劇団フライングステージ「ぐりぐり2002」上演台本
贋作・犬神家の一族
横溝正史原作 市川崑監督 角川映画「犬神家の一族」に拠る
関根信一

>>>その2>>>

金田一耕助(石坂浩二)  …… 野口聖員
犬神松子(高峰三枝子)  …… 関根信一
犬神佐清(あおい輝彦)  …… 増田 馨
犬神竹子(三条美紀)   …… 高市梅莟
犬神寅之助(金田竜之介) …… 高市梅莟
犬神佐武(地井武男)   …… 吉岡亮夫
犬神小夜子(川口 晶)  …… 早瀬知之
犬神梅子(草笛光子)   …… 石関 準
犬神幸吉(小林昭二)   …… 石関 準
犬神佐智(川口 恒)   …… 細川陽規
野々宮珠世(島田陽子)  …… アルピーナ
青沼菊乃(大関優子)   …… 渕谷浩之
青沼静馬(あおい輝彦)  …… 渕谷浩之
古館弁護士(小沢栄太郎) …… 荒 俊樹
橘警察署長(加藤 武)  …… 荒 俊樹
女中はる(坂口良子)   …… 早瀬知之
猿蔵(寺田 稔)     …… 細川陽規
琴の師匠(岸田今日子)  …… 吉岡亮夫
老婆お園(原 泉)    …… 高市梅莟
若林弁護士         …… 増田 馨
若い刑事        …… 渕谷浩之
菊人形          …… エスムラルダ

 * * * 

 暗闇の中、声が聞こえてくる。
 
松 子 お父様、ご遺言は? ご遺言は? みなお父様のご遺言をおうかがいしたいと待っております。
梅 子 お父様。
竹 子 お父様、ご遺言は?
古 館 御遺言状ならば、この古館がお預かりしております。
梅 子 何ですって?
古 館 御遺言状は、佐兵衛翁の御意志によって、血縁の方がすべて揃われたとき、開封、発表されることになっております。
松 子 血縁のものすべてですって?
珠 世 あっ! おじいさま!
古 館 ……ご臨終です。

 音楽始まる。「犬神家の一族 愛のバラード」。
 しばらくして舞台が明るくなると、そこは信州、那須。
 よれよれの着物に袴姿の男やってくる。男は金田一耕助。探偵である。大きなスーツケースを下げ、メモを手にあたりをきょろきょろしている。
 とモンペ姿の娘が登場。

金田一 すみません。あの、「那須ホテル」というのは、どこにありますか?
娘   あら、すぐよ。
金田一 よかった!
娘   あの角を右に曲がって、最初の辻を左へ折れて、右へ出てしばらくまっすぐ行くと、途中にお地蔵様があるからそこを左へ入って、林を抜けて、吊り橋を渡った向こうの右側の三軒目。
金田一 吊り橋?
娘   でも、ホテルなんて名前だけのおんぼろな安宿よ。
金田一 汚くてもいいんです。そこに泊まれと言われたものですから。
娘   じゃ、一緒に行きましょう?
金田一 は?
娘   私、そこの女中です。
金田一 ……。
娘(女中はる) さあ、着いた。
金田一 もうですか?
は る (宿帳を持ってきて)ここに住所と名前を書いてください。

金田一、言われるままに宿帳を書く。はる、それを見て……

は る 汚い字! かねだはじめ ?
金田一 きんだいちこうすけです。
は る 金田一さん? 変な名前?

金田一、外の景色を見ている。

は る 私は「はる」です。
金田一 は?
は る 名前です。名前!
金田一 ああ、おはるさん。
は る 気安く呼ぶんじゃねえよ!
金田一 ああ、すみません。

と言いながら、頭をぼりぼり掻くとフケがハラハラと散る。

は る やだ、それフケ? 汚い!
金田一 いや、すみません。

と言いながら、またぼりぼり。

は る もう……!

 と言いながら、窓を開ける。窓の外には、美しい湖の景色が広がっている。

金田一 綺麗な湖だ。あ、あれが犬神家のお屋敷だね。
は る ええ、このあたりじゃ、犬神御殿と呼んでます。
金田一 当主の佐兵衛さんという人は七ヶ月前に亡くなられたそうだね。
は る ええ、そうですけど……。お客さん、この土地の人でもないのに、何でそんなこと知ってるんですか?
金田一 いや、ちょっと……。
は る 怪しいわね。あんた一体何者なの、え、金田一!
金田一 いや、その……。おや、あの人は犬神の人ですか?
は る え?
金田一 あのボートを漕いでいる。
は る 珠世さまよ。犬神家の身内ではないのだけれど、なんでも、主筋にあたる遠縁の方で、それはそれは綺麗な人よ。
金田一 どれどれ、それじゃ、お顔拝見といこうか……

 と言って、双眼鏡を取り出し、眺めはじめる。

は る ちょっと、あんた、何でそんなもの持ってるの?
金田一 うーむ、なるほど、綺麗な人だ。うーむ。
は る いやだ、何いつまでも見てるのよ? のぞき? 痴漢? ていうか、私も見なさいよ!
金田一 あっ!
は る どうしたの?
金田一 立ち上がって、助けを求めてる。
は る どうして?
金田一 ボートがどんどん沈んで行ってるんだ。
は る ええ?
金田一 あ、ひっくり返った。あのままじゃ溺れてしまう。
は る 何見てるのよ。早く助けなさい。
金田一 え?
は る 助けに行くのよ。男だろうが、え?
金田一 でも……
は る ほれ、早く!
金田一 うん。

 金田一、はるに双眼鏡を渡し、大急ぎで走っていく。
 はる、ホテルを飛び出し、岸辺で見守る。

金田一 (はるに)ボートがないよ!
は る 泳ぐのよ、早く!

