◆第二部 篤子と滝山◆
袖萩 時は移り、幕末の世でございます。浦賀にペリーが来航し、世の中は尊皇だ攘夷だと騒がしくなってまいりました。大奥は、十三代将軍家定さまを中心にいまもなお、かつての栄華をほこっております。そして、その大奥の中心にいらしたの、大奥総取り締まり、滝山さま。先代の家慶さまの時代から大奥にいらした滝山さまは、今は表の家老と同じくらいの権力を持つようになったのでございます。そんな大奥へ、島津の殿様から、上様のご正室として篤子さまという姫君がお輿入れなされたのでございます。
篤子が登場。懐剣を握っている。
遠くに、東郷克彰が登場。これは回想シーンである。
克彰 この懐剣をおいと思って守り刀と思って生き延びてくりゃんせ。時代は変わる幕府も将軍も、そげんもんはみんななくなる。おいはおまんを救い出してみせる。約束じゃ!
篤子 克彰さま! いつかきっと。あ、誰か来よる。
あわてて懐剣を隠す。
滝山が登場。腰元を連れている。
滝山 大奥総取締役滝山と申します。篤子様には一日も早く大奥にお慣れなさいますよう御指南つかまります。はるばる南国の薩摩からようこそお越しくださいました。そのような無骨なしつらえはこの大奥には不向き、もっと雅なものをご用意いたしましておりますゆえ。
篤子 えー、このままじゃだめなの?
滝山 早くお召し替えをするのじゃ。
腰元たち はい。
篤子 (逃げて)着替えは自分でします。
滝山 この大奥では、御台さまは何もせずともよいのです。
篤子 着替えは私がします!
滝山 なりませぬ、それが大奥のしきたり。
篤子 いやよ!
逃げる篤子。
滝山 それ、つかまえるのじゃ。
腰元たち、篤子を追い回す。逃げる篤子。
篤子 ほら、つかまえてごらんなさい。
ようやくつかまえると、鈴の音。
みんなびっくり。
滝山 何ということこんな時間に上様のお渡りが……
声 上様のおなーり!
将軍家定登場。
一同平伏。
家定 そなたが薩摩から来た姫か?
篤子 はい、篤子と申します。
家定 はるばる苦労であった。ゆっくりと休むがよい。
篤子 ありがとうございます。
家定 では、また来るぞ。
去ろうとする家定。
滝山 お待ち下さいませ。
家定 (立ち止まり)なんじゃ。
滝山 せっかくの昼のお渡り、篤子さまとの初のお目見えもかない、まずはおめでとうございます。それでは、引き続き、大奥の昔からのしきたりどおり、篤子さまに舞を舞っていただかなくては。
家定 そのようなしきたりがあるのか?
滝山 はい、ございます。篤子さまは、薩摩のお生まれ、さぞや、おめずらしい舞をご存じでしょう。それでは、お願いいたしまする。
篤子 舞なんて……、そんなできません。
滝山 大奥のしきたりでございます。
篤子 でも、できないものはできないし…… ごめんなさい。
逃げる、篤子。追う腰元たち。手をとって連れてくる。
腰元1 さあ、御台さま。
腰元2 恥ずかしいことはないのですよ。
腰元1 得意の舞を舞なされ。
篤子 でも……
滝山 (一喝)往生際が悪い! さあ、早く舞いなされ!
篤子 ……わかりました。
滝山 それでは、拝見いたしましょう。
篤子 ミュージックスタート。
松田聖子の「マラケシュ」が流れ出す。
踊る篤子。
見事な舞である。
華やかに終わる。
家定 あっぱれじゃ! さすがは薩摩藩島津公秘蔵の姫君、見事であった。世は満足じゃ、では、またな。
家定、退場。
滝山 ちっ、うまくやりやがったぜ。
篤子 滝山殿、これで気は済みましたか?
滝山 ありがとう存知ます。あとは、今宵の上様のお渡りが、おするするとすみますよう。
篤子 おするする?
