌とかに載ってるの見るんだけど、ああいうのって、これからもあるのかな?
健太郎 うん、今もね、ちょっと密着取材の最中。まあ、大したもんじゃないんだけど。
金 城 俺のこと、話さないでほしいんだ。
健太郎 ……わかってるって。そんな、話したことないよ。金城君の名前出したりしたことは一度もない。
金 城 そうじゃなくて、四年間一緒に住んでた男がいて、そいつは今じゃ結婚してるって書いてあったの見てさ……。
健太郎 ああ、あれ? でも、名前出してないじゃない。
金 城 ああいうのもうやめてほしいんだ。
健太郎 やめるって?
金 城 なかったことにしてほしいってこと。
健太郎 ……なかったこと? なんで? だって、あったんだから、しょうがないじゃない。
金 城 まあ、そうなんだけど、俺結婚したわけだし、ていうか、まんまゲイってわけでもなかったし。
健太郎 だったら、別にかまわないじゃない。
金 城 でも、俺たち一緒に住んでたこと知ってるやつ、地元じゃいっぱいいるし。この間も高校の時の連中と一緒に飲んだんだけど、そんな話になって。……俺、参っちゃってさ。
健太郎 わかった。もう、どこでもそんな話しない。なかったことにする。
金 城 悪いな。
健太郎 悪いと思ったら、そういうことは言わない。

健太郎 だったら、そのかわりに犬をおくれ。
金 城 さっきも言っただろ。そういうわけにはいかないんだ。
健太郎 だって、いっぱいいるんでしょ。行き場のない犬。
金 城 飼い犬が迷って保護された、そういう場合は飼い主に返す。でも、ただ、犬がほしいからっていう人間には、無闇に渡せないことになってるんだ。
健太郎 それはもうさっき聞いた。その上で、言ってるの。犬をおくれ。もう、金城君のことは忘れるから。そのかわりに。
金 城 参ったな。
健太郎 どうしてもくれないっていうんなら、どんどんしゃべっちゃうよ、あちこちで。あることないこと。
金 城 おい、よせよ。
健太郎 だったら。……これが最後だから。もう、二度と無茶苦茶なこと言わないから、絶対に。

金 城 ここにいるのが、明日、処分される連中だよ。どれにするか決めたら、言ってくれ。向こうで待ってるから。
健太郎 ありがとう。

金城は去る。
明日殺される犬たちが見えてくる。
彼らはそのことを知らない。
犬の吠える声がだんだん人の声に聞こえてくる。
犬たちを演じるのは、マルガリータ、カオル、ナオナオ、アキちゃん、石井くん。

ナオナオ 迎えにきてくれたの?
カオル 待ってたんですよ。
マルガリータ あれこの人じゃない。
アキちゃん ここから出して下さい。そしたら、僕一人で帰れるのに。
石 井 いつもかじってたあの毛布、持ってきてくれませんか? そしたら眠れると思うんです。
ナオナオ 僕は平気だよ。きっとみんな心配してると思うんだよね。でも、たまには心配させてやるのもいいかなと思ってさ。
カオル 帰りたいよ。
マルガリータ 帰りたいな。
アキちゃん ここから出して下さい。そしたら、僕、すぐに帰れますから。僕のうちに。
カオル 僕のうちに。
みんな 僕のうちに!
ナオナオ 迎えにきてくれたの?
カオル 待ってたんですよ。
マルガリータ あれこの人じゃない。
アキちゃん ここから出して下さい。そしたら、僕一人で帰れるのに。
石 井 いつもかじってたあの毛布、持ってきてくれませんか? そしたら眠れると思うんです。
ナオナオ 僕は平気だよ。きっとみんな心配してると思うんだよね。でも、たまには心配させてやるのもいいかなと思ってさ。
カオル 帰りたいよ。
マルガリータ 帰りたいな。
アキちゃん ここから出して下さい。そしたら、僕、すぐに帰れますから。僕のうちに。
カオル 僕のうちに。
みんな 僕のうちに!

健太郎、見ていられなくなり背を向ける。
犬たちは消える。
そこは、野犬収容所の外だ。

隣の剛ちゃんがやってくる。仕事の途中。

剛ちゃん 健太郎。
健太郎 剛ちゃん。
剛ちゃん 何してんだ、こんなとこで?
健太郎 あ、ちょっと。電話全然つながらなくて。どうしてるのかなって心配してた。
剛ちゃん そのことなんだけど……
健太郎 何?