金田一、いやいや泳ぎ出す。

は る がんばれ! もう少しよ! 早くしないと……。もう、何してんのよっ!

 金田一、必死で泳ぐと途中で「猿」に追い抜かれる。力強い泳ぎっぷりの猿。
 ボートまでたどりつき。珠世を抱き上げ、岸へと向かう。金田一は無視される。

金田一 何だよ、もう……。

 三人、はるのいる岸辺に戻ってくる。

金田一 大丈夫ですか?
は る 珠世さま、しっかりして下さい。
珠 世 ありがとうございました。ボートに穴が……!
は る ええっ?
金田一 一体、誰が、そんなことを?
珠 世 さあ……。
金田一 あのさっきから気になってたんですが、この猿は……?
珠 世 猿蔵です。
金田一 猿ですか?
珠 世 いいえ、猿蔵です。私に仕えていてくれます。
金田一 猿なのに?
は る (金田一に)しつこい!
珠 世 あの、私たち、これで失礼します。
は る どうぞお大事に。
珠 世 あの、このことは内密にお願いいたします。
は る わかってますとも。
珠 世 行くわよ。猿蔵。
猿 蔵 ウキキーッ!

二人退場。

金田一 やっぱり猿じゃないか! あ、そうだ。おはるさん、今日、ここで若林さんという人と会う約束をしているんだが、まだ見えないかな?
は る なんだ、若林弁護士の知り合いなの? もう早く言ってよ。昼過ぎからずっとお待ちかねよ。
金田一 それは申し訳ない。(と頭をポリポリ)
は る だから、頭は掻かないの。さあ、行きましょう。

二人、ホテルの中を移動。若林が待つ部屋の前に。

は る 若林さん、金田一さんがお見えですよ。

返事がない。

は る 入りますね。

二人、ふすまを開けて部屋の中へ。
すると、死体になった若林弁護士がいる。口から血を吐いている。

は る キャー、死んでる!!
金田一 動かないで!

金田一、てきぱきとあたりを検分。灰皿に煙草を見つける。

金田一 (取り上げて)この煙草かな?
は る ちょっと、あんた何してんのよ?
金田一 おはるさん、警察に連絡して。それから、この部屋に誰も入ってこないように。
は る 何で私に指図するのよ。ていうか、あんた何ものなの?
金田一 金田一耕助。探偵です。
は る 探偵?
暗 転 

 * * * 

古 館 そうですか。うちの若林はあなたにそんな依頼をしていたのですか?
金田一 手紙には、「近く、犬神家の一族に容易ならぬ事態が勃発する。それも血みどろな事件が……。」そう、書いてありました。そして、若林さんは、殺されてしまいました。一体、誰が……? 昨日の珠世さんのボートの事件も。血みどろな事件とは一体何のことでしょう? 古館さん!
古 館 私の事務所の金庫の中には犬神佐兵衛翁の遺言状が保管されているのですが、その遺言状が誰かに読まれた気配があるのです。きっと若林は、遺言状を読んで、あなたに手紙を書いたのでしょう。
金田一 でも、その遺言状はそんなに変わったものなんですか?
古 館 ええ、非常に!
金田一 ……。
古 館 金田一さん、若林に変わって、私が改めてこの件について、あなたに調査の依頼をしたいと思うのですが……。
金田一 いやあ、助かりました。若林さんが死んでしまって、宿の支払いなんかどうしようと思ってたんですよ。やります。何でもやります。いやー、よかった。
古 館 ……。
金田一 で、古館さん、その遺言状の内容とはどんなものなんですか?
古 館 それはお教えできません!
金田一 何故です。
古 館 遺言状に関係のある血縁者は九人に限られていて、そのうちの一人が欠けてでも、発表できないことになっています。血縁ではないがもう一人、野々宮珠世さんも含まれています。
金田一 誰かが欠けているのですか?
古 館 長女松子未亡人の一人息子の佐清さんがまだ復員していないのです。ところが、半月ほど前に突然博多に復員したという便りがあり、松子未亡人が迎えに行きました。
金田一 佐兵衛翁には、松子さんの他に子供は何人あったのですか?
古 館 佐兵衛翁は生涯正式な妻を持たなかった。ですが、産みの親を異にした三人の娘がいます。長女松子、それから、次女竹子。竹子には婿養子の寅の助と佐武と小夜子という二人の子がいます。三女梅子には、やはり婿養子の幸吉と一人息子の佐智がいます。いつもは東京や神戸に住んでいる一族が、遺言状の発表を待ちかねて、ここに集まってきているのです。後は、松子夫人と佐清くんが戻るのを待つばかり……。

電話が鳴る。

古 館 (受話器を取って)はい、わかりました。すぐに、伺います。(受話器を置いて)。犬神家からです。松子夫人が戻られたそうです。佐清くんと一緒に。遺言状を発表しなければなりません。金田一さん、一緒に来てくれませんか?
金田一 いいんですか、僕なんかが?
古 館 若林の代理だと言えば問題はないでしょう。よろしくお願いしますよ。
金田一 わかりました。
古 館 さあ、行きましょう。
                               暗 転  

 * * * 

場面はかわって犬神家の大座敷。
犬神家の一族が勢揃いしている。
松子、竹子、梅子の三姉妹。それに、竹子の息子・佐武と娘・小夜子。梅子の息子佐智。そして、野々宮珠世。