滝山 ええ、おするするでございます。
篤子 わかりました。
篤子、退場。
滝山、めじらせして、腰元たちに後を追わせる。
滝山、口笛を吹くと「くのいちのお幻」が風のようにやってくる。
お幻 お呼びでございますか、滝山さま。
滝山 さすがは伊賀忍者の流れを汲む、くのいちのお幻。そなたにさぐってほしいものがあるのじゃ。
お幻 何でございましょう。
滝山 あの島津の姫の……
お幻 わかりました。
お幻、風のように退場。
滝山 あ……、さすが、伊賀者じゃ。
袖萩 こうして、篤子さまは、大奥においでになったのでございます。そして、滝山様との長い戦いが始まったのです。
舞台は廊下。腰元3がまるを連れてくる。
腰元3 ここがお鈴廊下っていうんだよ。どうだいすごいだろう。
まる へえ、このひもは何なの?
と引っ張る。
とたんにすごい鈴の音。
腰元たちの声 上様のおなーり。
腰元3 あらやだ、どうしよう。間違いなの、間違い。取り消しよ!
滝山と腰元たちが登場して平伏。そして家定が登場する。
家定 何、呼んだ?
滝山 上様、この鈴は上様がおいでのときに鳴らすもので、鈴が鳴ったら上様が来るというものではございません。
家定 あ、そうだっけ。じゃあ!
家定、退場。
滝山 一体、誰じゃ、このような不始末をしでかしたのは。
腰元3 申し訳ございません。今日より、奥に入りました、この、まるにございます。私がついていながらもうしわけございません。(まるに)さ、あんたも謝るのよ。
まる ごめんね。ていうか、はじめまして。まるです。
腰元3 はじめましてじゃないでしょ。
まる でも……
滝山 大奥に来て早々申し訳ないが、そなたにはそれなりの罰を受けてもらわねば。よいな。
まる え?
滝山 みなのもの!
腰元1・2 ははあ!
腰元1、2、まるを取り押さえる。
と篤子の声。
篤子 その者を放してやりなさい。私の命令です。
滝山 御台さま。
篤子 (登場して)その者を、今日から私付きの小姓にします。いいですね。
滝山 ですが……
篤子 何か文句が……?
滝山 どうぞお好きなように。
滝山と腰元たち、退場。
篤子 (まるに)こちらへ来るがよい。
一回り歩くとそこはトイレの前。
篤子 さあ、入るのじゃ。
まる ってここはどこですか?
篤子 厠じゃ。
まる え?
篤子 大奥では二人で入るものなのだそうじゃ。さ……
まる ……はい。
二人、トイレにはいる。
まる ひろい! うちより広い!
篤子 息がつけるのはここだけじゃ。
まる あの、なぜ私を……?
篤子、突然、懐剣を抜いて、まるに迫る。
まる やだ、何?
篤子 そなたを傷つける気はごわはん。私はここを出ていこうとおもうちょる。
まる だから、どうして私に……?
篤子 ここの人はみんな能面のような顔じゃ。じゃが、そなたの顔は生きている。おどろけばはっと驚く。心がある。そなたがどれほどこころづよかか。どうか味方になってたもんせ。
まる わかりました。
篤子 やった! よろしくね!
二人退場。
袖萩 そして、夜になりました。上様がお渡りになり、篤子さまは上様と二人きり。もっとも、そのすぐ向うには、監視役の女達がすぐに控えているのですが……。
家定と篤子が登場。
家定 着替えをしておらぬのか?
篤子 はい。
家定 そのかっこうでは休めまい。
篤子 起きております。
間
家定 無理矢理の輿入れじゃ、納得がいかぬのもわかる。だが、言わせてもらえば、わしも同じじゃ。おなごなら誰でもいいと思っておるのか、ただ、きれいな女子を献上すれば、それで安泰だと島津は思っておるのかのう?
篤子 きれいな女子……?
家定 これも役目だ、仕事だ、お互いの。襖の向こうには監視役の女が控えておる。さあ、早くすませてしまおう。
篤子 ですが、上様。
家定 何だ、もしや、他に惚れた男でもおるのか?