剛ちゃん、周囲を気にしながら、道の脇に寄る。健太郎も。

健太郎 どうしたの?
剛ちゃん なかったことにしてくれないか?
健太郎 ……なかったことって?
剛ちゃん 俺が健太郎に話したこと。
(小声で)俺がゲイだってこと。
健太郎 何、それ? どういうこと?
剛ちゃん 俺、健太郎みたいにはやってけないんだ。
健太郎 いいじゃない、いいんだよ。剛ちゃんは剛ちゃんなりにやってけば。
剛ちゃん そういうことじゃないんだ。健太郎、もう、俺のことかばってくれなくていいから。見合いの話、受けてみようと思うんだ。それでお袋が納得するなら。
健太郎 まあ、とりあえずはね。
剛ちゃん 結婚もするかもしれない。
健太郎 ……。
剛ちゃん どうせ、跡はつがなきゃならないんだし。だって、結婚してるゲイっていっぱいいるじゃないか。
健太郎 まだゲイはゲイなわけ? それはなかったことにしないんだ?
剛ちゃん しょうがないんだよ。健太郎と違って、俺この町出て行くわけに行かないんだから。そりゃ、夢見たさ。何もかも捨てて、自分のやりたいように生きてく。でも、そんなことができるのは、子供か、ほんの少しの大人だけなんだ。
健太郎 しょうがないって言葉は嫌いだな。
剛ちゃん ……。
健太郎 やってみないで、そういうこと言うんだ?
剛ちゃん やってみたじゃないか? おかげでうちはぐちゃぐちゃだよ。……別に健太郎のせいだって言ってるんじゃなくて。……だから、もう、そっとしておいてほしい。

健太郎 僕は別にかまわないよ。それで、剛ちゃんがかまわないなら。
剛ちゃん
(ほっとして)じゃ、俺、仕事の途中だから。じゃあな。

剛ちゃん、去って行った。

石井がやってくる。

石 井 あれ? 犬はどうしたんです?

健太郎 何だか、もうどうでもよくなっちゃった。
石 井 何言ってるんですか?
健太郎 決めた。いいよ、もう、犬はいらない。
石 井 どうしたんです? 何かあったんですか?
健太郎 何もない。何にもない。でも、決めた。犬はいらない。
石 井 いいんですか、本当に。
健太郎 いいよ。
石 井 いいや、よくない。
健太郎 何言ってんの?
石 井 よくないに決まってる。だって、すっごい無理してるじゃないですか?
健太郎 無理なんかしてないよ。ねえ、石井くん。あなたどうしてそうムキになるわけ。取材に熱心なだけかと思ってたけど。気がついたんだ、もしかしたら、僕、石井くんに振り回されてるだけなのかもしれないって。
石 井 さんざん振り回しといて何言ってるんですか?
健太郎 本当にそう? じゃ、何で、僕がうちに帰ることにそんなに執着するわけ?
石 井 だから、寅さんは……
健太郎 僕は寅さんじゃないの!

石 井 一旦やるって決めたこと途中で投げ出すの大嫌いだったんじゃないですか?
健太郎 あれ、嘘よ、嘘。
石 井 自分に嘘ついたことだけはなかったんじゃないですか。
健太郎 やだな。あれは岳ちゃんが書いた、カッコいい僕のこと。僕は、もっともっとカッコ悪いの。知ってるでしょ?
石 井 ……。
健太郎 取材はもうここまででいいよ。ていうか、お終いにして。僕は、おもしろおかしく毎日過ごしてる、お気楽なゲイでドラァグクィーンだって。そう、まとめておいてくれればいいから。
石 井 でも、まだ、終わらないじゃないですか?
健太郎 終わりって何? あなたが望むようなハッピーエンドを僕は用意しなくちゃいけないわけ? そんなものがほしいんなら、映画を見てよ。寅さんでも何でも。ゲイにとってのふるさとはね、あんなに幸せじゃないの。素敵なマドンナと恋に落ちて、結局振られても、それでも、寅さんには、心配してくれる家族がいる。ご近所のみなさんがいる。悪いけど、僕にはいない。僕には、石井くんが望んでる結末を見せてあげることができないんだよ。悪いけど。

石 井 僕には、帰るところがないんです。母は僕が中学生のときに死にました。父は弟夫婦と同居してますが、弟はロサンゼルスに住んでるんです。ずっと団地住まいだったので、僕が帰る所は、この日本中どこにもないんです。「お帰りなさい」って迎えてくれる人も土地も。
健太郎 みんなそういうもんなんじゃない? そうやって、一人でやってくんじゃない?
石 井 いいんですか? ほんとに一人でいいんですか?
健太郎 言ったでしょ。僕は僕一人でも僕だって!
石 井 あれは、カッコいいサンドラさんです。
健太郎 じゃ、カッコよくなる。なればいいんでしょ。
石 井 そうですね。なれるなら。