古 館 これは、どうも遅くなりました。こちらが、お話しした金田一さんです。
金田一 どうも……。
梅 子 そんなことより、さあ、早く遺言状の公開をしてくださいな。
竹 子 お願いしますよ、古館さん。
古 館 みなさんお揃いと伺ったのですが、ずいぶん少なくありませんか?
竹 子 そういえば、佐清さんがまだね? 一体何をしているのかしら?
松 子 あれは、支度に時間がかかるんですよ。そんなことより、竹子さん、梅子さん、あなた方のご主人、寅之助さんと幸吉さんはどうしたんです。佐清を呼ぶ前に、あの二人を呼んでいらっしゃい。
梅 子 うちの人たちなら、もういますわ。ねえ、竹子姉様?
竹 子 そうですとも、梅子さん。
松 子 どこにいるというんですか?
寅之助 (竹子が操る「スーパー部長」のような人形である。声は竹子の腹話術)ここにいるぞ。わしは寅之助だ。
幸 吉 (竹子が操る人形)わしもいるぞ。幸吉だ。やあ、兄さん、久し振りです。
寅之助 どうだ、元気にしてるかね?
幸 吉 ええ。
松 子 勝手にやってなさい。
古 館 となると、後は佐清さんということになりますな。
金田一 いいんですか、あれで、本当に?
古 館 昔から、ああいうご夫婦なんですよ。
金田一 どんなです?
竹 子 松子姉様、佐清さん、どうかしたんですか? いいえ、私は別に、あの佐清さんがニセモノだとかそんなことを言ってるんじゃないんですよ。ただねえ、梅子さん?
梅 子 そうねえ。たしかに、あんなにこっそり帰ってくるなんて。ねえ、古館さん、大きな声じゃ言えませんけど、松子姉様ったら、佐清さんが帰ってくるのを、私たち二人以外、秘密にしておけっていうんですよ。
竹 子 犬神家の総領息子が自分の家に帰ってくるのに、何でこそこそする必要があるんでしょうねえ?
梅 子 私にはわかりませんわ。でも、きっと何か理由があるのでしょう?
竹 子 それにしても遅いわね。まったく、もう!
寅之助 小夜子、ちょっと呼んで来い。
小夜子 はいはい、わかったわよ。

小夜子、立ち上がり、部屋を出ていこうとするが、すぐに後ずさりして戻ってくる。

小夜子 ……う、うっ……。

佐清が入ってくる。黒い大きな頭巾をすっぽりとかぶっている。

佐 清 ……。
松 子 佐清や、ここにお座り。

 佐清、佐武と佐智にならんで座る。異様な黒頭巾の大きな頭。

松 子 みなさん、お待たせしました。さあ、遺言状の公開を。
古 館 それでは、遺言状を読み上げますが、その前に、松子夫人にお願いがあるのですが。そこにいられるのが、果たして、本当に佐清さんかどうか、ちょっとお顔を拝見できれば……。
松 子 何ですって? それでは、古館さんは、この佐清をニセモノだとおっしゃるのですか?
古 館 いえいえ、そういうわけではありませんが……。みなさんはいかがでしょうか。このままでよろしゅうございましょうか?
竹 子 困りますね。梅子さん、あなたどう思いますか? 一度、頭巾をとって、佐清さんのお顔を拝ませていただかなくちゃあね。
梅 子 それはもちろんですわ。
幸 吉 そうだ、そうだ。
寅之助 頭巾を取れ。
幸 吉 顔を見せろ!
竹子・梅子 主人もこう申しておりますし。

 間

松 子 佐清、頭巾を取っておやり。

佐清、頭巾をゆっくりとめくっていく。
すると、表情の全くない仮面が現れる。
佐清は仮面をかぶっていたのだ!
そしてその仮面は、中国雑貨の店「大中」で売っている「ヤンくん」のお面によく似ている。

小夜子 キャッ!
松 子 佐清はお国のために闘って、戦場で怪我をしたのです。それでああいう仮面を作ってかぶらせてあるのです。私たちの帰りが長引いたのは、昔の佐清の顔にそっくりな仮面を東京で作らせていたからですッ!
珠 世 そっくり?
佐 武 あんな顔だったっけ?
佐 智 そういえば……
松 子 佐清、この薄情な人達に仮面をめくっておやり!

佐清、一瞬ためらうが、立ち上がり、皆に見えるような位置に移動する。
そして、ゆっくりと仮面をめくっていく。
その素顔は、客席からは見えないのだが……

小夜子 ギャッ!