篤子 いいえ、いません。
家定 そなた刃物を持ってまいったそうじゃな。わしを刺すつもりだったのか?
篤子 ……。
家定 わしは外様からも暗愚で無用な将軍と思われておる。わしが死ねば笑うやつが大勢おる。刺してみよ。
構える、篤子。もみあう二人。そして、抱き合う。
自然に(?)暗転。
家定の声 そなた……! おなごではないな?!
袖萩 こうして、お二人の夜は無事に済んだのでございます。
腰元1 ちょっと待って、何よ、それ?
袖萩 だって、そう書いてあるんだから。
腰元1 すごいところだったのね、大奥って。
袖萩 ほんとね。そして、翌日の朝……
滝山が一人。そこへ、篤子がやってくる。まるもついてくる。
滝山 ゆうべのおしとねはまずはおするするとおすみでおめでとうございました。
篤子 死ぬ気でつとめればなんということもありません。
滝山 そうですか。
篤子 なれど、滝山。
滝山 ……。
篤子 こうなったからには、わたしは名実共に御台どころ、今日よりそなたの指図は受けません。私は私のやりかたでやらせてもらいます!!!
滝山 ……。
豪華な音楽。にらみ合う二人。見守るまる。
袖萩 これが御台所篤子さまと滝山様の長い長い対決の始まりでございました。
滝山を残して、篤子とまる、退場。
すぐにお幻がやってくる。
お幻 滝山さま、篤子さまについての報告が。
滝山 おお、何じゃ?
お幻 あのお方は、女子ではございません。なんと、男でござりまする! ああ、びっくりした
滝山 バカもの! そんなことくらいわかっておるわ。寝所につめていた者から報告があがっておる。
お幻 ですが、大奥は男子禁制なのでは? それに上様の御台として男子が輿入れするなど……
滝山 この大奥には、古来から何度もあったこと。驚くには足りぬ。上様の気に入りそうな男子を献上するなど、島津もなかなかやるのう。
お幻 え、そうなんですか? でも……
滝山 ええい、くどい! そなたも焼きが回ったのう。もう、下がってよい。
お幻 ちっ……。
滝山、退場。後を追って、お幻も。
反対側から篤子とまるが登場。
篤子 ああ、すっきりした。いつばれるかと思ってひやひやしてたんだ。
まる そうなんですか?
篤子 おどろいた?
まる ええ、ちょっと。でも平気です。
と渡り廊下(!)の下を大工が通り過ぎる。
篤子 (はっとして)あれは何者じゃ?
まる あ、長局の普請に来ている、大工さんです。たしか、薩摩藩の請負いだとか。
篤子 呼んできてちょうだい。
まる はい。大工さん! ちょっと!
克彰 何でしょう?
もちろんその大工は東郷克彰だ。
篤子 あ……
克彰 ……御台さま。ごきげんよろしう。
篤子 普請の仕事、ご苦労です。
克彰 ありがとうございます。
篤子 あの……
克彰 何でしょう?
篤子 私は、この守り刀をまだ持っています。誰にも取り上げられずに。だから……
克彰 だから……
腰元たちが登場。
腰元1 御台さま、およびでございますか?
篤子 あ、そうだったわね。(克彰に)もう下がってよか。じゃないや、下がってよい。
克彰 ははあ。
克彰、退場。
腰元2 なんでございましょう?
篤子 これからは私のために、いちいち十人分の支度をしなくともよい。
腰元1 ですが、それは大奥のしきたり。毒味をして、それからお上げすることになっております。
篤子 そんなもったいないことは今日限りやめます。いいですね。
腰元たち かしこまりました。
篤子、退場。まるもついていくが、すぐ戻ってくる。
腰元1 あーあ、やってらんないわよ。
腰元2 じゃあ、何、私たちが、残り物をいただくこともできないわけ?