小さな女の子がやってくる。手にダンボール箱を持っている。

女の子 この犬飼って下さい。あの、この犬飼って下さい。おじさんたち二人で。
二 人 ……
女の子 この犬飼ってください。お願いします。公園で拾ったんです。もう一匹いたんだけど、その子は死んじゃって。友達みんなで飼ってたんだけど、捨ててきなさいって言われて。でも、捨てられなくて。すごくいい犬なんです。寝てばかりいるけど、起きるとすっごく可愛いいんです。だから、飼ってください。お願いします。

顔を見合わす二人。

健太郎 いいよ。飼ってあげる。おじさんたちが。
女の子 どうもありがとう! じゃ!
(箱の中の犬に向かって)元気でね。バイバイ!

女の子去っていく。

健太郎 しょうがないからじゃないからね。……ラッキーってかんじ!

うれしそうな石井。
場面はあっという間に、ゲイナイトの楽屋。
健太郎のまわりにみんなが集まって犬を見ている。

アキちゃん へえ、これが十五万の犬?
サンドラ そういうこと。
ナオナオ 何で、こんな雑種の犬が十五万なの?
サンドラ 雑種じゃないの、混血よ、混血。
カオル たしかに和洋折衷ってかんじの犬だよね。
ナオナオ そういうの和洋折衷っていう?
マルガリータ すっごい愛嬌あるけど、なんだか「たれぱんだ」みたいな犬ね。
サンドラ 子犬だから、寝るのが仕事なの。ほんとに由緒正しい犬なんだからね。
マルガリータ さあ、どうだか?
アキちゃん 名前どうしようか?
リョウちゃん じゃ、「大地真央」!
ナオナオ それ全然似合ってないと思うよ。

サンドラは、椅子の上に犬の箱を置いて、自分の支度を始める。
ベリンダが、つかつかとやってくる。

ベリンダ あんた、この頃、ショーのレパートリー、マンネリになってるんじゃない?
サンドラ まあね。ていうか、新曲練習するヒマがなくて。
ベリンダ あら、お金はなくても、ヒマだけはあるのが、あんただと思ってたけど。
サンドラ 今や両方ともない極貧状態なの。
ベリンダ これ、あげるわ。聞いてみたら。
サンドラ 何、これ?
ベリンダ 聞けばわかるわよ。

ベリンダ去る。

サンドラ 私がMD持ってないの知っててくれるのよ、いけずな女。
石 井 僕ので聞いてみますか?

石井が取材に使っていたMDで聞いてみるサンドラ。
音楽が流れだす。

石 井 それは、シャーリー・バッシーが歌う「ピープル」という曲でした。「人。人恋しい人。それは世界で一番幸せな人。私たちは人恋しい子供。なのに大人のミエが邪魔して、本音が言えないでいる。それじゃ、ほんとに子供よね。」そんな歌。

途中から、石井もヘッドホンを片っぽずつにして、二人で聞いている。
流れている「ピープル」。
場面の隅に、モグとクロの姿が浮かぶ。

ク ロ ねえ、おじさん、死ぬって何?
モ グ さあ、何なんやろうな。わしら、いつまでも生きてると、陸の上が犬ばっかりになってまうやろ。うじゃうじゃうじゃうじゃ。そんなんうっとおしいから、順番におさらばするねん。陸のはしっこの海のとこで、「ほな、さいなら」言うて、ポチャンって落っこってくねん。
ク ロ ふーん。
モ グ 順番や、順番。

聞いているサンドラと石井。

サンドラ いい歌じゃない。
石 井 ベリンダさんって、結構、やさしいとこあるんですね。何だか意外だな。
サンドラ イカすわよね。くやしいけど。

携帯が鳴る。

サンドラ(出て)……うん、なあに? あ、聞いた? ふふふ、でもね、大丈夫だから。…………あ、そう。いつ?………………そう。わかった。これから、行くよ。ううん、平気、平気。母さん、どうしてる? そう。……うん、じゃあ。(電話を切って)モグ死んじゃった。
石 井 ……。
モ グ ほな、さいなら。
ク ロ じゃあね、おじさん!