一同、激しく動揺する。

松 子 佐清、もうよい。

佐清、命じられるままに仮面をかぶりなおす。

松 子 古館さん、これで疑いは晴れましたか。これは佐清に違いありません。母の私が保証するのです。さあ、早く遺言状を読んでください。
古 館 ……わかりました。では、読みます。(遺言状を取り出して)ひとつ……犬神家の全財産、ならびに犬神家の三種の家宝、斧、琴、菊は次の条件のもとに野々宮珠世に譲られるものとす。
竹 子 珠世ですって?
梅 子 ちょっと、それどういうことよ?
古 館 ひとつ、ただし、野々宮珠世は、その生涯の伴侶を犬神佐兵衛の三人の孫、佐清、佐武、佐智の中より選ぶこと。その選択は珠世の自由なるも、もし、珠世が三人のうちの何人をも選ばざりしときは、珠世は相続権を失うものとする。ひとつ、ただし、三人が三人とも珠世の意志を受け容れざりし時、あるいは死亡せる場合は、三人は相続権に関するあらゆる権利を失い、珠世は全ての財産を相続し、何人を選ぶも自由とす。
小夜子 何ですって?
古 館 ひとつ、もし珠世が相続権を失うか、死亡する場合、佐清、佐武、佐智の順で犬神家の事業を継承し、全財産は五等分され、その五分の一ずつを佐清、佐武、佐智に与え、残りの五分の二を青沼菊乃の一子青沼静馬に与えるものとす。
松子・竹子・梅子 青沼静馬ですって!
古 館 ひとつ、珠世、佐清、佐武、佐智の四人が死亡せし場合は、犬神家の全事業全財産は、青沼静馬が相続することとす。ひとつ、行方不明の青沼静馬の消息がわからず、あるいは静馬の死亡が確認され、他の相続者も死亡したるときは、犬神家の全財産ならびに全事業は犬神奉公会に全納されることとす。
松 子 嘘です、嘘です。その遺言状は偽物です。犬神家の財産を横領するために誰かが書いたお芝居の筋書きです。
古 館 いいえ、これは法律的に完全に生きています。遺言状の精神は一字一句の間違いもなく守られねばなりません。
梅 子 私たち、実の娘が相続の対象にならないなんて、そんなもの遺言でもなんでもないわッ。あなたそれでも弁護士?
竹 子 血縁でもない娘や見たこともない男が財産を持っていっちゃうわけ。こんなバカバカしい話ってありますか?
梅 子 私たちの今後のことは珠世さんの気持ち一つでどうにでもなるのよッ。泣くにも泣けないわ!
竹 子 なんで珠世なんかに、私たちがへいこらしなきゃならないのよッ。
梅 子 そうよ、そうよ。
竹 子 あっ、そうだわ。古館さん、その遺言状は無効です。
古 館 くどいようですが、そのようなことはありません。
竹 子 いいえ、あるのよ。松子姉様、梅子さん、言ってしまうわよ。
梅 子 ええ、そうね。
松 子 ……。
竹 子 古館さん、そこにいる珠世には秘密があるのよ。私たち三姉妹しか知らないね。
珠 世 おばさま……。
竹 子 珠世さん、悪く思わないでね。でも、あんたもそうとうなタマね。自分から言い出したらよさそうなものを。犬神家の財産に目がくらんだのかしら?
古 館 何のことです?
珠 世 おばさま!
梅 子 珠世は男なのよッ!

三姉妹以外の全員驚愕する。
珠世はうつむいてじっとしている。

金田一 まさか、信じられない。
竹 子 どうです、古館さん、これでこの遺言状が無効だと言うことがおわかりになったでしょう? 男と男がどうしたら結婚できるのかしら? できるわけないわねえ。
梅 子 何も遺言がない場合にはどうなるのかしら? 法律ではどう決まっているのかしら? 血縁の娘にはどれだけの財産が相続されるのかしら?
古 館 そのことでしたら、私はすでに存じ上げておりました。死の床の佐兵衛翁から伺ったのです。なるほど、男同志の結婚はできません。ですから、この遺言書には「結婚」という文字は一言も使われていないのです。
竹 子 何ですって?
古 館 ですが、「生涯の伴侶」となることは可能なのです。男同士であっても。
梅 子 そんな莫迦な!
古 館 佐兵衛翁は結婚という制度を忌み嫌っておいででした。生涯、正式な奥様をお持ちにはなりませんでした。
竹 子 それとこれとは話が別ですよ。いやですよ、私はうちの息子にそんな変態になれだなんて……。
梅 子 私だって。
古 館 その時は相続権を失うだけのことです。
竹子・梅子  …………。
古 館 何度も申しあげますが、この遺言状は法的に完全に有効です。珠世さんが男であるということは何の妨げにもなりません。問題は、珠世さんが、三人のうちの誰を選ばれるか。その一点にかかっているのです。
竹 子 佐武、お前はどうなの?
梅 子 佐智、頼りにしてるからね。
佐 武 みんなは珠世のことばかり言ってるけれど、遺産配分には青沼母子も大きな役割を与えられているんですよ。
竹 子 その話はおやめ!
梅 子 ああ、もう何て遺言状なの!
小夜子 ひどいわ! 私のことなんかなんにも書いてないじゃないの!

小夜子、泣きながら、座敷を走り出る。追っていく、竹子と寅之助。
座敷の場面は自動的に解散。

寅之助 泣くな! 無視されてるのは、お前だけじゃない!
竹 子 あなたまで興奮することないじゃないの?
寅之助 お前は冷静でいられるのか?
竹 子 こういう時こそ落ち着くものよ。簡単なことじゃないの、佐武が珠世と一緒になればいいのよ。そうすれば、遺産がそっくり転がりこむわ。
梅 子 (いつの間にかやってきて)あら、珠世さんは、乱暴な佐武さんが大嫌いなのよ。その点、うちの佐智は昔から大の仲良し。あら、もしかしたら、これまでだって、どんな「間違い」があったかしれやしないわ。ちょっと佐智に聞いてみなくては……。佐智や、佐智……。
幸 吉 佐智……! 佐智……!

梅子(と幸吉)退場。

竹 子 これまで、汚らわしい変態だと思って、なるたけ近づかないようにしてたけど、そうも言っていられなくなったわ。小夜子、これから、佐武によく言い聞かせなくてはね。私たちの運命は、あの子がどれだけ「我慢」できるかにかかっているのだから。
小夜子 お母様……。でも、私……。
竹 子 泣いているんじゃないの。さあ、行きましょう。

竹子と小夜子(と寅之助)退場。

金田一 古館さん、青沼静馬というのはいったい何者ですか?
古 館 五十歳を過ぎた佐兵衛翁がご自分の工場の菊乃という女工に生ませた子だそうです。今も生きていれば、佐清くんと同い年のはずです。
金田一 つまり愛人の子?
古 館 そういう意味では三人の夫人も同じように正式な妻の子ではないのですが。それにしても、犬神家の全資産全財産は、三十億とも四十億とも言われています。その全てが、あの珠世さんの意志ひとつにかかっているのです。
金田一 「血みどろの事件が起こる」というのはそういうことなのですね。
古 館 ええ。実を言うと、珠世さんがねらわれたのはあのボートの事件が初めてではないのです。部屋に毒蛇が投げ込まれたり、車にひき殺されそうになったり……、すべて事故ということになっているのですが。
金田一 誰かが珠世さんを殺そうとしているのですね?
古 館 私には何も……
金田一 しかし、逆の場合もありうる。加害者が自分を被害者にみせかけることはしばしばあるんですよ。珠世さんが、あの三人を三人とも嫌いだったら、ほかに愛人があったとしたら、そして遺産を失うのがいやだったら、あの三人に死んでもらうしかないじゃないですか。
古 館 まさか、そんな。金田一さん、あなたはあの珠世さんという人をご存じないからそんなことが言えるのです。そんなことは決してありませんよ。あるわけがない。