腰元3 やだ、大奥にいる楽しみがなくなるわよね。
お幻が登場。
- 腰元1 あ、お幻ちゃん、どうしたの、元気ないじゃない。
お幻 もうお役ご免だって、滝山さまに。
腰元2 ひどいわねえ、あんなにこき使っておいて。
お幻 あーあ、フリーターか。
腰元3 いいわよ、アタシたちと一緒に働こう。
お幻 ありがとね。
腰元1 みんなあの女のせいよ。篤子さま。
腰元2 あの女?
お幻 そうよ、女じゃないのよ、信じられる?
腰元3 滝山様の薬でどうにかなればいいのよ。
腰元1 そうね。
まる 何なの滝山様の薬って?
腰元2 びっくりするじゃないの!
腰元3 何も知らないのね、前の御台さまもその前の御台さまも、お輿入れしてすぐに亡くなってるのよ。
腰元1 だんだんカラダが弱っていって。
腰元2 そしてぽっくり。
腰元3 滋養強壮、元気を付けるための薬っていうのを、滝山さまがお食事に混ぜてるんだけど。
腰元たち あやしいわよねえ!
まる どうして、そんなことを?
お幻 滝山様は、上様のお内証の方なのよ。
腰元1 はじめての女ってわけ。
腰元2 こわいわねえ、女の嫉妬って。
腰元3 じゃあ、あんたもせいぜい気をつけることね。
- 腰元たち バイバイキーン!
腰元たち、退場。
まる、後を追っていく。
袖萩 そして、表向きは何事もない日々が過ぎていったのでございます。表向きは。でも、その裏では滝山さまによる、それは陰湿な篤子さまいじめが横行したのでございます。それは、もうここでは口に出せないほどのえげつなさ……。でも、篤子さまとまる殿は、けなげに日々をお過ごしになっていたのでございます。そして、ある日……
家定と篤子が登場する。
そこは家定の寝所。
家定 あの薩摩の男、そなたとはどういう間柄だったのじゃ。
篤子 薩摩の男?
家定 大工に身をやつして、ここまで追ってきたのか? 調べは全部ついておるのじゃ。
篤子 くのいちのお幻?
家定 まあな。
篤子 男女のちぎりをかわしたことはございません。
家定 男女?
篤子 私が一方的に思いを寄せていたばかり。
家定 女たちはみな、わしの前ではみな人形になる。だがそなたは違う。そなたはおもしろい。のう……。
家定、篤子を抱き寄せる。
篤子 (急に苦しみ出す)うっ……。
家定 どうしたのじゃ。医者だ、医者をよべ!
袖萩 篤子さまはお倒れになり、さっそく医者が呼ばれました。
今岡真之介が登場。篤子の脈を診ている。
そばにはまると滝山。腰元たちも見守っている。
腰元1 いつものじじいじゃないわね。
腰元2 若くていいかんじね。
腰元3 昨日ぽっくりいっちゃったんで弟子がかわりに来たんだって。
お幻 へえ、私もちょっと見て貰おうかな。
腰元1 やだ、私が先よ!
滝山 お見立てはいかに?
真之介 軽い血の道でしょう。
滝山 間違いないか?
真之介 はい。女人にありがちな生理不順。間違いありません。
滝山 (にんまり)なるほど。ご苦労でした。さ、行きましょう。
- 滝山を先頭に、一同、退場。
- 真之介、立ち上がり歩き出す。まるが後に従う。
- しばらく歩いて……
まる ここならだいじょうぶ。
真之介 ああ、緊張した。
まる なんで、真ちゃんが大奥に来るのよ。
真之介 しょうがないだろう、師匠が死んじゃったんだから、それに、久し振りにお前にも会いたかったし。
まる ねえ、しっかりしてよ。ていうか、御台さまは男なのよ、血の道なわけないでしょ。
真之介 しょうがないだろ、そう言うようにって言われたんだから、滝山さまに。
まる え?