モグ、去っていく。
サンドラ以外のみんな、場面から消えていく。
啓子がゆっくりと現れる。
そこは「ひまわり美容室」
向かい合う二人の間のダンボール箱、新しい犬。

啓 子 持って帰っておくれ。
健太郎 モグが死んですぐ、こんなことするの、ひどいことしてるのわかってるんだけど。
啓 子 だったら、持って帰るんだね。
健太郎 いやだ。
啓 子 なんでそう犬にこだわるんだい?
健太郎 だって、寂しくなるじゃない。
啓 子 モグがいない寂しさは新しい犬でなんか埋まらないよ。いいから、持って帰りな。
健太郎 いやだ。絶対に持って帰らない。ここには犬がいなきゃいけないんだ。絶対に。
啓 子 なんで犬じゃなきゃいけないんだい?
健太郎 ……。
啓 子 どうして、お前が帰ってくるんじゃいけないんだい?
健太郎 いいの、帰ってきて?
啓 子 いいとも、帰ってくればいいじゃないか?
健太郎 嘘だね。いい? 僕はゲイだよ。いい年してフラフラしてて、女装して稼いでる。そんな僕が帰ってきて、本当にいいの?

健太郎 でしょ? 母さんは、僕のこと認めてくれない。僕が自分を変えてまで、違う人間になってまで、ここに戻ってくるつもりはないんだ。それだけのこと。
啓 子 それは違うね。人のせいにするのはおよし。本当に帰って来たいなら帰ってくればいいじゃないか。私が何を言おうとご近所にどんな目で見られようと、そんなのハネ返してやるくらい開き直って帰って来ればいい! 意気地のない自分のかわりにこんな犬を連れてくるのはおよし! さあ、持って帰っておくれ。

健太郎 この犬は返すわけにはいかないんだ。ちゃんと面倒みるからって言ってもらってきたんだから。それにどこに返していいのかもわからない。もらってくれないなら、保健所に持っていく。
啓 子 持ってお帰り。

健太郎 心配なんだよ。みんなどうしてるのかって。すっごい帰ってきたいんだ、本当はでも、僕は帰れない。だって、僕が帰ってくるたびに、いろんなことがどんどん面倒くさくなってく。僕も変われないし、母さんも変われない。だったら、いっそ僕なんかより、この犬がいた方がいいって、そう思うじゃない。僕のかわりに、犬がいてくれた方がいい。そう思うじゃない。違うかな?
啓 子 何言ってんだい。ばかばかしい。
健太郎 じゃあ、わかった。僕、もう帰ってこないから、この犬をもらって。頼むから。この犬、ここに置いてほしい。僕のかわりに。
啓 子 ……。
健太郎 この犬、受け取れ!

健太郎、段ボール箱を差し出す。
にらみ合う二人。
長い間
啓子、犬を受けとる。

健太郎(明るく)じゃ。

健太郎、出ていこうとする。

啓 子 お待ち。
健太郎 ……?
啓 子 髪、カットしてやろう。
健太郎 ?
啓 子 なんていいかげんな頭してんだい。そんな頭でここから帰すわけにはいかないね。
健太郎 いいよ、ショーのときは、ズラかぶってるから。
啓 子 お座り。すぐ済むから。

啓子、手早く、支度をする。
健太郎を鏡の前に座らせて、ケープをかける。
啓子、健太郎の髪を切りはじめる。
銀色に光る鋏、その涼しげな髪を切る音。
しばらくだまっていた二人だが、以下は、鏡越しの会話。

啓 子 夏ももう終わりだね。
健太郎 何、世間話?
啓 子 裏のひまわりももう枯れそうだ。

健太郎 ねえ、何で毎年ああやって、ひまわり植えてんの?
啓 子 うちのトレードマークだからね。
健太郎 ひまわりってさ、秋になって枯れると邪魔なんだよね。もう大木ってかんじでさ。
啓 子 わかってないね。あんなに気持ちのいい花ないじゃないか。すっきりしてて、まっすぐで、堂々としてて。私は大好きだね。
健太郎 もしかして、それでつけたの「ひまわり美容室」って?