佐武がやってくる。

古 館 おや、佐武さん。
佐 武 どう、思いますか、あの佐清。僕は、どうも怪しいとにらんでるんです。
金田一 しかし、お母さんの松子夫人があんなにハッキリと……
佐 武 あんたは伯母という人を知らないんだよ。佐清が死んでいたら、身代わりでもなんでもこさえる人なんだ。
古 館 まさか、そのようなことは……
佐 武 そこで、あいつの化けの皮をはいでやろうと思うんですよ。この地方ではみんな戦争に出る前に手型を絵馬や布地に捺して那須神社に奉納しているんですよ。武運長久を祈るってやつです。その手形を取り寄せて、あの仮面の男の手型と比べてみようと思うんです。
古 館 なるほど。
佐 武 古館さんに、一緒に行って、その手型がたしかに佐清のものだという証人になってほしいんです。 
古 館 わかりました。
佐 武 あいつが偽物だということがはっきりすれば、ライバルは佐智ひとりだ。
古 館 参りましょう。
佐 武 うん。

二人、行こうとする。

金田一 佐武さん!
佐 武 ……?
金田一 あなたは珠世さんが男だとわかった上で、それでもまだ、あの人と一緒になろうというんですか?

佐武、にやりと笑って去る。

古 館 では、金田一さん。
金田一 はい。

古館、去る。
珠世がやってくる。

金田一 どうも……
珠 世 ……。
金田一 大変なことになってしまいましたね。
珠 世 ええ。でも、すっきりしました。これで秘密がなくなったわけですから。
金田一 珠世さん、一体、どうされるおつもりです? 一体、誰を選ばれるおつもりです?
珠 世 わかりません。でも、決めなくてはいけないのですよね。一つだけたしかなのは、私はこのままの私をほんとうに愛してくれる人を選ぼうと思います。それだけです。
金田一 ……。
珠 世 ムリですわね。そんなこと。
金田一 ……。
珠 世 まあ、なんて見事な菊でしょう。金田一さん、ご覧なさい。これは、猿蔵が丹精して毎年育てているものなんですよ。
金田一 猿なのに?
珠 世 は?
金田一 何でもありません。
珠 世 金田一さん、私、とっても不安なんです。これから一体どうなるのか……。お願いです、私をたすけてください。
金田一 (ドギマギして)……は、はあ。あ、古館さんはどこに行ったのかな? ちょっと失礼します……。

金田一、あたふたと退場。

珠 世 ちぇっ、ちょっとタイプだったのになあ……。

そこへ、仮面の佐清が登場。珠世を見てびっくりしている。

珠 世 あ、佐清さん。探していたんですよ。
佐 清 ……。
珠 世 (ハンカチ包みを開いて、時計を取り出して)この時計、おぼえていらっしゃる? 佐兵衛おじいさまが、大きくなったらお前が一番好きになった男にあげればいいと私に下さった懐中時計です。時計は戦争中に狂ってしまいました。でも、この時計を直すのは、佐清さんの他にないと、復員してこられるのをお待ちしておりました。

佐清、時計を手にとる。

珠 世 直していただけますか?
佐 清 (時計を返しながら、聞き取りにくい声で)今は気が向かないから、そのうち……
珠 世 は?
佐 清 (もう一度)今は気が向かないから、そのうち……
珠 世 何ですって?
佐 清 (大声で)だから、そのうち直してやるからって言ってるんだよっ!
珠 世 まあ、怪我のせいですっかり声が変わってしまったのね。
佐 清 ……。
珠 世 佐清さん、私は怖くはないわ。みんなとは違うの。もう一度、その仮面をとって、あなたのお顔を見せてちょうだい。
佐 清 ……。
珠 世 お願いですわ!
佐 清 ……。
珠 世 怖くない……。

佐清、足早に去る。
一人残った珠世、大事そうに時計をハンカチに包みこんで退場。
場面は変わって(?)犬神家の大座敷。
松子と仮面の佐清が登場する。
続いて、佐武と竹子も梅子も。

松 子 何度言ったらわかるんです。顔こそ変わっておれ、この子は佐清に違いありません。
佐 武 それじゃ伯母さん、あなたは絶対に佐清くんに手型を捺させないというんですか? え、伯母さん?
松 子 もちろんですとも。ていうか、「伯母さん」言うなッ!
佐 武 でも、伯母さん……
松 子 まだ言うか。コラ?
竹 子 でも、お姉様、妙な誤解をされないようにするには、佐清さんに手型をおさせた方がよろしいんじゃありません? 梅子さん、あなたどう思う?
梅 子 賛成だわ。ここでなまじ拒んだら、疑ってない者まで妙な気持ちになりますよ。
佐 武 佐清くん、伯母さんばかりが反対しているけれど、君のことじゃないか。君は捺すのか、捺さないのかッ?
佐 清 ……。
佐 武 よーし、こうなったら力ずくだっ!