真之介 おい、こんなところ、早く出て来いよ、知らないぞ、どうなっても。
まる 私はもう御台様付きなの。親が死ぬか結婚でもしない限り、出ていくことはできないの。
真之介 じゃあ、結婚しよう。
まる もう、ふざけないで!
真之介 ふざけてないって。
まる ……
真之介 あの症状は、たぶん滝山様が食事に混ぜてる薬のせいだと思う。うちの師匠が頼まれてつくってたんだ。これ(と紙包みを出す)
まる あ、私が台所で見つけた薬と同じ!
真之介 だから、お前も気をつけないと……!
まる わかってるって。じゃあ、もう、行って。御台様のそばにもどらなきゃ。
真之介 じゃあな。
真之介、退場。
と滝山がやってくる。
滝山 まる殿、何をしているのじゃ。
まる 滝山さま、この薬は何でございますか?
滝山 薬とな?
まる 篤子さまの御膳にいつもこっそりふりかけていらっしゃると聞きました。証拠はあがってんだよ。さっさと白状しちまいな!
滝山 何を言うか。それは滋養強壮精力絶倫の秘薬。
まる じゃあ、あんた、飲んでみなさいよ。
滝山 ふん。
滝山、薬を受け取って、飲む。
平然としている。が……
滝山 ……うっ!
急に苦しみ出す。まるはびっくり。
滝山、ひとしきりもだえ苦しんだ後……
滝山 ああ、すっきりした。
と退場。
まる 毒じゃなかったの? それともあの人がおかしいの? どっちよ?
篤子が登場。
篤子 まる。
まる 篤子さま。
篤子 あの医者は、そなたの思い人か?
まる そんな、ただの幼なじみです。でも、さっき結婚申し込まれちゃいました。
篤子 すごい!!
まる でも、私、ずっと篤子さまのそばにいますから。
篤子 まる、いつか、一緒にここを出ていこう。
まる そんなことできるんですか?
篤子 できる、できる。だから、もうしばらくのがまん、がまん。
音楽が流れ出す。遠くに克彰と真之介の姿も浮かぶ。
♪くらし Class from Chicago
篤子とまる 今頃 何をしてる こんなに遠く離れ
淋しい夜は星を見よう
はるかな くらし くらし
克彰と真之介 今頃 何をしてる こんなに遠く離れ
明けない夜に君を想う
はるかな くらし くらし
全員 ああ たとえどんなに離れても 二人の心はひとつさ
いつかまた会うその日まで
はるかな くらし
克彰と真之介 今頃 何をしてる こんなに遠く離れ
篤子とまる 淋しい夜は星を見よう
はるかな くらし くらし
全員 ああ 今はどんなに遠くても 二人の心はひとつさ
いつかまた会うその日まで(:また会うその日まで)
はるかな くらし
克彰と真之介 また会うその日まで いつか
篤子とまる 神様
全員 なつかしい我が家
はるかな くらし
篤子とまる 明けない夜も
克彰と真之介 やがて朝に
篤子 いつか
まる いつか
真之介 きっと
克彰 きっと
全員 出会えるはず
歌い終わると暗転
と、火事を知らせる半鐘の音!
- 腰元2 火事でございます。火事でございます。長局の普請場から火の手が上がりました。
腰元1 きゃー、早く逃げて!
- 腰元3 いやー、燃えちゃう!
逃げまどう、腰元たち。
まるが篤子を探している。
まる 御台さま! 御台様 ゴホン、ゴホン。
篤子がふらふらとさまよっている。
篤子 なんてきれいな炎。そう、これでみんな燃えてしまうのね。
克彰が登場。
篤子 (気がついて)克彰さま。
克彰 おはんを迎えに来た、約束を果たしにじゃ。おいとここから逃げんか?
篤子 ……。
克彰 藩士達もいっしょじゃ。こげな悪政をのさばらしとくわけにはゆかん。さあ、こっちじゃ……。
克彰、篤子の手を引くが、篤子は動かない。
克彰 どうしたんじゃ?
篤子 私は、もう昔の私ではないのです。
克彰 何を言うんじゃ、おまんは昔のままのおまんじゃ!