啓 子 さあ、どうだったかね。忘れたよ、昔のことだから。
健太郎 ……。
啓 子 さあ、もういいよ。

ケープを取り、切った髪を払う啓子。
健太郎は立ち上がり、鏡に映る自分の姿を見ている。

啓 子 また、来るんだね。どうせ金ないんだろ。うちならただでいいから。

健太郎 ……わざわざ金払って、ここまでカットしには来ないよ。

健太郎 じゃね。
啓 子 ……。
健太郎 そうだ。犬、名前つけてよね。何でもいいから。
啓 子 ああ。
健太郎 じゃあね。

健太郎、外に出ていく。
石井がやってくる。

石 井 どうでした?
健太郎 ……。

店の中では、啓子が犬を見ている。

暗転   

 *          *          *

場面は変わってまた楽屋。
集まっているいつもの面々。

石 井 みなさん、どうもありがとうございました。おかげで面白いものが書けそうです。
ナオナオ もう終わったのサンドラの密着取材?
石 井 ええ おかげさまで。
マルガリータ 前から気になってたんだけど、それって、何に載るの?
石 井 あの、まだ、掲載の予定とか全然ないんですけど、絶対にちゃんとしたものにして、お目にかけますから!
ベリンダ あてにしないで待ってるわ。
サンドラ 私は、楽しみにしてる。そうだ。母親から電話あったの。みんなには内緒なんだけど、あの犬に名前つけたんだって。
石 井 「大地真央」は却下ですか?
サンドラ さすがにね。で、何てつけたと思う。「チビ」だって。もう、バカよね、今は小さいからいいけど、そのうち大きくなったどうすんだっつうの。
石 井 どうですか? 帰れそうですか?
サンドラ 何言ってんの。もう、いいの。チビがいるから。
石 井 ……。
サンドラ 何だかありがとね。いろいろ。
石 井 いえいえ。僕は何も。……そうだ、今度、チビ見に行きませんか、一緒に?
サンドラ 取材の続き?
石 井 それとは別に。……あ、いえ、何でもないんです。
サンドラ また面倒くさいこといろいろあるかもよ。家の父親絶対にあんたのこと私の恋人だと思ってるよ。
石 井 いいじゃないですか。それならそれで。
サンドラ そんな無責任な。なんで、そういう部外者発言するかな。

石 井 じゃ、僕、今日はそろそろ。また、連絡しますから。
サンドラ うん、待ってる。じゃね。

サンドラ、仕度を始める。
石井、去りがたい。
サンドラ、そんな石井に目を向ける。

石 井 あの、最後に、一枚写真を取らせてもらっていいですか?
サンドラ 華やかなメークの陰のドラァグクィーンの素顔? ていうかすっぴんだけど。
石 井 記念写真を。
サンドラ OK。みんな集まって! 記念撮影ですって。

わらわらとみんな集まる。

サンドラ ちょっと待ってね、すっぴんにもほどがあるってかんじだから。
ベリンダ 無駄よ、何したって。
マルガリータ ちょっと、早くしてよ、サンドラ。
ナオナオ いいよ、いいよ、先に一枚とっちゃおうよ。
石 井 そうですね、じゃ、いきますよ。はい、チーズ!

シャッターが切られる。
ストロボの光。
ストップモーションのみんな。
「ピープル」が聞こえてくる。
仲間たちの姿が、二重写しでふるさとのみんなに変わっていく。

啓 子 早くおいで。健太郎。
ひとみ お兄ちゃん!
利郎くん お兄さん!
義 則 健太郎!
千栄子 何してんの、健ちゃん!
剛ちゃん 健太郎!
金城くん 健太郎!
モ グ  ぼっちゃん! 何してますねん!

健太郎(みんなを見ながら)そこまでいったい何メートル? 何キロメートル? 何日? 何年? あれから、剛ちゃんは見合いして結婚した。金城君は離婚した。ひとみと利郎くんのとこには、もうじき子供が生まれる。「ひまわり美容室」は、今もまだある。母は生涯現役を宣言して、父と、そしてチビと、あの町に今も暮らしている。僕は相変わらずのフラフラした暮らし。時々また思いついて帰ってみては、そのたびにいろいろな騒動を起こしてる。僕は変わらない。絶対に変わるもんか。結婚した剛ちゃんに、離婚した金城くん。そのためにも、僕はいつまでこのままでいてやる。だって、気がついたから。それこそが、僕が僕一人でも僕なんだってことの証拠なんだって。

町の人たちは、すぐにクラブの楽屋のみんなに変貌する。

ベリンダ サンドラって、今さら言ってもしょうがないけど、ほんとにダサダサよね。
ナオナオ もう少しカッコいい生き方してみたらいいのに。
サンドラ 放っといてちょうだい。

健太郎=サンドラ、みんなの中に入っていく。

マルガリータ あんた全然変わってないじゃない。
サンドラ いいのよ、私はこれで。だって、私からこのカッコ悪さ取ったら、何も残らないじゃない。ゼロ? ていうかマイナス?
ベリンダ まあ、たしかにそうよね。勝手にしなさい。
石 井 じゃ、行きますよ。はい、チーズ!

シャッターが切られる。
ストロボの光。
仲間たち、もしくは家族の肖像が、一瞬輝いてすぐに闇に消えていく。

 幕   

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<<<第1場<<<