佐武、佐清を取り押さえる。竹子、梅子も手伝う。

竹子・梅子 さあ、観念しなさいッ!
松 子 (三人を引き離して)何をするんです? この佐清は仮にも犬神家の跡取り息子ですよ。昔ならば殿様だ。お前達の御主人ですよ。それをまるで罪人でも扱うように。私は決してこの子にそんな汚らわしい真似はさせません。この子が承知してもわたしがやらせません。佐清、おいで!

と佐清の手を引いて出ていく。

佐 武 逃げるのか、おい! 待て!
竹 子 お姉様。
梅 子 お待ちなさい!

三人、退場。
                               暗 転 

 * * * 

古館の声 (電話をしている)金田一さん、すぐ来てほしいんです。大変なことが起こったのです。若林の予言があたったのです!
金田一の声 わかりました。犬神家の屋敷ですね。すぐ行きます。

舞台が明るくなると、古館と金田一が登場。

古 館 金田一さん、とうとう、とうとう……
金田一 古館さん、いったい、なにが?
古 館 来てください。庭へ来てください。見ればわかります。恐ろしい。実に恐ろしい。

二人、移動する。

金田一 (客席を見て)おや、菊人形ですね。なんてすごい数なんだ。
古 館 佐兵衛翁の趣向で毎年作ります。今年のテーマは「ドラァグクィーン」です。
金田一 (客席をよーく見て)うーん、たしかに……。
古 館 猿蔵がつくったものです。
金田一 猿なのに?
古 館 は?
金田一 やるな、あの猿。
古 館 金田一さん、こちらを見てください。

二人、移動する。
ドラァグ菊人形が登場する。

金田一 (菊人形を見て)うわぁ!! 助けてくれ!
古 館 まだですよ。これは違います。
金田一 でも、こんなに……。ああ、なんだか寒気がしてきた。何なんですか、これは?
古 館 呪いの菊人形ドラァグ「エスムラルダ」です。何でも冥王星からやってきたとか……。
金田一 本当なんですか?
古 館 さあ、わかりません。でも、夜になると髪の毛が伸びたりするそうです。
金田一 恐ろしい……。
古 館 そんなことより、さあ、金田一さん、これを見てください。

古館、金田一を促して、違う菊人形を見せる。
また新しいドラァグ菊人形が登場する。

金田一 (菊人形を見て)なんだ、普通の菊人形じゃないですか? これがどうかしたんですか?
古 館 ああ、やっぱりこっちを先に見せるんだった。わかりました。金田一さん。あれ(エスムラルダ)は見なかったことにしてください!
金田一 そんなこと言ったって…… 一度見てしまったもの、忘れられませんよ。絶対に。
古 館 忘れるんです!
金田一 無理ですよ!
古 館 恐ろしい。それがエスムラルダの呪いなんだ! わかりました。じゃあ、これはこっちに連れてきますから。

古館、エスムラルダを遠くに連れていく。連れて行かれるエスムラルダ。

古 館 ここまで離れればいいだろう。さあ、金田一さん、もう一度、素直な心で、その菊人形を見てください!
金田一 そんな……ただの菊人形じゃないですか。古館さん、何を……

そして、二人目を見る。

金田一 うわー! これは佐武くん……!

その菊人形は、ドラァグクィーンのメークをして女装をした佐武なのだった!
金田一がおそるおそる近づこうとすると、佐武が近づいてくる。

金田一 ギャー! 

佐武、ばったり倒れる。

金田一 殺されたのは、殺されたのは佐武くんだったんですね。しかも、女装をさせられて!
古 館 ええ。ついにわかってくれましたか。
金田一 発見者は誰です?
古 館 猿蔵です。
金田一 またあの猿ですか?

竹子と寅之助、小夜子が登場。

竹 子 離してちょうだい、あの子にもう一度会ってきます! 佐武、佐武!
寅之助 落ち着くんだ、竹子!
小夜子 お母様落ち着いて!
竹 子 復讐してやる! 私が犯人を殺してやる!
寅之助 馬鹿な真似はよせ!
竹 子 畜生!

とドラァグ菊人形「エスムラルダ」が動き出す。

エスム 待ちな!
一 同 うわー!!

一同、悲鳴を上げて、地面に伏せる。

エスム 伸びるよ……伸びるよ……伸びるよ!!

エスムラルダ、退場する。

竹 子 (絶叫する)ああー!!

 * * * 

松子と佐清。

松 子 竹子さんが狂ったように悲しむのもムリはないわ。でもどうして女装させて、菊人形にするなんて手間のかかることをしたのだろうね? お前はどう思う?
佐 清 ……。
松 子 お前は、女装したことはあるかい?
佐 清 (動揺する)……。
松 子 いいんだよ。どっちだって。ただ、聞いただけなんだから。お前は、珠世のことをどう思っているのだい?
佐 清 ……。
松 子 知っていたのだろう、ほんとうは。あの子が男だということを。幼なじみのように育ったお前たちだもの、それはいろいろ……
佐 清 (動揺する)……。
松 子 まさかね、まさかそんなはずはないよね。心配することはないよ。お前がどんな顔になったからって、母さんがちゃんとお前のことは守ってあげるからね。心配することはないのだよ。お前は犬神家の跡取り息子なのだから。珠世がなんだい、静馬がなんだい。安心しておいで。
佐 清 ……。

二人、退場。
梅子と橘署長が登場。

梅 子 署長さん、佐武さんがあんなむごい殺され方をして、すっかり取り乱してしまって、さっきの取り調べの時にはつい言い忘れておりましたけれど……
署 長 なんです?
梅 子 実は昨日、仮面をかぶった佐清さんが本人かということで……
署 長 手型合わせの件ですな。
梅 子 ええ、それを言い出したのは佐武さんで、松子お姉様が怒って、二人は激しく言い争いをしました。もし、あの佐清さんが贋物で、佐武さんの疑いに危険を感じたとしたら……。そう考えると、私怖くて怖くて……。本当はこんなこと言いたくないのですが、やはり署長さんのお耳には入れておいたほうがよいと思いまして……
署 長 よーし、わかった。犯人は仮面をかぶった佐清だ!
梅 子 え、もうですか? 早すぎません?