篤子 いいえ、違う。
まるが登場。
まる 御台さま!
篤子 ……!
克彰 ……わしは、あきらめんぞ。また来るぞ、約束じゃ。
去っていく克彰
まる 御台さま、だいじょうぶですか?
篤子 心配はいらぬ。
まる あの、今の人?
篤子 何でもない。
まる そうだ。……火は、消し止められたそうです。上様もご無事……って、やだ、すっかり忘れてた。だいじょぶだったのかしら?
滝山が登場。
篤子 滝山どの、上様はご無事ですか?
滝山 上様がおたおれになりました。
篤子 もしや、火の手に……?
滝山 命取りの腫瘍が胃の腑の奥に巣くい、もはやご快癒はのぞめぬと……。
篤子・まる え?!
場面は変わって、家定の寝所。
といっても家定は寝ていない。
篤子と滝山、それにまるがついている。
家定 (篤子に)よく来てくれたな。
篤子 寝ていなくてよろしいのですか?
家定 どうせ長くはないのだ、かまわん。わしが死んだ後は好きにいたせ。好きなように生きなおせ。
篤子 上様! どうぞお気をたしかに!! 篤子はいつまでも上様のそばにおりまする。
家定 あの女中は何者じゃ? 見かけぬ顔だが……
家定の視線の先に、黒紋付を着た女中が正座している。
滝山 ここには私たちの他、だれもおりません。
家定 何をいう、あそこにいるではないか? (女中に)のう?
黒紋付の女中 (深くうなずく)
まる (篤子に)先代家慶公は、死の間際に黒紋付きを着た女中をごらんになったそうです。他の者にはその女中は見えず、その翌日、家慶公はおなくなりになったとか……
篤子 え?
家定 うっ……!
家定、倒れる。
篤子・滝山 上様!!
袖萩 ご臨終でございました。
一同、退場。
袖萩 十三代家定公がなくなられたのは安政五年のことでございました。そして、その夜。
篤子が登場、そして反対側から克彰。
篤子 まるからこの大奥の抜け道を書いた地図を受け取りました。
克彰 じゃあ……
篤子 行きません。行かんち、決めてまいりました。
克彰 ないをいうておる。
篤子 幾たびもおまんさあの夢をみました。手を取り合って、ふるさとへ逃げ帰る夢を。じゃっどん、私は教えられました。どんなところにいようと、一生懸命生きれば、人の道は輝くと。
克彰 おまんは家定公に殉ずるというのか? あんな無力な将軍に。
篤子 無力なのは私も同じです。おまんさあは、自分の力を信じてその強さで世の中を変えていこうと思っておられる。でも、決して忘れてくださるな、私のような力の無いものの痛みを。この大奥の女たちの苦しみを。
克彰 ……。
篤子 さあ、早うお行きやったもんせ、ここでお縄にかかってはなりもはん。おまんには果たすべき使命があるはず。
克彰 いやじゃ、おいと行くんじゃ!
と滝山が登場。
篤子 ……。
克彰 おいはあきらめんぞ。世の中を変えてきっとおまんを迎えに来る。
克彰、退場。
滝山 行きましょう。お清めの儀が始まります。
篤子 はい。
篤子と滝山、二人並んで、静かに退場。
袖萩 篤子さまは、落飾して天璋院と名乗られたのでございます。そして、西の大奥へお引っ越しになりました。そして、滝山様も、大奥総取り締まり役を初島さまにおゆずりになり、引退されたのでございます。
腰元1 袖萩さん、どうして篤子さまは、大奥を出ていかなかったのかしら?
袖萩 そうね?
腰元1 薩摩の男よりやっぱり将軍ってこと? 上昇志向が強かったのかしらね?
袖萩 女心は微妙ってことなんじゃないの?
腰元1 ていうか、女じゃないんでしょ?
袖萩 あ、そうか。
腰元1 ねえ、続きを読んで。
袖萩 うん。
袖萩、大奥御日記をまた読み始める。
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