電話が鳴る。

署 長 (出て)何だ? 何、犯行現場がわかった? 犬神家の展望台だって?
                              暗 転 

 * * * 

湖に面した犬神家展望台。
署長と金田一がやってくる。

金田一 すごい血のあとだ。
署 長 犯人は、佐武くんをここで殺したあと、庭まで持っていって、菊人形にしたのだな。
金田一 それにしても、何故そんなことをしたんでしょうねえ?
署 長 君は有名な探偵なのだろう。そのくらい自分で考えるんだな。

金田一、足許に落ちているブローチを見つける。

金田一 おや、これは何でしょう?
署 長 ブローチだな。どれ、家内のみやげに……
金田一 署長さん!
署 長 冗談だよ、冗談。この家の誰かのものだろう。あとで鑑識にまわそう。

佐智がやってくる。

佐 智 あ、署長さん、金田一さん。松子伯母さんがあなた方に来てほしいと言ってるんです。
署 長 なんだね?
佐 智 例の手型をね、佐清くんに捺させると言ってるんです。昨日あんなにいやだと言っておきながら変ですよね。
金田一 橘さん、あのブローチ。
署 長 わかっとるよ。(ブローチを取り出して)佐智さん、あんたこのブローチに見覚えはないかね?
佐 智 あ、それは……
金田一 知ってるんですね?
佐 智 ええ、珠世さんのブローチです。昨夜つけてたのを覚えています。
署 長 間違いないかね?
佐 智 いいよ、疑うなら、もう話さないから……
署 長 そうか、珠世か……。
金田一 橘さん、手型合わせに行きましょう。何か新しいことがわかるかもしれない。
署 長 言われなくてもわかっとるよ。

犬神家、松子の部屋。
仮面の佐清と松子。梅子、珠世、佐智、小夜子、橘がいる。

松 子 それでは、これから佐清に手型を捺させますから、立ち会ってもらいます。昨日はきっぱりお断りしたのですが、佐武さんがあのような恐ろしいことになって、しかもそれが、まるで私と佐清の仕業のように言われては……
梅 子 あら、誰がそんなひどいことを言っているんです?
松 子 口に出さなくても、腹で思っているのだから同じです。それに佐清も同じ思いらしく、今日になって自分からすすんで捺すと言ってくれましたから。
梅 子 それじゃあ、捺してもらいましょうか。
松 子 その前に、古館さんはどうしたんです? ちゃんと立ち会ってもらわなくては……。
金田一 そうですね。どうしたのでしょう、橘さん?
署 長 あの人は、いろいろ事情があって、来れないのだよ。証人には私がなるから、さあ、早く。
松 子 わかりました。では、佐清。
佐 清 ……。

仮面の佐清、右手に墨を塗ると、白紙にべったり押し付ける。松子も手を添える。

署 長 奥さん、もういいでしょう。手型は私が責任を持って、鑑識で照合させますから。
梅 子 まあ、結果が楽しみだこと。佐智、行きましょう。
佐 智 うん。

梅子と佐智、退場。

松 子 署長さん、よろしくお願いしますよ。
署 長 まかせなさい。
松 子 佐清。
佐 清 ……。

松子と佐清、退場。少し遅れて、珠世も立ち上がるが……

署 長 あ、珠世さん、ちょっと待ちなさい。(ブローチを取り出して)これはあなたのものかね?
珠 世 (おどろいて)まあ、どこにありました?
署 長 犯行現場ですよ。
珠 世 !
金田一 あなたは昨夜、あの場にいらしたのですか?
珠 世 あの、わたし……。昨夜、佐武さんとあそこでお会いしました。
署 長 なんだと?

場面は回想シーン。
佐武が登場。

佐 武 悪かったな、遅くなって。何だい、用事って?
珠 世 (回想シーンに加わって)佐武さん、(時計を取り出して)この時計のフタに佐清さんの指紋がついています。
佐 武 え?
珠 世 奉納手型と照らし合わせてください。こんな疑いは一刻も早くハッキリさせておいた方がいいと思ったものですから。
佐 武 やるじゃん、なかなか。よし、明日早速調べるとしよう。
珠 世 では、これで……
佐 武 あんたも、あいつをホンモノの佐清だと思っているわけじゃないんだろ?
珠 世 お休みなさい……
佐 武 (立ちはだかって)おい、待てよ。せっかく、二人きりなんだ。少し話してったっていいだろう?
珠 世 でも、もう……。
佐 武 いったい三人のうちで誰を選ぶつもりなんだ?
珠 世 ……。
佐 武 こうして月明かりで見ると、とても男だなんて思えないぜ。昔から好きだったんだ。財産なんてどうでもいいんだ。
珠 世 私、今、何も考えていません。失礼します。
佐 武 俺のものになれ!

佐武、珠世に抱きつく。

珠 世 (離れようともがきながら)やめて下さい。やめて下さい!
佐 武 おれのものになれ! おれのものになれ!
珠 世 (もがくのをやめて)ほんとに? ほんとに?
佐 武 え?
珠 世 (佐武にせまりながら)ほんとね。ほんとなのね?
佐 武 それは……
珠 世 なる、なるわ。あんたのものになるわ! あんたのものになる!
佐 武 (形勢は逆転している)おい、やめろよ! おい、やめろってば!

珠世、佐武に強引に抱きついている。激しくもみあう二人。
珠世、佐武の唇を奪おうとする。

佐 武 誰か、誰か、たすけてくれー!!

猿蔵がやってくる。
佐武を珠世から引き離し、激しく床にたたきつける。

佐 武 うっ!(と腰を押さえてうなる)
猿 蔵 こんどやったら殺す!
佐 武 何で、俺なんだよ……?
珠 世 ありがとう、猿蔵。
猿 蔵 ウキーッ!

回想シーン終わり。
猿蔵と佐武は退場。

珠 世 それで私無我夢中で、猿蔵に助けられて、展望台を降りました。
署 長 あんたも、まったく……。
珠 世 無我夢中だったんです!
署 長 それはわかったよ。
金田一 ブローチはもみあってる最中に落ちたのですね。
珠 世 そうだと思います。あの、では、私これで……

珠世、退場。

署 長 うーん、佐武が最後に会った人物は珠世と猿蔵だ。死体の発見者も猿蔵だ。あやしいな、あの猿。
金田一 あの猿は一体なにものなんですか?
署 長 十年ほど前に邸内に迷い込んだのを、亡くなった佐兵衛翁が、命に替えても珠世を守れと言いつけたのだそうだ。
金田一 猿なのに?
署 長 珠世が殺せと言えば、平気で人を殺しかねないなあ……。よーし、わかった! 犯人は珠世と猿蔵だ! おい、誰かいないか?

若い刑事が登場。

刑 事 はい。
署 長 珠世と猿蔵に尾行をつけろ。
刑 事 署長、凶器が判明しました。(手帳を見ながら)ハサミだと思われます。肉の厚い、花切りバサミのようなものだそうです。
署 長 そうか。そうだ。死体から、時計は発見されたか?
刑 事 いえ、別に。それが何か?
署 長 いや、いい。金田一さん、さっきの珠世の話は嘘ですよ。
金田一 しかし、あの人が嘘をつくでしょうか?
署 長 あんたはだまされとるんだよ。あんな女だか男だかわからんようなやつ、どうして信じられる。
金田一 ……。
刑 事 あの、署長。それから、妙な聞き込みがあったんですが……
署 長 何だ、言ってみろ。
刑 事 (手帳を見ながら)湖の向こうの観音崎にある「柏屋」という宿屋に、昨夜、顔をかくした復員者がやってきたそうです。
署 長 それがどうしたんだ?
刑 事 いえ、付近の聞き込みをしろと言われたものですから……。
金田一 その男は顔を隠していたんですね?
刑 事 ええ、マフラーをぐるぐる巻きにしていたので、どんな顔をしていたか、わからないそうですが……
金田一 署長さん、これは、顔を隠した男が二人いることになりますね。これはおもしろくなった。
署 長 何を言っとるんだね。(刑事に)そんなことより、鑑識に指紋照合の結果を急ぐように言え!
刑 事 あ、それなら、もう出ました。
署 長 馬鹿、それを早く言え! 犬神家の連中を集めるんだ。
刑 事 はい。

刑事、退場。
場面は、犬神家の座敷。
松子、佐清、梅子、佐智、小夜子。それに、署長と金田一。

署 長 みなさん、お集まりいただいて、ごくろうです。手型の鑑定がついたそうです。鑑識から届いた報告では、那須神社に奉納された手型と、そこにいる佐清くんが捺した手型は、まったく同じものだとのことです。したがって、そこにいる人は、佐清くんにちがいないということになりますな。
松 子 みなさん、今の言葉をお聞きでございましょうね。異存のある方はございませんか……どなたも異存はないのですね。つまり、佐清がホンモノだと認めてくだすったのですね。よかったこと、佐武さんのお通夜にイヤなことがなくなって。それでは、みなさん、ご苦労さまでした。佐清、行きますよ。

松子、佐清、退場。

梅 子 (煙草を吸っている)まあ、仕方がないわね。同じだったら。佐智、佐清さんはあんな顔よ。まあ、負けることはないと思うけど、わかってるわね。がんばるのよ。
佐 智 うん。
小夜子 梅子おばさま……
梅 子 (無視して)さあ、行きましょう、佐智。
金田一 (梅子に)煙草がお好きなようですね。
梅 子 ええ、煙草でも吸わなきゃやってられないわよ。
金田一 松子さん、竹子さんもお吸いですか?
梅 子 姉たちも吸いますけど。何か文句がおあり?
金田一 いえ……。
梅 子 行きましょう。

梅子、佐智、退場。金田一と署長も。
珠世が行こうとするのを、小夜子が呼び止める。

小夜子 珠世さん、ちょっと話があるの。
珠 世 (立ち止まる)……なんでしょう?
小夜子 兄のことを聞きたかったの。兄に最後に会ったのはあなたなんですってね。何を話したの?
珠 世 それは警察にお話しました。
小夜子 実は兄のことはどうでもいいの。
珠 世 ?
小夜子 あなたはほんとうは男なのでしょう? だったら、私を選ばないこと? その方がずっと自然よ。そうじゃないこと?
珠 世 ……。
小夜子 冗談よ。そんなことしようなんて思わないわ。私は遺言状にまるっきり無視されているんだもの。佐兵衛おじいさまは女が大嫌いだったのよ。よーく、わかったわ。でも、だったら、なんで母たちを生んだりしたのかしらねえ?
珠 世 私、失礼します。
小夜子 お願いよ。珠世さん。佐智さんをあなたの夫に選ばないでほしいの。
珠 世 ……。
小夜子 わたし、妊娠しているのよ。
珠 世 まあ……。
小夜子 そう、佐智さんの子よ。珠世さん、もう一度言うわ。佐智さんを選んだら……怨むわよ。怨んでやるッ!

小夜子、退場。
珠世、立ちつくす。
                               暗 転  

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